65・宮本武蔵「水の巻」「般若野(5)(6)」


朗読「65水の巻29.mp3」13 MB、長さ: 約9分43秒

 ――るぞっ。
 もうくちしていうものはない。
 けれど、徐々じょじょに、片手かたてけんをさげた武蔵むさし姿すがたが、沛雨はいうをつつんだいち黒雲こくうんのように、てきしんへ、やがてりかかるものを、恐怖きょうふさせていたことはたしかである。
「…………」
 不気味ぶきみ一瞬いっしゅんしずけさは、双方そうほうかんがえる瞬間しゅんかんであるのだ。武蔵むさしかおはまったく蒼白そうはくになっている。死神しにがみが、かれかおりて、
(――どれからさきに)
 と、うかがっているかのようなひかりになっている。
 牢人ろうにんれも、宝蔵院衆ほうぞういんしゅうれつも、その一人ひとりてきたいして、圧倒的あっとうてき多数たすうようしてはいるが、かれほど、蒼白そうはくになっているかおひとつもなかった。
(――多寡たかが)
 と、しゅうたのんでいる気持きもちが、どこかに楽天的らくてんてきなものをたたえ、ただ死神しにがみさきにつかまることを、おたがいが警戒けいかいしているだけにぎない。
 ――と。
 やりをつらねている宝蔵院衆ほうぞういんしゅうれつはしにいた一人ひとりそうが、合図あいずくだしたかのようにえたときである、十数名じゅうすうめい黒衣こくい槍仕やりし一斉いっせいに、わっと、わめきながら、そのれつをくずさずに、武蔵むさしみぎがわへ、まわった。
武蔵むさし――ッ」
 と、そのそうがさけんだ。
くところによれば、なんじ、いささかのうでほこって、この胤舜いんしゅん留守中るすちゅうに、門下もんか阿巌あごんたおし、またそれに増長ぞうちょうして、宝蔵院ほうぞういんのことを、しざまに世間せけんへいいふらしたのみか、辻々つじつじへ、落首らくしゅなどらせて、吾々われわれ嘲笑ちょうしょうしたともうすことであるが、しかとそうか」
「ちがう!」
 武蔵むさしこたえは、簡明かんめいだった。
「よく物事ものごとは、みみできくばかりでなく、はらろ、坊主ぼうずともあるものが」
「なにッ」
 まきあぶらである。
 胤舜いんしゅんをさしいて、ほかのそうたちが口々くちぐちに、
問答無用もんどうむようっ」
 といった。
 すると、挟撃きょうげきかたちをとって、武蔵むさしひだりがわにむらがっていた牢人ろうにんたちが、
「そうだっ」
「むだくちたたくかすなっ」
 がやがやとののしして、自分じぶんたちのいているやいばり、宝蔵院衆ほうぞういんしゅうくだすのを煽動せんどうした。
 武蔵むさしは、そこの牢人達ろうにんたちのかたまりが、くちばかりで、しつ結束けっそくもろいことを、見抜みぬいたらしく、
「よしっ、問答もんどうおよぶまい。――だれだっ、相手あいては」
 かれが、きっと、自分じぶんたちへかかったので、牢人ろうにんたちは、おもわずあし退いてくずれ、なか三名さんめいだけが、
「おれだっ」
 けなげに、大刀だいとう中段ちゅうだんにかまえると、武蔵むさしはいきなりその一人ひとりむかって、軍鶏しゃものような飛躍ひやくせた。
 どぼっと、せんんだようなおとがして、しおがちゅうめた。同時どうじにぶつけ生命いのち生命いのちひびきだった。たんなる気合きあいでもない、また言葉ことばでもない、異様いようわめきが人間にんげんのどからはっするのである。まさしくそれは人間にんげん会話かいわでも表現ひょうげんでもなく原始林げんしりんでするけものえるこえちかいものであった。
 ずずんっ、ずしいんっ、と武蔵むさしにある刃鉄はがねが、つよい震動しんどうを、自己じこ心臓しんぞうおくるたびに、かれけん人間にんげんほねっているのだった。いっさつごとに、その鋩子きっさきからにじのようにき、脳漿のうみそき、ゆびのかけらをばし、なま大根だいこんのように人間にんげんうでくさむらへほうした。

