60・宮本武蔵「水の巻」「奈良の宿(3)(4)」


朗読「60水の巻24.mp3」15 MB、長さ: 約10分40秒

「いやどうも、なんともおどろったわけです」
 すわるとすぐ、その三名さんめいは、誇張こちょうしたもののいいかたで、武蔵むさしをおだてくのであった。
「おそらく、宝蔵院ほうぞういんおとずれたもので、あそこの七足ななたり高弟こうてい一撃いちげきたおしたなどという記録きろくは、いままでにないことでござろう。ことに、あの傲岸ごうがん阿巌あごんが、うんとうなったきり、血涎ちよだれをしてまいってしまうなどは、ちかごろ愉快ゆかいきわまることだ」
吾々われわれのうちでも、えらいひょうにのぼっておる。一体いったい宮本武蔵みやもとむさしとは何者なにものであろうなど、当地とうち牢人仲間ろうにんなかまでは、るとさわると、貴公きこうのうわさであるし、同時どうじに、宝蔵院ほうぞういんもすっかり看板かんばん味噌みそをつけてしまったというておる」
「まず、貴公きこうのごときは、天下無双てんかむそうといってもさしつかえあるまい」
としばえもまだおわかいしな」
びる将来性しょうらいせいは、多分たぶんっておられるし」
失礼しつれいながら、それほどな実力じつりょくちながら、牢人ろうにんしておらるるなどとは、勿体もったいない」
 ちゃればちゃをガブみにし、菓子かしがくれば菓子かしくずひざにこぼしてボリボリむさぼる。
 そして、められている当人とうにん武蔵むさしかおのやりこまるほど、くちきわめて称揚しょうようするのである。
 おかしくも、くすぐッたくもないようなかおをして、武蔵むさし相手あいてだまるまで喋舌しゃべらせておいたが、てしがないので、
「しておのおのは?」
 姓名せいめいたずねるとはじめて、
「そうそう、これは失礼しつれいをしておった。それがしは、もと蒲生殿がもうどの家人けにんで、山添団八やまぞえだんぱち
此方こなた大友おおとも伴立ばんりゅうもうし、卜伝流ぼくでんりゅうきわめ、いささか大志たいしいだいて、時勢じせいにのぞまんとする野望やぼうもあるものでござる」
「また、てまえは、野洲川安兵衛やすかわやすべえといい織田殿以来おだどのいらい牢人ろうにん牢人者ろうにんもので。……ははははは」
 これで一通ひととお素姓すじょうわかったが、なんのために自分じぶん貴重きちょう時間じかんをつぶして他人たにん貴重きちょう時間じかん邪魔じゃましにたのか、それも武蔵むさしほうからかないうちはらちがあかないので、
ときに、御用向ごようむきはなんであるか」
 はなしのすきをていうと、
「そうそう」
 と、それもいまさらがついたように、じつは、折入おりいっての相談そうだんでやってたのだがと、にわかに、ひざをすすめていう。
 ――ほかでもないが、この奈良なら春日かすがしたで、自分じぶんたちでいま興行こうぎょうをもくろんでいる。興行こうぎょうというと能芝居のうしばい人寄ひとよせの見世物みせものとおかんがえになるだろうが、さにあらず、おおいに民衆みんしゅうのうちへ武術ぶじゅつ理解りかいさせるためのかけ試合じあいである。
 いま小屋こやけさせつつあるところだが、前人気まえにんきはなかなかよい。だが、三人さんにんではじつはすこしりないがするし、いかなるごうものて、せっかくの利益りえき一勝負ひとしょうぶでさらわれてしまわないともかぎらないので――じつは、其許そこもと一枚入いちまいはいってもらえまいかと、談合だんごうにやってたわけである。承知しょうちしてくれれば、利益りえき勿論山分もちろんやまわけ、そのかん食費しょくひ宿料やどりょう一切いっさいこっちでとう。ひともうけして、つぎたびむかわれる路銀ろぎんをおこしらえになってはいかが?
 ――しきりとすすめるのを、武蔵むさしはにやにやいていたが、もう飽々あきあきしたというていで、
「いや、そういう御用ごようなら、長座ながい無用むよう、ごめんをこうむる」
 あっさりことわると、三名さんめいほうでは、むしろ意外いがいとするらしく、
「なぜで?」
 とたたみかけてる。
 そこまでいたると、武蔵むさしはすこしかついてて、青年せいねん一徹いってつしめし、昂然こうぜんといった。
拙者せっしゃは、ばくちちではない。また、めしはしおとこで、木剣ぼっけんではわんおとこだ」
「なに、なんだと」
「わからんか、宮本みやもとせてもれても、剣人けんじんをもってにんじておるのだ、馬鹿ばかかえれっ」

