7・宮本武蔵「地の巻」「おとし櫛(2)(3)」


朗読「地の巻7.mp3」22 MB、長さ: 約9分40秒

 女一人おんなひとりだ、無造作むぞうさにそうかんがえて、野武士のぶしたちは、そこへんでった、しかし、ぼうでもんだように、部屋へやくちに、ってしまった、おこうすことをおそれるように。
なにをしている、はやく、きずりしていっ」
 辻風典馬つじかぜてんまが、土間どまのほうで焦心いらっている、それでも、乾児こぶん野武士のぶしたちと、部屋へやなかとは、じっと、にらいのかたちで、いつまでもらちがあきそうもない。
 典馬てんま舌打したうちをして、自身じしんでそこをのぞいてみた。すぐおこうのそばへちかづこうとしたが、かれにも、そこのしきいえられなかった。
 炉部屋ろべやからはえなかったが、おこうのほかに、二人ふたりたくましい若者わかものがそこにいたのだ。武蔵たけぞう黒樫くろがし木剣ぼっけんひくって、一歩いっぽでもはいってたらそのものすねをヘシろうとかまえていたし、又八またはちは、かべかげって、かたなりかぶり、かれらのくび入口いりぐちから三寸さんずんたら、ばさりとッておとそうと、めきッている。
 朱実あけみには怪我けがをさせまいとして、うえ押入おしいれへでもかくしたのか、姿すがたえない。この部屋へや戦闘準備せんとうじゅんびは、典馬てんまばたでさけをのんでいるあいだととのっていたのだ。おこうも、そのうしだてがあるために、落着おちつはらっていたのかもれなかった。
「そうか」
 典馬てんまおもしてうめいた。
「いつぞや、朱実あけみやまあるいていた若造わかぞうがあった。一人ひとりはそいつだろう、あとは何者なにものだ」
「…………」
 又八またはち武蔵たけぞうも、一切口いっさいくちひらかなかった。ものはうででいおうという態度たいどだ。それだけに、不気味ぶきみなものをただよわせている。
「このいえに、男気おとこけはねえはずだ、さっするところ、せきはらくずれの宿やどなしだろう、下手へた真似まねをすると、ためにならねえぞ」
「…………」
不破村ふわむら辻風典馬つじかぜてんまらぬやつは、この近郷きんごうにないはずだ、落人おちゅうど分際ぶんざいで、生意気なまいきうでだて、ていろ、どうするか」
「…………」
「やいっ」
 典馬てんまは、乾児こぶんたちをかえりみてった、邪魔じゃまだから退いていろというのである。あとさがりに、そばをはなれた乾児こぶん一人ひとりは、なかへ、あしっこんで、あっといった。松薪まつまきけむりが、天井てんじょうち、いちめんのけむりとなった。
 じっと、部屋へやくちめすえていた典馬てんまは、くそっ、とえながら、猛然もうぜん、そのなか突入とつにゅうした。
「よいしょっ」
 かまえていた又八またはちは、とたんに両手りょうてかたなろしたが、典馬てんまいきおいは、そのはやさもおよばなかった。かれかたなこじりのあたりを、又八またはちかたなが、かちっとった。
 おこうは、すみ退いてっていた、そのあと位置いちに、武蔵たけぞう黒樫くろがし木剣ぼっけんよこめてっていた、そして典馬てんまあしもとをがけて、半身はんしんすようにはげしくはらった。
 ――空間くうかんやみが、びゅっとる。
 すると相手あいては、をもって、いわみたいな胸板むないたをぶつけてた。まるで大熊おおぐままれたかんじだ、かつて武蔵たけぞう出会であったことのない圧力あつりょくだった。咽喉のどに、こぶしかれて、武蔵たけぞうは、ふたみっなぐられていた、頭蓋骨ずがいこつくだけたかとおもうほどこたえる、しかし、じっとたくわえていたいきを、満身まんしんからはなつと、辻風典馬つじかぜてんまおおきなからだは、ちゅうあしいて、家鳴やなりとともかべへぶつかった。

