59・宮本武蔵「水の巻」「奈良の宿(1)(2)」


朗読「59水の巻23.mp3」14 MB、長さ: 約10分06秒

奈良なら宿やど

けた。おれはやぶれた」
 くら杉林すぎばやしなか小道こみちを、武蔵むさしはこうひとつぶやきながらかえってく。
 時折ときおりすぎ木蔭こかげを、はやかげよこぶ。かれ跫音あしおとにおどろいてける鹿しかれだった。
つよいことにおいておれはっている。――しかしけたような気持きもちって宝蔵院ほうぞういんもんてきた。――かたちではったがけている証拠しょうこではないか」
 あまんじられない容子ようすなのである。むしろ無念むねんらしく、未熟者未熟者みじゅくものみじゅくものと、自分じぶんののしりながらあるいているかのように、うつつにあるいていた。
「あ」
 なにおもしたのであろう、ちどまっていた。宝蔵院ほうぞういんは、まだうしろにえていた。
 もどって、今出いまで玄関げんかんち、
「ただいまの、宮本みやもとでござるが」
「ほう」
 と、玄関坊げんかんぼうかおし、
「なんぞおわすものか」
明日あす明後日あさってあたり、わたしをたずねて、当院とういんきにまいものがあるはずですが、もしそのものえたときは、宮本みやもと当所とうしょ猿沢さるさわいけのあたりにわらじをいているゆえ、あのあたり旅籠はたごのきあるけ、とおつたえをねがいたいのです」
「ああ、左様さようか」
 うわのそら返辞へんじなので、武蔵むさしこころもとなくおもい、
「ここへあとからたずねてものは、城太郎じょうたろうもうして、まだ年端としはのゆかぬ少年しょうねんですから、どうぞしかとおつたねがいまする」
 いいおいて、もとみちをまた大股おおまたかえしながら、武蔵むさしはつぶやいた。
「やはり、けているのだ。――城太郎じょうたろう言伝ことづてをいいわすれてただけでも、おれはあの老僧ろうそう日観にっかんけをわされてもどっている!」
 どうしたら天下無敵てんかむてきけんになれるか。武蔵むさしは、てもめても、やまいのようにかれているのである。
 このけん、この一剣いっけん
 ってかえ宝蔵院ほうぞういんから、どうして、このにが自分じぶん未熟みじゅくさが、こびりついてるのだろう。
 なんとしても、たのしめない気持きもちらしい。
 怏々おうおうと、まどいながら、かれあしはもう猿沢さるさわ池畔ちはんていた。
 このいけ中心ちゅうしんに、狭井川さいがわ下流しもへかけて、天正てんしょうごろからえたあたらしい民家みんか乱雑らんざつてこんでいた。つい近年きんねん徳川家とくがわけ手代てだい大久保長安おおくぼながやすが、奈良奉行所ならぶぎょうしょもうけた一廓いっかくちかくであるし、中華ちゅうか帰化人きかじん林和靖りんなせい後裔こうえいだというものみせをひらいた宗因饅頭そういんまんじゅうもよくれるとみえ、いけむかってみせをひろげている。
 そこらのまばらなよいあかりると、武蔵むさしあしをとめて、どこにとまったものか、旅籠はたごまよった。旅籠はたごはいくらもあるらしいが、路銀ろぎん都合つごうもあるし、そうかといって、あまり場末ばすえ路地ろじ木賃きちんでは、あとからさがして城太郎じょうたろうにわかりにくかろう。
 いまがた宝蔵院ほうぞういん接待せったいにあずかってたばかりであるが、宗因そういん饅頭まんじゅうまえとおると、武蔵むさし食慾しょくよくをおぼえた。
 こしかけへちかって、饅頭まんじゅう一盆ひとぼんとってみる。饅頭まんじゅうかわには「りん」のいてあった。ここでべる饅頭まんじゅうあじは、宝蔵院ほうぞういんべた瓜漬うりづけあじのようにしたにわからないことはなかった。
旦那だんなさま、今夜こんやはどちらへおとまりでございますか」
 そこの茶汲ちゃくおんなはなしかけられたのをさいわいに、わけをはなしてはかってみると、それならみせ身寄みよりのもの内職ないしょく宿屋やどやをしているちょうどよいいえがあります、ぜひそこへとまっていただきたい、ただ今主人いましゅじんんでまいりますからと、まだ武蔵むさしとまるともなんともいわないうちに、もうおくはしって、青眉あおまゆ若女房わかにょうぼうしてた。

