5・宮本武蔵「地の巻」「毒茸(4)(5)」


朗読「地の巻5.mp3」22 MB、長さ: 約9分46秒

 辻風典馬つじかぜてんまのことを、あくる朱実あけみからかされて、きゅうあわてたらしいのである。
「なぜもっとはやく、いわないのさ!」
 お甲後家こうごけは、しかっていた。
 そして、戸棚とだなもの抽斗ひきだしなかもの納屋なやものなど、一所ひとところあつめて、
またさんも、たけさんも、手伝てつだっておくれ、これをみんな天井裏てんじょううらげるのだから――」
「よした」
 又八またはちは、屋根裏やねうらがった。
 だいって、武蔵たけぞうは、おこう又八またはちあいだち、天井てんじょうげるものを、ひとひといだ。
 きのう朱実あけみからいていなければ、武蔵たけぞうきもつぶしたにちがいない。ながあいだであろうが、よくもこうはこんだものとおもう。短刀たんとうがある、やりがある、よろい片袖かたそでがある。また、はちのないかぶと八幡座はちまんざだの、ふところはいるぐらいな豆厨子まめずしだの、数珠ずずだの旗竿はたざおだの、おおきなものでは、蝶貝ちょうがい金銀きんぎん見事みごとにちりばめたくらなどもあった。
「これだけか」
 天井裏てんじょううらから、又八またはちかおせる。
「もひとつ」
 おこうは、のこしていた四尺よんしゃくほどの黒樫くろがし木剣ぼっけんした、武蔵たけぞうあいだでうけとった。と、おもさとかた感触かんしょくとが、にぎると、はなしたくない気持きもちかれおこさせた。
「おばさん、これ、おれにくれないか」
 武蔵たけぞうがねだると、
しいのかえ」
「うむ」
「…………」
 るとはいわないが、当然とうぜん武蔵たけぞう意思いしをゆるしているように、笑靨えくぼでうなずく。
 又八またはちは、りてて、ひどくうらやましいかおをした。おこうわらって、
ねたよ、このぼうやは」
 と、瑪瑙珠めのうだまのついている革巾着かわぎんちゃくを、かれにはあたえたが、あまりうれしがらなかった。
 夕方ゆうがた――この後家ごけは、良人おっとのいたころからの習慣しゅうかんらしく、かなら風呂ふろはいって、化粧けしょうして、晩酌ばんしゃくをたしなむ。自分じぶんのみでなく、朱実あけみにもそうさせる、性質せいしつ派手はでずきなのだ、いつまでもわかでありたいたちなのだ。
「さあ、みんなおで」
 をかこんで、又八またはちにもぐし、武蔵たけぞうにもさかずきたせた。どうことわっても、
おとこが、さけぐらいめないで、どうしますえ。おこうが、仕込しこんであげよう」
 と、くびをって、無理むりいたりした。
 又八またはちは、時々ときどき不安ふあんかないかおつきになって、じっとおこう容子ようす見入みいった。おこうはそれをかんじながら、武蔵たけぞうひざをかけ、このごろ流行はやうたというのを、ほそ美音びおん口遊くちずさんで、
いまうたは、わたしのこころ。――武蔵たけぞうさん、わかりますか」
 といったりした。
 朱実あけみが、かお外向そむけているのもかまわず、わかおとこ羞恥はにかみと、一方いっぽうねたみとを、意識いしきしていうことだった。
 いよいよ、面白おもしろくないように、
武蔵たけぞうちかいうちに、もう出立しゅったつしような」
 又八またはちが、ときいうと、おこうが、
「どこへ、またさん」
作州さくしゅう宮本村みやもとむらへさ、故郷くにかえれば、これでも、おふくろも、許嫁いいなずけもあるんだから」
「そう、わるかったネ、かくまってげたりして。――そんなおひとがあるなら、またさん一人ひとりで、おさきっても、めはしないよ」