 こいつとこんだらけっしてのがさない――ぶりついてもあいてを屈伏くっぷくさせる――また、生殺なまごろしにはしておかない、徹底的てっていてきに、やるまでやる。
 武蔵たけぞう性格せいかくは、元来がんらいそういうたちなのだ、幼少ようしょうからのことである、血液けつえきなかに、古代日本こだいにほん原始的げんしてき一面いちめん濃厚のうこうってうまれてたらしい、それは純粋じゅんすいなかわりにはなは野性やせいで、文化ぶんかひかりにもみがかれていないし、学問がくもんによる知識ちしきともまだなっていないうまれながらのままのものだった。まこと父親ちちおや無二斎むにさいでさえ、このあまかなかったのは、そういうところ原因げんいんしていたらしい。その性質せいしつめるために、無二斎むにさいがたびたびくわえた武士的ぶしてき折檻せっかんは、かえって、ひょうきばをつけてやったような結果けっかんでしまったし、むらものが、乱暴者らんぼうものと、きらえばきらうほど、この野放のばなしな自然児しぜんじは、いよいよたくましくび、ひとげに振舞ふるまい、郷土きょうど山野さんやをわがものがおにしただけではあきらないで、だいそれたゆめをもって、ついにせきはらまでもかけてたものだった。
 せきはらは、武蔵たけぞうにとって、実社会じつしゃかいなにものかをった第一歩だいいっぽだった。見事みごとにこの青年せいねんゆめはペシャンコにつぶれた。――しかし、もともと裸一貫はだかいっかんなのだ、それがために、青春せいしゅん一歩いっぽにつまずいたとか、前途ぜんとくらくなったとか、そんな感傷かんしょうは、いまのところみじんもない。
 しかも、今夜こんやおもいがけないにありついた。野武士のぶしかしらだという辻風典馬つじかぜてんまだ。こういうてきにめぐりあいたいことを、かれせきはらでもどんなにねがっていたことか。
卑怯ひきょうっ、卑怯ひきょうっ、やあいっ、てえっ!」
 こうばわりながら、かれは、くら韋駄天いだてんのようにけている――
 典馬てんまは、十歩じゅっぽほどまえを、これもちゅうんでげてゆくのだった。
 武蔵たけぞうかみ逆立さかだっていた、みみのそばを、かぜがうたってながれる、愉快ゆかいのなんのって、たまらない快感かいかんだった、武蔵たけぞうは、けるほど、けものちかよろこびにおどった。
 ――ぎゃっッ。
 かれかげが、典馬てんまへ、かさなるようにびかかったとえたときに、黒樫くろがし木剣ぼっけんから、いて、こうものすご悲鳴ひめいきこえた。
 もちろん辻風典馬つじかぜてんまおおきなからだは、ひびきをって、ころがったのだ。頭蓋骨ずがいこつは、のようにやわらかになり、ふたつの眼球がんきゅうが、かおそとかびだしていた。
 二撃にげき三撃さんげきと、つづけさまに木剣ぼっけんくわえると、れたあばらぼねが、皮膚ひふしたからしろびだした。
 武蔵たけぞうは、うでげて、ひたいよこにこすった。
「どうだ、大将たいしょう……」
 颯爽さっそうと、いっして、かれはすぐうしろへもどってくのである。なんでもないことのようだった。もしさきつよければ、自分じぶんあとてられてゆくだけのこととしかしていなかった。
「――武蔵たけぞうか」
 とおくで又八またはちこえがした。
「おう」
 と、のろまなこえをだして、武蔵たけぞうまわしていると、
「――どうした?」
 けてくる又八またはち姿すがたえた。
った。……おぬしは」
 こたえて、うと、
おれも、――」
 柄糸つかいとまでによごれたものを武蔵たけぞうしめして、
「あとのやつらは、げおった、野武士のぶしなんて、みんなよわいぞ」
 かたほこらせて、又八またはちはいう。
 をこねまわしてよろこぶ嬰児あかごにひとしい二人ふたりわらごえだった。木剣ぼっけんと、かたなをぶらさげたまま、元気げんきなにかたりあいながら、やがて、彼方あなたえるよもぎいえひとむかってかえってくのであった。