68・宮本武蔵「水の巻」「般若野(11)この一国(1)」


朗読「68水の巻32.mp3」14 MB、長さ: 約9分58秒

十一

いやよろこんだのはからすのほかにもう一人ひとりいる。日観にっかんはなしをそばでいていた城太郎じょうたろうだ。これですっかりかれうたがいも危惧きぐ一掃いっそうされた。そこで、この少年しょうねんは、雀躍こおどりのはねをひろげ、彼方かなたけてったとおもうと、

大掃除おおそうじ
大掃除おおそうじ

と、途方とほうもないこえうたしたものである。
そのこえに、武蔵むさし日観にっかん振向ふりむいてみると、城太郎じょうたろうれいわら仮面めんかおにかぶり、こしなる木剣ぼっけんいてにかざし、そこらにさんをみだしてころがっている死骸しがいと、その死骸しがいへむらがっているからすれをちらしながら乱舞らんぶしている。

なアからす
奈良ならばかりじゃないぜ
大掃除おおそうじ時々必要ときどきひつようだよ
自然しぜんことわりだよ
万物ばんぶつあらたまるために
生々いきいきとそのしたからはる
落葉おちば
くんだ
時々ときどき大雪おおゆきしいように
時々ときどき大掃除おおそうじもあっていいよ
なアからす
おまえたちにも饗宴きょうえん
人間にんげん眼玉めだまのお吸物すいもの
あかいどろどろのおさけ
べすぎてすいッぱらうな

「おい子供こどもっ」
日観にっかんぶと、かれは、
「はいっ」
乱舞らんぶめて、振向ふりむいた。
「そんなおかしな真似まねをしておらんでいしひろえ、ここへいしひろってい」
「こんないしでいいんですか」
「もっと沢山たくさん――」
「はい、はい」
城太郎じょうたろうひろあつめてると、日観にっかんは、その小石こいしひとひとつへ南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう題目だいもくいて、
「さあ、これを死骸しがいへ、いておやり」
といった。
城太郎じょうたろういしって四方しほうげた。
そのあいだ日観にっかんは、法衣ころもそでをあわせて誦経ずきょうしていたが、
「さあ、それでよろしい。――ではおまえさんたちさき出立しゅったつするがよい。わしも奈良ならもどるとしよう」
飄然ひょうぜん猫背ねこぜうし姿すがたけ、もうかぜのように彼方あなたあゆってく――
れいをいういとまもないし、再会さいかい約束やくそくもいいせなかった。なんという淡々たんたんとした姿すがただろう。――武蔵むさしは、そのうしろ姿すがたを、じっとつめていたが、何思なにおもったかいきなりまっしぐらにけてって、
老師ろうしっ、おわすものっ」
と、かたなをたたいた。
日観にっかんは、あしめ、
わすものとは?」
がたいこの御縁ごえんに、せっかくこうしておにかかったのです。どうか一手いって御指南ごしなんを」
すると、のないかれくちから、からからとれた人間にんげんわらごえがひびいた。
「――まだわからんのか。おまえさんにおしえることといえば、強過つよすぎるということしかないよ。だが、そのつよさを自負じふしてゆくと、おまえさんは三十歳さんじゅっさいまではきられまい。すでに、今日きょう生命いのちがなかったところだ。そんなことで、自分じぶんという人間にんげんを、どうってゆくんじゃ」
「…………」
「きょうのはたらきなども、まるでなっておらぬ。わかいからまアまアせんないが、つよいが兵法へいほうなどとかんがえたら大間違おおまちがい。わしなど、そういうてんで、まだ兵法へいほうだんじる資格しかくはないのじゃよ。――左様さよう、わしの先輩柳生せんぱいやぎゅう石舟斎せきしゅうさいさま、そのまた先輩せんぱい上泉伊勢守かみいずみいせのかみ殿どの――そういうひとたちのあるいたとおりを、これから、おもちと、あるいてみるとわかる」
「…………」
武蔵むさし俯向うつむいていた。ふと、日観にっかんこえがしなくなったがとおもい、かおげてみると、もうそのひとかげはなかった。

