70・宮本武蔵「水の巻」「この一国(4)(5)」


朗読「70水の巻34.mp3」13 MB、長さ: 約9分24秒

 吉岡よしおか次男じなんといえば、清十郎せいじゅうろう弟伝七郎おとうとでんしちろうのことだが?
(それかな)
 と、武蔵むさし注意ちゅういしていた。
 自分じぶん四条道場しじょうどうじょうたずねたとき門人もんじんだれかが御舎弟ごしゃてい伝七郎でんしちろうどのは、友人ゆうじん伊勢参宮いせさんぐうまいって留守るすであるといっていた。――このたびもどみちとすれば、あるいは、この三名さんめいものが、その伝七郎でんしちろう友人ゆうじん一行いっこうかもれない。
(おれは湯槽ゆぶねがよくたたる)
 武蔵むさしこころのうちでいましめていた。――郷里きょうり宮本村みやもとむらではかつて本位田又八ほんいでんまたはちははのお杉隠居すぎいんきょはかられて、浴室よくしつてきにつつまれたことがあるし、いまはまた、宿怨しゅくえんただならぬなか吉岡拳法よしおかけんぽう一子いっしと、偶然ぐうぜんにも、素裸すっぱだか機会きかいにつかまってしまった。
 たびていたとはいえ、おそらくは、京都きょうと四条道場しじょうどうじょうでの自分じぶんとのいきさつを、みみにしているに相違そういない。――ここで自分じぶん宮本みやもとったら、すぐ板戸一枚向いたどいちまいむこうにあるかたなってものをいいすだろう。
 武蔵むさし一応いちおうそうかんがえたのだ。しかし、三名さんめいのほうには一向いっこうそういうぶりはない。得意とくいになってはなしている様子ようすからさっすると、なんでもこの土地とちくと早速さっそく柳生家やぎゅうけ書面しょめんたせてやったものらしい。吉岡よしおかといえば、足利公方あしかがくぼうからの名門めいもんではあり、いま石舟斎せきしゅうさい宗厳むねよしといっていたころから、先代せんだい拳法けんぽうとは多少たしょうまじわりもあったらしいので、柳生家やぎゅうけでもててもおけず、用人庄田喜左衛門ようにんしょうだきざえもんたび見舞みまいたせて、この旅籠はたごへあいさつによこしたものとおもわれる。
 その礼儀れいぎたいして、このわか都会人とかいじんたちは、
柳生やぎゅうも、如才じょさいない)
 とか、
おそれをなして敬遠けいえんした)
 とか、
たいした人物じんぶつもいないらしい)
 とかいうふうに、自己満足じこまんぞく解釈かいしゃくくだして、得々とくとくと、たびあかあらっている――
 いまがたしたしくあしんで、小柳生城こやぎゅうじょう外廓がいかくから、土俗人情どぞくにんじょう実地じっちている武蔵むさしにとっては、かれらのそうした得意とくいさと勝手かってかたが、笑止しょうしでならなかった。
 なかかわずということわざがあるが、ここにいるみやこせがれどもは、大海たいかい都会とかいんでいて、うつりゆく時勢じせいひろているくせに、かえって、なかかわずだれらないうちに涵養かんようしていたちからふかさや偉大いだいさをすこしもかんがえてみない。中央ちゅうおう勢力せいりょくと、その盛衰せいすいからはなれて、ふか井泉せいせんそこに、何十年なんじゅうねんも、つきうつし、落葉おちばかべ、変哲へんてつもない田舎暮いなかぐらしの芋食いもく武士ぶしおもっているまに、この柳生家やぎゅうけという古井戸ふるいどからは、近世きんせいになって、兵法へいほう大祖たいそとして石舟斎宗厳せきしゅうさいむねよしし、そのには、家康いえやすみとめられた但馬守たじまのかみ宗矩むねのりみ、そのあにたちには、勇猛ゆうもうきこたか五郎左衛門ごろうざえもん厳勝としかつなどをし、またまごには、加藤清正かとうきよまさ懇望こんもうされて肥後ひご高禄こうろくでよばれてった麒麟児きりんじ兵庫利厳ひょうごとしとしなどという「偉大いだいなるかわず」をたくさんに時勢じせいなかおくっている。
 兵法へいほういえとして、吉岡家よしおかけ柳生家やぎゅうけとでは、くらべものにならないほど吉岡家よしおかけのほうが格式かくしきたかかったものである。けれど、それは昨日きのうまでのことだった。――それをまだ、ここにいる伝七郎でんしちろうほか手合てあいがつかない。
 武蔵むさしは、かれらの得意とくいさが、おかしくもあり、どくにもおもえた。
 で――つい苦笑くしょうかおにのぼりかける。かれはそれにこまって、浴室よくしつすみにあるかけひしたにゆき、かみ元結もとゆいいて、一塊ひとかけ粘土ねんどにこすり、ひさしぶりで、ざぶざぶとかみあらいほぐした。
 そのあいだに、
「ああいい気持きもち
たびごこちは、湯上ゆあがりの、このいっときにあるな」
おんなしゃくで、ばんむのは」
「なおいい」
 などと三名さんめいは、からだいて、さきがってった。