 はじめから、牢人ろうにんたちのがわには、弥次気分やじきぶん楽天的らくてんてきぶりが、多分たぶんただよっていて、
(――たたかうのは宝蔵院衆ほうぞういんしゅう、おれたちは、人殺ひとごろしの見物けんぶつ
 とかんがえていたらしいのである。
 武蔵むさしが、そこのれを、脆弱ぜいじゃくて、いきなりかれらの一団いちだんいてったのは戦法せんぽうとしても当然とうぜんだ。
 だが、かれらも、あわてはしなかった。かれらのあたまには、宝蔵院ほうぞういん槍仕やりしたちがひかえているという絶対的ぜったいてきたのみがある。
 ところが。
 すでに戦闘せんとうはひらかれ、自分じぶんたちの伸間なかま二人仆ふたりたおれ、五人ごにん六人ろくにんと、武蔵むさし太刀たちにかかっているのに、宝蔵院側ほうぞういんがわは、やりよこべて傍観ぼうかんしているのみで、一人ひとり武蔵むさしたいして、いてないではないか。
 くそっ、くそっ――
 やっちまえ、はやく。
 うわうッ。
 だッ……だッ……
 こなくそっ。
 ぎゃんっ!
 あらゆる音響おんきょうやいばなかからはっし、奇怪きかいなる宝蔵院衆ほうぞういんしゅう不戦的態度ふせんてきたいどに、ごうをにやし、不平ふへいをさけび、助勢じょせいもとくのだったが、やり整列せいれつは、いッこううごかない。声援せいえんもしない。まるでみずのごときれつである。かくてみすみす武蔵むさしのため、りまくられているかれらには、
(これでは、約束やくそくがちがう、このてきはそっちのもので、おれたちは第三者だいさんしゃだ、これではあべこべではないか)
 という苦情くじょう言葉ことばでいういとますらないのだ。
 さけった泥鰌どじょうのように、かれらは、にあたまがくらんでしまった。仲間なかまやいば仲間なかまなぐり、ひとかおが、自分じぶんかおみたいにえ、そのくせてき武蔵むさしかげは、しかみとめることができないため、ふりまわかれらのかたなは、したがって、味方同士みかたどうし危険きけんであるばかりであった。
 もっとも武蔵自身むさしじしんもまた、自分じぶんなに行動こうどうしているか、一切無自覚いっさいむじかくであった。ただかれ生命せいめい構成こうせいしている肉体にくたい全機能ぜんきのうが、その一瞬いっしゅんに、三尺さんじゃくらない刀身とうしんりかたまって、まだ五歳いつつ六歳むっつ幼少ようしょうから、きびしいちちでたたきこまれたものだの、そのあとせきはらいくさ体験たいけんしたものだの、また、ひとやまなかはいって相手あいて自得じとくしたもの、さらに、諸国しょこくをあるいて諸所しょじょ道場どうじょう理論的りろんてきにふだんかんがえていたものだの、およそ今日こんにちまでたすべての鍛錬たんれんが、意識いしきなく、五体ごたいから火花ひばなとなってはっしているにぎないのである。――そして、その五体ごたいは、ちらすつちくさとも同化どうかして、完全かんぜんに、人間にんげん解脱げだつしたかぜすがたとなっている。
 ――死生一如しせいいちじょ
 どっちへすることもあたまにない人間にんげんのあるときすがた
 それが、いま白刃しらはのなかをけまわっている武蔵むさし姿すがただった。
られてはそん
にたくない)
(なるべく他人たにんあたらせて――)
 というような雑念ざつねんかたわらに刃物はものをふりまわしている牢人ろうにんたちが、ぎしりしても、一人ひとり武蔵むさしたおないのみか、かえって、そのにたくないやつが、こうからりつけられたりしてしまうのも皮肉ひにくではあるが、是非ぜひもない。
 やりをならべている宝蔵院衆ほうぞういんしゅうなか一人ひとりが、それをながめながら、自分じぶん呼吸こきゅうをかぞえていると、その時間じかんは、呼吸こきゅうのかずにして約十五やくじゅうごか、二十にじゅうをかぞえるにらない寸秒すんびょうあいだであった。
 武蔵むさし全身ぜんしん
 のこっている十人じゅうにんほどの牢人ろうにんもみなまみれ。あたりの大地だいち、あたりのくさ、すべてがあかどろんこになって、もよおすような血腥ちなまぐさいものがみなぎると、それまでささえていた牢人ろうにんたちも、とうとうたのむ助勢じょせいちきれなくなって、
「わあっ――」
 とはやく――ものは――ひょろひょろと、八方はっぽうあしらかした。
 それまでは、まんして、しろ穂先ほさきをつらねていた宝蔵院ほうぞういん槍仕やりしたちが、どっと、一斉いっせいにうごいたのは、それからであった。