この一国いっこく

ここは笠置山かさぎやまなかにあるが、笠置村かさぎむらとはいわない。神戸かんべしょう柳生谷やぎゅうだにといっている。
その柳生谷やぎゅうだには、山村さんそんとよぶには、どこか人智じんちひかりがあり、家居かきょ風俗ふうぞくにもととのいがあった。といって、まちるには、戸数こすうすくなくて、浮華ふかいろがちっともない。中国ちゅうごくしょくかよ途中とちゅうにでもありそうな「山市さんし」といったおもむき土地とちである。
この山市さんしのまんなかに、土民どみんが「おやかた」とあおおおきな住居じゅうきょがあって、ここの文化ぶんかも、領民りょうみん安心あんしんも、すべての中心ちゅうしんが、そのふるとりで形式けいしきった石垣いしがきいえにあった。そして領民りょうみん千年せんねんむかしからみ、領主りょうしゅも、たいら将門まさかどらんをなした大昔おおむかしころからここにんで、わずかながら土民どみんうえ文化ぶんかき、弓矢ゆみやくらっていた土豪どごうである。
そしてこの土地四とちよんしょうを、祖先そせん自分じぶんたちの郷土きょうどとしてをもって愛護あいごしていた。どんな戦禍せんかがあっても、領主りょうしゅたみとが迷子まいごにはならなかった。
せきはら戦後いくさあと、すぐちか奈良ならまちは、あのとおり浮浪人ふろうにん占拠せんきょされ、浮浪人ふろうにんはこびこんだ悪文化あくぶんか風靡ふうびされて、七堂しちどう伽藍がらん法燈ほうとうれわびてしまったが、この柳生谷やぎゅうだにから笠置地方かさぎちほうには、そんな不逞ふてい分子ぶんしはさがしてもはいんでていない。
その一例いちれいても、いかにこのへん郷土きょうどがそんな不純ふじゅんれない気風きふう制度せいどっているかがうかがえるのである。
領主りょうしゅがよくて領民りょうみんがよいばかりではない、朝夕あさゆう笠置かさぎやまはきれいだし、みずちゃんでむと甘味うまい。――それからまた梅花うめつきちかくにあるので、うぐいすゆきけないころから、雷鳴かみなりおお季節きせつまでえることはなく、その音色ねいろはまた、このやまみずよりもきよい。
詩人しじんは、――英雄生えいゆううま所山河清ところさんがあおシ、といったが、こんな郷土きょうどから、もし一人ひとり偉人いじんでもまれなかったら、詩人しじんうそつきといってよいし、ここの山河さんがは、ただうつくしいのみで不産女うまずめ風景ふうけいといってもいい。でなければ郷土きょうど血液けつえきがよほど頑愚がんぐか、どっちかであるが、やはりここには人傑じんけつていた。領主りょうしゅ柳生家やぎゅうけ証拠しょうこだてている。また、はたけからて、いくさのたびにこうて、よい家臣かしんとなって随身ずいしんしている家中かちゅうにも、すぐれた人物じんぶつがすくなくない。それはみなこの柳生谷やぎゅうだに山河さんがうぐいすんだ英雄えいゆうといえるのである。
いまはその「石垣いしがきのおやかた」には、隠居いんきょされた柳生やぎゅう新左衛門尉宗厳しんざえもんのじょうむねよしが、いま石舟斎せきしゅうさい簡素かんそあらためてしまって、しろからすこしおくささやかな山荘さんそうにかくれ、政務せいむおもてのほうには、だれいま家督かとくにんあたっているのかわからないが、石舟斎せきしゅうさいには、いいどもやまごがたくさんにあるし、家臣かしんにもたの甲斐がいあるものおおいから、石舟斎せきしゅうさいたみていた時代じだいとなんのかわりもなかった。
「ふしぎだ」
武蔵むさしが、ここのんだのは般若野はんにゃののことがあってから十日とおかほどあとであった。附近ふきん笠置寺かさぎでらとか浄瑠璃寺じょうるりでらとか、建武けんむ遺跡いせきなどをさぐって、宿やども、どこかへり、充分じゅうぶん心身しんしん静養せいようもして、その宿やどから散歩さんぽのていでかけてたものらしく、ほんの着流きながしであり、いつものごとこしッついている城太郎じょうたろうも、わら草履ぞうり穿いていた。
民家みんか生活せいかつはたけ作物さくもつをながめ、またきかうもの風俗ふうぞく注意ちゅういし、そのたびに、武蔵むさしが、
「ふしぎだ」
何度なんどつぶやくので、
「おじさん、なにがふしぎ?」
と、城太郎じょうたろうはむしろ武蔵むさしつぶやきこそ、不思議ふしぎとして、こうたずねた。