56・宮本武蔵「水の巻」「茶漬け(1)(2)」


朗読「56水の巻20.mp3」14 MB、長さ: 約10分10秒

茶漬ちゃづけ

 およそいま天下てんかあぶはちほどもおお武芸者ぶげいしゃのうちでも、宝蔵院ほうぞういんというじつによくひびいている。もしその宝蔵院ほうぞういんたんなるおてらとしかわきまえないではなしたりいたりしている兵法者へいほうものがあるとしたら、すぐ、
(こいつもぐりだな)
 と、あつかわれてしまうほどにである。
 この奈良ならては、なおさらのことであった。奈良なら現状げんじょうでは、正倉院しょうそういんなんだからないものはほとんどだが、やり宝蔵院ほうぞういんとたずねれば、
「あ、油坂あぶらざかのか」
 と、すぐわかる。
 そこは興福寺こうふくじ天狗てんぐでもんでいそうなおおきな杉林すぎばやし西側にしがわにあたっていて、寧楽朝ならちょうさかりをしのばせる元林院がんりいんあととか、光明皇后こうみょうこうごう浴舎よくしゃてて千人せんにんあかりたもうた悲田院ひでんいん施薬院せやくいんあとなどもあるが、それもいまは、こけ雑草ざっそうなかからわずかに当時とうじいしかおしているにぎない。
 油坂あぶらざかというのはこのあたりといてはたが武蔵むさしは、
「はて?」
 と、まわした。
 寺院じいん幾軒いくけんたが、それらしい山門さんもんはない。宝蔵院ほうぞういんという門札もんさつえない。
 ふゆして、はるびて、一年中いちねんじゅうでいちばんくろずんでいるすぎのうえから、いま妙齢みょうれい采女うねめのようにあかるくてやわらかい春日山かすがやま曲線きょくせんがながれていて、あしもとは夕方ゆうがたちかづいていたが、彼方かなたやまかたにはまだあかるかった。
 其処そこか、此処ここかと、てららしい屋根やねあおいでゆくうちに、
「お」
 武蔵むさしあしめた。
 ――だが、よくると、そのもんいてあるのは、はなは宝蔵院ほうぞういんまぎらわしいで「奥蔵院おくぞういん」としてあるのである。頭字かしらじひとちがっている。
 それに山門さんもんからおくのぞくと日蓮宗にちれんしゅうてららしくえる。宝蔵院ほうぞういん日蓮宗にちれんしゅう檀林だんりんであるということはかつて、武蔵むさしかないはなしであるから、これはやはり宝蔵院ほうぞういんとはまったべつ寺院じいんちがいない――
 ぼんやり山門さんもんっていた。すると、そとからかえってきた奥蔵院おくぞういん納所なっしょが、うさんくさものるようなで、武蔵むさしをじろじろながめてとおりかけた。
 武蔵むさしかさって、
「おたずねいたしますが」
「はあ、なんじゃね」
当寺とうじは、奥蔵院おくぞういんもうしますか」
「はあ、そこにいてあるとおり」
宝蔵院ほうぞういんは、やはりこの油坂あぶらざかきましたがほかにございましょうか」
宝蔵院ほうぞういんは、このてらと、背中せなかあわせじゃ。宝蔵院ほうぞういんへ、試合しあいかれるのか」
「はい」
「それなら、よしたらどうじゃの」
「は? ……」
折角せっかくおやから満足まんぞくにもろうた手脚てあしを、不自由ふじゆうなおしにるならわかっているが、なにとおくから、不自由ふじゆうになりにるにもおよぶまいに」
 この納所なっしょにも、ただ日蓮坊主にちれんぼうずではないようなほねぐみがある、武蔵むさし見下みくだして意見いけんするのである。武芸ぶげい流行りゅうこうもけっこうだが、このごろのように、わんさわんさとしかけてられては宝蔵院ほうぞういんでもじつにうるさい。大体だいたい宝蔵院ほうぞういんそのものは、しめすがように法燈ほうとう寂土じゃくどであって、なに槍術そうじゅつ商売しょうばいでない。商売しょうばいというならば宗教しゅうきょう本職ほんしょくで、槍術そうじゅつ内職ないしょくとでもいおうか、先代せんだい住持じゅうじ覚禅房胤栄かくぜんぼういんえいというひとが、小柳生こやぎゅう城主柳生じょうしゅやぎゅう宗厳むねよしのところへ出入でいりしたり、また宗厳むねよしまじわりのある上泉かみいずみ伊勢守いせのかみなどとも昵懇じっこんにしていた関係かんけいから、いつのにか武芸ぶげい興味きょうみをもち、余技よぎとしてやりだしたのが次第しだいにすすんで、やりのつかいようにまで工夫くふうくわえ、だれいうとなく宝蔵院流ほうぞういんりゅうなどとはやしてしまったのであるが、その物好ものずきな覚禅房胤栄かくぜんぼういんえいという先代せんだいは、もう本年八十四歳ほんねんはちじゅうよんさい、すっかり耄碌もうろくしてしまって、ひとにもわないし、ったところで、のないくちをふにゃふにゃうごかすだけで、はなしもわからなければ、やりのことなどは、すっかりわすれてしまっている。
「だから、無駄むだじゃよ、ったところで」
 と、この納所なっしょは、武蔵むさしぱらおうとするのがはらか、いよいよにべもない。