 宗因そういん饅頭まんじゅうみせからそうとおくもない、しかもしずかな小路こみち素人家しもたや
 案内あんないして青眉あおまゆ女房にょうぼうは、小門こもんをほとほとたたいて、なかいらえをいてのち武蔵むさしいて、しずかにいう。
「わたくしのあねいえでございますから、おこころづけなども、ご心配しんぱいなく」
 小女こおんなて、女房にょうぼうなにささやいていたが、すべて心得こころえているらしく武蔵むさしさき二階にかいとおし、女房にょうぼうはすぐ、
「では、ごゆるりあそばせ」
 とかえってしまった。
 旅籠はたごにしては、部屋へや調度ちょうど上等じょうとうすぎる、武蔵むさしはかえって落着おちつかなかった。
 食事しょくじはすんでいるので、風呂ふろはいると、るよりほかはない。そう生活せいかつこまるでもないらしいこの家構いえがまえをって、なん旅人たびびとなどをめるのか、武蔵むさしは、るにもがかりであった。
 小女こおんなにわけをいても、わらっていてこたえないのである。
 翌日よくじつになって、
あとかられがたずねてるはずゆえ、もう一両日泊いちりょうじつとめてもらいたいが」
 というと、
「どうぞ」
 小女こおんな階下したあるじげたのであろう、やがて、その女主人おんなあるじがあいさつにえた。三十さんじゅうぐらいな肌目きめのよい美人びじんである。武蔵むさしがさっそく不審ふしんをただすと、その美人びじんわらってはなすにはこうであった。
 じつ自分じぶんは、観世かんぜなにがしと能楽師のうがくし後家ごけであるが、この奈良ならにはいま素姓すじょうれない牢人ろうにんがたくさんんでいて、風紀ふうきわるいことはおはなしにならない。
 そうした牢人ろうにんたちのために、木辻きつじあたりには、いかがわしい飲食店いんしょくてん白粉おしろいおんな急激きゅうげきにふえているが、不逞ふてい牢人ろうにんたちは、そんなところではほんとにたのしまない。土地とちわかものなどをかたらって、毎晩まいばんのように「後家見舞ごけみまい」としょうして、男気おとこけのないいえおそってあるくことが流行はやっている。
 せき原以後はらいごは、すこしいくさがやんでいるかたちにあるが、年々としどし合戦がっせんで、どこの地方ちほうにも、浮浪人ふろうにんかずがおびただしくしている。そこで、諸国しょこく城下じょうかに、わる夜遊よあそびが流行はやったり窃盗せっとう沙汰ざただの強請者ゆすりもの横行おうこうしている。こんな悪風あくふうは、朝鮮役後ちょうせんえきごからの現象げんしょうで、太閤様たいこうさまんだものだとうらんでいるこえもあるとか。とにかく、全国的ぜんこくてきいまわる風紀ふうきみなぎっている。――それとせき原牢人はらろうにんのくずれがはいんでたため、この奈良ならまちでも、新任しんにん奉行ぶぎょうなどでは取締とりしめようもない有様ありさまだというのである。
「ははあ、それで拙者せっしゃのような旅人たびびとを、魔除まよけにおめなさるわけだな」
男気おとこけがないものですから」
 と、美人びじん後家ごけわらった、武蔵むさし苦笑くしょうがやまない。
「そんなわけですから、どうぞ幾日いくにちでも」
心得こころえた、拙者せっしゃのいるうちは、安心あんしんなさるがよい。しかしれのものが、ッつけここへさがしてることになっている。門口かどぐちへ、なに目印めじるししてもらいたいが」
「よろしゅうございます」
 後家ごけ魔除まよふだのように、
 宮本様みやもとさまとまり
 とかみきれにいてそとった。
 そのも、城太郎じょうたろうなかった。するとつぎである。
宮本先生みやもとせんせい拝顔はいがんしたい」
 と三人さんにんづれの武芸者ぶげいしゃはいってた。ことわってもただかえりそうもない風態ふうていだというので、ともかくげてってみると、それは宝蔵院ほうぞういん武蔵むさし阿巌あごんたおしたおりに、たまりのなかにいて見物けんぶつしていた者達ものたちで、
「やあ」
 と、旧知きゅうちのように馴々なれなれしく、かれかこんですわりこんだ。