67・宮本武蔵「水の巻」「般若野(9)(10)」


朗読「67水の巻31.mp3」13 MB、長さ: 約9分24秒

はじめておにかかる。――宮本殿みやもとどのといわるるか」
 つかつかとあゆってて、こういんぎんに礼儀れいぎをする長身ちょうしん白皙はくせきそうを、まえて、
「オ……」
 武蔵むさしは、われにかえって、やいばげた。
「お見知みしりおきください。わたくしが宝蔵院ほうぞういん胤舜いんしゅんです」
「む。あなたが」
過日かじつは、せっかくおたずくだされたよしですが、不在ふざいおりで、残念ざんねんなことをしました。――なお、そのせつは門下もんか阿巌あごんが、みぐるしいていをおにかけ、かれとして胤舜いんしゅんっております」
「…………」
 はてな?
 武蔵むさしは、相手あいてのことばを、みみあらってなおすように、しばらくだまっていた。
 このひと言語げんごや、言語げんごにふさわしい立派りっぱ態度たいどを、こちらも、礼儀れいぎをもってれるには、武蔵むさしはまず、自分じぶんあたまなか混在こんざいしているものからさきととのえてかなければならなかった。
 それにはまず宝蔵院衆ほうぞういんしゅうが、なにゆえに、自分じぶんけてくるはずのやりを、にわかにさかさにして味方みかたしんじて油断ゆだんしていた牢人ろうにんどもを、みなごろしに刺殺しさつしてしまったのか?
 その理由わけが、武蔵むさしにはきようもない。意外いがい結果けっかに、ただあきれているのだ。自分じぶん生命せいめい健在けんざいにさえあきれているのだ。
血糊ちのりのよごれでもおあらいになって、ご休息きゅうそくなされい。――さ、こちらで」
 胤舜いんしゅんは、さきあるいて、焚火たきびのそばへ武蔵むさしさそってゆく。
 城太郎じょうたろうは、かれのたもとをはなれなかった。
 用意よういして奈良なら晒布ざらし一反いったんいて、坊主ぼうずたちは、やりいていた。その坊主ぼうずたちも、武蔵むさし胤舜いんしゅんが、焚火たきびむかってひざをならべている姿すがたて、すこしも不審ふしんとしていない。当然とうぜんのように、自分じぶんたちも、やがてじって、雑談ざつだんはじめるのだった。
「――ろ、あんなに」
 一人ひとりそらゆびさし、
「もうからすのやつが、ぎつけて、このにあるたくさんの死骸しがいのどらしてやってた」
「――りてないな」
「おれたちがれば、あらそって死骸しがいへたかる」
 そんな暢気のんき話題わだいさえる。武蔵むさし不審ふしんは、武蔵むさしから質問しつもんしなければだれかたってくれそうもない。
 胤舜いんしゅんむかい、
じつは、拙者せっしゃはあなたがたこそ、今日きょうてきおもい、一人ひとりでもよけいに冥途めいどへおもうそうと、ふか覚悟かくごしていたのですが、それがかえって拙者せっしゃにお味方下みかたくださるのみか、どうしてかようにおもてなしたまわるのか、不審ふしんでならぬが」
 すると胤舜いんしゅんは、わらって、
「いや貴公きこうにお味方みかたしたおぼえはない。ただすこし手荒てあらではござったが、奈良なら大掃除おおそうじをしただけのことです」
大掃除おおそうじとは」
 そのとき胤舜いんしゅんは、ゆび彼方あなたへさして、
「そのことは、てまえからおはなしするより、あなたをよくっている先輩せんぱい日観師にっかんしが、おにかかってしたしくおはなもうすでしょう。――御覧ごらんなさい。野末のずえのほうから、まめつぶほど人馬じんばかげ一群ひとむえてたでしょう。あれが、日観師にっかんしと、そのほかの人々ひとびとちがいありません」