 あらったかみ手拭てぬぐいでしばって、部屋へやかえってみると、おとこみたいなおんな小茶こちゃちゃんがすみいているので、武蔵むさしは、
「おや、どうした?」
旦那だんなはん、あのが、あたいをこんなにったの」
うそだい!」
 と、むこうのすみから城太郎じょうたろう異議いぎをいってふくれる。
「なぜおんななどをつ」
 武蔵むさししかると、
「だって、そのおたんこ茄子なすが、おじさんのことを、よわいっていったからさ」
うそうそ
「いったじゃないか」
旦那だんなはんのことをよわいって、だれもいいはしないよ。おまえが、おらのお師匠様ししょうさま日本一にほんいち兵法家へいほうか般若野はんにゃの何十人なんじゅうにん牢人ろうにんったなんて、あんまり自慢じまんして威張いばるから、日本一にほんいち剣術けんじゅつ先生せんせいは、ここの御領主様ごりょうしゅさまのほかにないよといったら、なにをって、あたいのほおったんじゃないか」
 武蔵むさしは、わらって、
「そうか、わるやつだ。あとしかっておくから、小茶こちゃちゃん、勘弁かんべんしてやれ」
 城太郎じょうたろうは、不服ふふくらしい。
「おい」
「はい」
はいってこい」
「おはきらいだ」
「おれとているな。だが、あせくさくていかん」
明日あしたかわっておよぐ」
 ってれるにつれ、この少年しょうねんうまれつきにある強情ごうじょう性格せいかくは、だんだんばしていた。
 だが、武蔵むさしは、そこもきだった。
 ぜんにつく。
 まだふくれている。
 ぼんって給仕きゅうじしている小茶こちゃくちをきかない。にらめっこなのだ。
 武蔵むさしも、この数日すうじつは、おもうことがあって、とかくこころがそれにとらわれている。かれむねにある宿題しゅくだいは、一介いっかい放浪者ほうろうしゃとしてはすこ大望たいぼうでありぎた。しかし、不可能ふかのうでないとかれしんじるのだ。そのためにこうしてひと旅籠はたご逗留とうりゅうをかさねているのでもあった。
 のぞみというのは、
柳生家やぎゅうけ大祖たいそ石舟斎宗厳せきしゅうさいむねよしってみたい)
 と、いうことである。
 なおはげしくいえば――かれわか野望やぼうゆるままを言葉ことばうつしていうならば――
(どうせつかるなら大敵たいてきあたれである。大柳生だいやぎゅうたおすか、自分じぶん剣名けんめい黒点こくてんをつけられるか、してもよい、柳生宗厳やぎゅうむねよし面接めんせつして、一太刀打ひとたちうまねば、かたなみちこころざしたかいもない)
 もし第三者だいさんしゃがあって、かれのこういう志望しぼういたら、無謀むぼうといってわらうだろう。武蔵自身むさしじしんも、その程度ていど常識じょうしきはないことはけっしてない。
 ちいさくても、さき一城いちじょうあるじである。その子息しそくは、江戸幕府えどばくふ兵法師範へいほうしはんであり、一族いちぞくはみな典型的てんけいてき武人ぶじんであるのみでなく、どことなくあたらしい時代じだいうしおにのりしているさかんなる家運かうんが、柳生家やぎゅうけというもののうえにはいまかがやいているのだ。
(――ただつかれない)
 武蔵むさしも、それだけの準備じゅんびこころでしていた。めしあいだもしているのである。