64・宮本武蔵「水の巻」「般若野(3)(4)」


朗読「64水の巻28.mp3」13 MB、長さ: 約9分15秒

 このあいだ宝蔵院ほうぞういんで、武蔵むさし実力じつりょくには、おおいにおそれをいている山添団八やまぞえだんぱちであるが、それかといってとしはまだ二十一にじゅういち田舎武士いなかぶしにすこしひれがついて世間せけんおよした程度ていどにしかえない武蔵むさしたいして、はらからかぶといではいない。
武蔵むさしどの。これから、たびはどちらの方面ほうめんへ」
伊賀いがえ、伊勢路いせじまいろうとおもう。――貴公きこうは」
「それがしは、ちと用事ようじがあって、つきまで」
柳生谷やぎゅうだには、あの近傍きんぼうではありませんか」
「これから四里よんりほどして大柳生だいやぎゅう、また一里いちりほどくと小柳生こやぎゅう
有名ゆうめい柳生殿やぎゅうどのしろは」
笠置寺かさぎてらからとおくないところじゃ。あれへもぜひってかれたがよいな。もっともいま大祖たいそ宗厳むねよしこうは、もう茶人ちゃじん同様どうよう別荘べっそうのほうへこもられ、御子息ごしそく但馬守たじまのかみ宗矩むねのりどのは、徳川家とくがわけされて、江戸えどっているが」
「われらのような一介いっかい遍歴へんれきものにでも、授業じゅぎょうしてくださろうか」
「たれかの紹介状しょうかいじょうでもあればなおよろしいが。――そうそうつき此方このほう懇意こんいにしている鎧師よろいし柳生家やぎゅうけへも出入でいりしている老人ろうじんがある、なんならたのんであげてもよいが」
 団八だんぱちは、武蔵むさしひだりひだりへと、とく意識いしきしてならんであるいていた。所々ところどころに、すぎまきなどのがぽつねんと孤立こりつしているほか、視野しや何里なんりとなくひろかった。ただおおきな起伏きふくひくおかえがき、そこをみち多少たしょうのゆるいのぼりやくだりがあるだけである。
 般若坂はんにゃざかちかいころであった。そのひとつのおか彼方かなたから、だれか、焚火たきびでもしているらしく茶褐色ちゃかっしょくのけむりがえる。
 武蔵むさしは、あしめ、
「はてな?」
なにが」
「あのけむり
「それがどうしたのでござる」
 団八だんぱちは、ぴったりっている。そして武蔵むさしかおいろをかれかおいろが、ややこわばる。
 武蔵むさしゆびさして、
「どうもあのけむりには妖気ようきがあるようにおもう。貴公きこうには、どうえるな」
妖気ようきというと?」
「たとえば」
 と、けむりへさしていたゆびを、こんどは団八だんぱちかおなかへさして、
なんじのひとみにただよっているようなものをいう!」
「えっ」
せてやるっ、このことだっ!」
 突然とつぜん春野はるののうららかな静寂しじまをやぶッて、キェッ――という悲鳴ひめいはしったとおもうと、団八だんぱちのからだもむこうへ退き、武蔵むさしからだもうしろへかえっていた。
 何処どこかで、
「あっ――」
 とおどろいていうものがあった。
 それは二人ふたりえておかのうえにチラといまかげせて此方こっちていた人間にんげんである、それも二人連ふたりづれであった。
「やられたっ!」
 というような意味いみ大声おおごえをあげて、そのものたちは、げながら何処どこかへはしってゆく。
 ――武蔵むさしには、ひくったがキラキラとひかりねている。そして、がってたおれたなり山添団八やまぞえだんぱちはもうたないのである。
 しのぎを、垂直すいちょくにこぼしながら、武蔵むさしはまたしずかにあゆした。はなみながら焚火たきびのけむりがつぎおかかたへ。

 おんなでられるようにびんをなぶるはる微風びふうがある。武蔵むさしは、しかし自分じぶんかみがみな逆立さかだっているかとおもう。
 一歩いっぽ一歩いっぽかれのからだはてつみたいににくまった。
 おかつ。――したる。
 なだらかなさわがひろく見渡みわたされた。焚火たきびは、そこのさわいているのだ。
たっ――」
 さけんだのは、その焚火たきびかこんでいた大勢おおぜいものではなくて、武蔵むさし位置いちをずっとはなれて、そこへあし迂回うかいしてった二人ふたりおとこであった。
 いま武蔵むさしあしもとで、一太刀ひとたちりすてられた山添団八やまぞえだんぱち仲間なかまもの――野洲川やすかわ安兵衛やすべえと、大友伴立おおともばんりゅうという牢人ろうにんであることはもうあきらかにわかるほどな距離きょりである。
 たっというこえたいして、
「え、たっ?」
 おうむかえしにいって、焚火たきびのまわりのものは、いっせいに大地だいちからこしげ、また、そこからはなれて、おもおもいになたにたむろしていた者達ものたちも、すべて、総立そうだちになった。
 人数にんずうはというと、およそ三十名近さんじゅうめいちかい。
 そのうち約半数やくはんすうそうであり、あと半数はんすうほどは雑多ざった牢人者ろうにんものれなのである。おかかたえてこのさわから般若坂はんにゃざかへぬけてゆくみちの、そのおかうえに、いま武蔵むさし姿すがたあらわれたのをみとめると、
(うむ!)
 こえとしてはない一種いっしゅ殺伐さつばつ動揺どよめきが、そのれのうえみなぎりわたった。
 しかも、武蔵むさしには、すでにったけんげられている。戦闘せんとうは、おたがいのすがたをまえから口火くちびってしまったのだ。それも、せていた多勢たぜいのほうからではなく、はかられてたはずの武蔵むさしのほうから宣戦せんせんしてきたのだ。
 野洲川やすかわ大友おおとも二人ふたりは、
「――山添やまぞえが、山添やまぞえが」
 と早口はやくちにいって、仲間なかま一人ひとりが、すでに武蔵むさしやいばにかかってたおれたことを、大仰おおぎょうつきでげているらしくえる。
 牢人ろうにんたちは、がみをし、宝蔵院ほうぞういんそうたちは、
小癪こしゃくな」
 と、陣容じんようつくって、武蔵むさしのほうをめつけた。
 宝蔵院衆ほうぞういんしゅう十数名じゅうすうめいは、みなやりだった。片鎌かたかまやり、ささやりおもおもいの一槍いっそうをかいこんで、黒衣こくいのたもとをにむすび、
「――おのれ、今日きょうこそ」
 と、いん名誉めいよと、高足阿巌こうそくあごん無念むねんを、ここでそそごうとする宿意しゅくいが、もうおもてけられない。ちょうど、地獄じごく邏卒らそつれつつくっているのとかわりはない。
 牢人ろうにんたちは、牢人ろうにんたちのみで、一団いちだんにかたまって、武蔵むさしげないように包囲ほういしながら見物けんぶつしようという計画けいかくらしく、なかには、げらげらわらっているものがある。
 けれど、その手数てすう不要ふようだった。かれらは、どころにったまま、自然しぜん鶴翼かくよく陣形じんけいつくっていればそれでよかった。てき武蔵むさしに、すこしも、げたり、狼狽ろうばいしたりする様子ようすがないからである。
 武蔵むさしあるいている。
 それもきわめて、一足一足ひとあしひとあしねばつちでもんでいるように、やわらかな若草わかくさがけを、すこしずつ、しかし――いつわしのごとくぶかもれない姿勢しせいをもちながら、にあまる人数にんずうまえへ――というよりは死地しちへ――ちかづいてるのであった。