「――老師ろうしはやいの」
「そちらがおそいのじゃ」
うまよりはやい」
「あたりまえ」
 猫背ねこぜ老僧日観ろうそうにっかんだけ、こまあしをしりにかけて、自分じぶんあしあるいていた。
 般若野はんにゃのけぶりをあてに。
 その日観にっかん前後ぜんごして、五人ごにん騎馬きば役人やくにんが、かつかつといしころをってく。
 ちかづくのをて、此方こなたでは、
老師ろうし老師ろうし
 と、ささやきあう。
 坊主ぼうずたちはずっと退がって、おごそかな寺院じいん儀式ぎしきときのように、一列いちれつならんで、そのひとと、騎馬役人きばやくにんとをむかえた。
かたづいたかい?」
 日観にっかんが、そこへての最初さいしょのことばだった。
「はっ、おおせのように」
 と、胤舜いんしゅん師礼しれいっていう。
 そして、騎馬役人きばやくにんむかい、
御検視ごけんし、ご苦労くろうです」
 役人やくにんたちは、順々じゅんじゅんに、くらつぼからり、
「なんの、ご苦労くろうなのは、其許そこもとたちのほうさ。どれ一応いちおう――」
 と、彼方此方あちこちよこたわっている十幾じゅういくつかの死骸しがいて、一寸ちょっとおぼえをめる程度ていど事務じむって、
取片とりかたづけは、役所やくしょからさせる。あとことておいて、退去たいきょしてよろしい」
 いいわたすと、役人やくにんらは馬上ばじょうかえって、ふたたび野末のずえった。
「おまえたちもどれ」
 日観にっかん命令めいれいくだすと、やりならべている僧列そうれつは、黙礼もくれいしてあゆみだした。それをれて、胤舜いんしゅんも、武蔵むさしへ、あいさつをのこしてかえってった。
 ひとると、
 ぎゃあアぎゃあア!
 からすれは、きゅう厚顔あつかましく地上ちじょうりてて、死骸しがいへたかり、梅酢うめずびたようになって、驚喜きょうきつばさっている。
「うるさいやつ
 日観にっかんはつぶやきながら、武蔵むさしのそばへて、気軽きがるにいった。
「いつぞやは失礼しつれい
「あっ、そのおりは……」
 あわててかれ両手りょうてをつかえた。そうせずにはいられなかった。
「おをおげ。野原のはらなかで、そう慇懃いんぎんなのもおかしい」
「はい」
「どうじゃな、いまはすこし、勉強べんきょうになったか」
仔細しさい、おかせくださいませ。どうして、こういうおはからいを?」
「もっともだ。じつはの」
 と、日観にっかんはなすには――
今帰いまかえった役人やくにんたちは、奈良奉行大久保長安ならぶぎょうおおくぼながやす与力衆よりきしゅうでな、まだ奉行ぶぎょう新任しんにん、あのしゅう土地とちれん。そこをつけんで、わる牢人ろうにんどもが、り、強盗ごうとう賭試合かけじあい、ゆすり、女隠おんなかくし、後家見舞ごけみまい、ろくなことはせん。奉行ぶぎょうをやいていたものだ。――山添団八やまぞえだんぱち野洲川やすかわ安兵衛やすべえなど、あの連中十四れんちゅうじゅうしがそのグレ牢人ろうにん中心ちゅうしんもくされていた」
「ははあ……」
「その山添やまぞえ野洲川やすかわなどが、おぬしにいかりをいだいたことがあろう。だが、おぬしの実力じつりょくっているので、その復讐しかえしを、宝蔵院ほうぞういんでさせてやろう、こう、うまいことを彼奴きゃつらはかんがえた。そこで仲間なかまかたらい、宝蔵院ほうぞういん悪口わるくちをいいふらし、落首らくしゅなどりちらして、それをみな宮本みやもと所為しょいだと、いちいち、こっちへくちたものだ。――わしを盲目もうもくおもうてな」
 いている武蔵むさしは、微笑びしょうしてきた。
「――よいおり、このおりひとつ、奈良ならまち大掃除おおそうじをしてくれよう。こうかんがえて、胤舜いんしゅんさくさずけたのじゃ。イヤ、よろこんだのは、門下もんか坊主ぼうずどもと、奈良なら奉行所ぶぎょうしょ。それからこの野原のはらからすじゃった。アハハハハ」