 でにぎりしめて、ぎゅうと、しごいてみると、びとりとの調和ちょうわに、無限むげんあじ快感かいかんがおぼえられる。武蔵たけぞうは、おこうからもらった黒樫くろがし木剣ぼっけんつねはなさなかった。
 よるもその木剣ぼっけんいてた。木剣ぼっけんつめたいはだほおてると、幼年ようねんのころ、寒稽古かんげいこゆかで、ちち無二斎むにさいからうけたはげしい気魄きはくが、のなかによみがえってくる。
 そのちちは、秋霜しゅうそうのように、厳格一方げんかくいっぽう人物じんぶつだった。武蔵たけぞう幼少ようしょうにわかれたははばかりがしたわしくて、ちちには、あまえるあじらなかった、ただけむたくてこわいものがちちだった。九歳ここのつとき、ふといえて、播州ばんしゅうははところへ、はしってしまったのも、ははから一言ひとこと
(オオ、おおきゅうなったの)
 と、やさしい言葉ことばをかけてもらいたい一心いっしんからであった。
 だが、そのははは、ちち無二斎むにさいが、どういうわけか離縁りえんしたひとだった、播州ばんしゅう佐用郷さよごうさむらい再縁さいえんして、もう二度目にどめ良人おっと子供こどもがあった。
かえっておくれ、お父上ちちうえところへ――)と、そのははが、をあわせて、きしめて、人目ひとめのない神社じんじゃもりいた姿すがたを、武蔵たけぞういまでも、うかべることができる。
 もなく、ちちほうからは、追手おってて、九歳ここのつかれは、裸馬はだかうましばられて、播州ばんしゅうからふたたび、美作みまさか吉野郷宮本村よしのごうみやもとむられもどされた。ちち無二斎むにさいはひどくおこって、
不届者不届者ふとどきものふとどきもの
 と、つえってってちすえた。そのときのことも、まざまざと、童心どうしんにつよくきつけられてある。
二度にどと、ははところへゆくと、我子わがこといえど、承知しょうちせぬぞ)
 そのもなく、そのはは病気びょうきんだといてから、武蔵たけぞうは、ふさしょうからきゅうのつけられないあばれンぼうになった、さすがの無二斎むにさいだまってしまった、十手じってってらそうとすれば、ぼうって、ちちへかかって始末しまつだった、むら悪童あくどうはみなかれ慴伏しょうふくし、かれ対峙たいじするものは、やはり郷士ごうしせがれ又八またはちだけだった。
 十二じゅうにさんには、もう大人おとなちか背丈せたけがあった。としむら金箔磨はくみがきの高札こうさつてて、近郷きんごうもの試合しあいいどみに有馬喜兵衛ありまきへいという武者修行むしゃしゅぎょうものを、矢来やらいなかころしたときは、
豊年ほうねん童子わらべたけやんはつよい)
 と、むらものに、凱歌がいかをあげさせたが、その腕力わんりょくで、いくつになっても、乱暴らんぼうがつづくと、
武蔵たけぞうたぞ、さわるな)
 と、こわがられ、きらわれ、そして人間にんげんつめたいこころばかりがかれうつった。ちちも、厳格げんかくつめたいひとのままでやがてった、武蔵たけぞう残虐性ざんぎゃくせいは、やしなわれるばかりだった。
 もし、おぎんという一人ひとりあねがいなかったら、かれは、どんなだいそれたあらそいをおこして、むらわれていたかれない。だが、そのあねいていう言葉ことばには、いつもすなおにしたがった。
 今度こんど又八またはちさそって、いくさはたらきにたのも、そうしたかれに、かすかにでも、転機てんきひかりがさしてたためともいえる。人間にんげんになろうとする意思いしがどこかでをふきかけていた。――けれどいまかれは、ふたたびその方向ほうこううしなっていた。くら現実げんじつに。
 しかし、戦国せんごくというあらい神経しんけいでもなければ、ないような暢気のんきさもある若者わかものだった。微塵みじんも、明日あすのことなどは、にしていない寝顔ねがおでもある。
 故郷こきょうゆめでもているのだろう、ふかぶかと寝息ねいきをかいて。そしてれい木剣ぼっけんを、いて。
「……武蔵たけぞうさん」
 ほのぐら短檠たんけいあかりをしのんで、いつのまにか、おこうは、その枕元まくらもとて、すわっていた。
「ま……この寝顔ねがお
 武蔵たけぞうくちびるを、彼女かのじょゆびは、そっといた。