 ふふんと、一人ひとり冷笑れいしょうくちびるあたりにながし、一人ひとりあか怒気どきかおにふきして、
わすれるな」
 それが、科白ぜりふだった。
 自分じぶんたちがたばになっても、のないことをその三名さんめいはよく心得こころえている。かなりにがかおつきと、はらなかのものをおさえて、ただ跫音あしおと態度たいどにだけ、
(これだけでかえるのでないぞ)
 の意思いししめし、どやどやそとったのである。
 このごろ毎晩まいばんはだぬるいおぼろだった。階下したわか御寮人ごりょうにんは、武蔵むさしとまっているうちは安心あんしんだといって一方ひとかたならない馳走ちそうをするのであった。きのうも今宵こよいも、武蔵むさし階下したでもてなされて、こころよったからだを長々ながながと、あかりのない二階にかい一間ひとまよこたえて、おもうさまわか手脚てあしをのばしていた。
残念ざんねんだ」
 またしても、奥蔵院おくぞういん日観にっかんのことばがあたまにうかぶ。
 自分じぶんけん打負うちまかしたものはみな、たとえそれが半死はんじにさせたものでも、武蔵むさし次々つぎつぎ泡沫うたかたのようにあたまからその人間にんげんわすれてしまうのであったが、すこしでも、自分じぶんよりはすぐれたもの――自分じぶん圧倒あっとうかんじたもの――そういう他人たにんたいしては、いつまでも執着しゅうちゃくつことができない。りょうのように、その相手あいてつことをわすれることが出来できないのである。
残念ざんねんだ」
 まろびたまま、かみをぎゅっとつかむ。どうしたら日観にっかんのうえにつことが出来できるか、あの不気味ぶきみなひとみからなん圧伏あっぷくかんじない自分じぶんになれるだろうか。
 きのうも今日きょうも、悶々もんもんと、かれはそれからはなれることが出来できなかった。残念ざんねんというひびきは、自分じぶんむかっていううめきであって、ひとのろうためいきではない。
 時々ときどきかれはまた、
(おれは駄目だめかな?)
 と、自己じこ才分さいぶんうたがわざるをなかった。日観にっかんのような人間にんげんあうと、あれまでけるかどうかが自分じぶんうたがわれてるのである。元々もともと自分じぶんけんというものは、について、法則的ほうそくてき修行しゅぎょうけたものでないだけに、かれには、自分じぶんちからがどの程度ていどのものか、自分じぶんではよくわかっていなかった。
 それに、日観にっかんは、
つよすぎる、もうすこし、よわくなるがよい)
 といった。
 あの言葉ことばなども、武蔵むさしには、どうもまだよくみこめないのだ。兵法者へいほうものである以上いじょうつよいということは、絶対ぜったい優越ゆうえつであるべきであるのに、なぜ、それらが欠点けってんになるのか。
 てよ、あの猫背ねこぜ老僧ろうそうが、なにをいうか、それも疑問ぎもんだ。こっちを若年者じゃくねんものて、真理しんりでもないことを、まことらしくいて、けむいてかえしてやったなどと、あとわらっているというもないとはかぎらない――
ほんなども、むがいいかわるいかれたものではない)
 武蔵むさしは、ちかごろになって、時々ときどきそれをかんがえる。どうもあの姫路城ひめじじょう一室いっしつ三年間さんねんかんしょんだあと自分じぶんというものは、まえとちがって、なにかにつけ、物事ものごとことわりこうとするくせがついているようだ。自己じこ理智りちをとおしてうなずけることでないと、こころから承認しょうにんすることが出来できない人間にんげんになっている。けんのことばかりでなく、社会しゃかい観方みかた人間にんげん観方みかた、すべてが一変いっぺんしていることはたしかである。
 そのために、自分じぶん猛勇もうゆうというものは、少年時代しょうねんじだいかられば、ずっとよわまっているとかんがえられるのに、あの日観にっかんは、まだつよすぎるというのだ。それはうでつよさをいうのではなく、自分じぶん天分てんぶんにある野性やせい争気そうきしていっていることだけは、武蔵むさしにもわかっている。
兵法者へいほうものに、書物しょもつなどはらない智恵ちえだ。生半可なまはんか、ひとのこころもちのうごきに敏感びんかんになったから、かえって、こっちのおくれるのだ。日観にっかんなども、をとじて一撃いちげきおとせば、じつもろ土偶でくみたいなものかもれないのだ」
 だれかここへがってるらしく、そのときかれ手枕てまくらに、梯子はしごだんの跫音あしおとつたわってた。