「そういうことも、うわさいて、承知しょうちしてはおりますが」
 と武蔵むさしは、なぶられているのを承知しょうちうえで、
「――しかし、そのあとには、権律師胤舜ごんりつしいんしゅんどのが、宝蔵院流ほうぞういんりゅう秘奥ひおうをうけ、二代目にだいめ後嗣こうしとして、いまもさかんに槍術そうじゅつ研鑽けんさんして、おおくの門下もんかやしない、またものこばまずご教導きょうどうくださるとかうかがいましたが」
「あ、その胤舜いんしゅんどのは、うちのお住持じゅうじ弟子でしみたいなものでね、初代覚禅房胤栄しょだいかくぜんぼういんえいどのが、耄碌もうろくされてしまったので、折角せっかくやり宝蔵院ほうぞういん天下てんかにひびいた名物めいぶつを、つぶしてしまうのもしいとっしゃって、胤栄いんえいからおそわった秘伝ひでんを、うちのお住持じゅうじがまた、胤舜いんしゅんつたえ、そして宝蔵院ほうぞういん二代目にだいめにすえたのだ」
 なにか、ぐずねたいいかたをするとおもったら、この奥蔵院おくぞういん日蓮坊主にちれんぼうずは、ようするに、いま宝蔵院流ほうぞういんりゅう二代目にだいめは、自分じぶんてら住持じゅうじててやったもので、槍術そうじゅつも、その二代目胤舜にだいめいんしゅんよりは、日蓮寺にちれんじ奥蔵院おくぞういん住持じゅうじのほうが系統けいとうただしく本格ほんかくなのだぞ――ということを、あん外来がいらい武芸者ぶげいしゃにほのめかせたい気持きもちであったらしい。
「なるほど」
 武蔵むさし一応いちおううなずくと、それをもっ満足まんぞくしたらしく、奥蔵院おくぞういん納所なっしょは、
「でも、ってるかね?」
「せっかくまいりましたものゆえ」
「それもそうだ……」
当寺とうじと、背中せなかあわせともうすと、この山門さんもんそとみちを、みぎまがりますか、ひだりまいりますか」
「いや、くなら、当寺とうじ境内けいだいとおって、うらけてきなさい、ずッとちかい」
 れいをいって、おしえられたとおりに武蔵むさしあるいた。庫裡くりわきからてら地内ちない裏手うらてはいってゆく。するとそこはたきぎ小屋こやだの味噌蔵みそぐらだのがあって、五反ごたんほどのはたけひらけている。ちょうど田舎いなか豪農ごうのう家囲いえがこいのように。
「……あれだな」
 はたけ彼方かなたに、また一寺いちじえる。武蔵むさしは、よくえている大根だいこんねぎのあいだのやわらかいつちんでった。
 と――そこのはたけに、一人ひとり老僧ろうそうくわをもって百姓ひゃくしょうをしていた。背中せなか木魚もくぎょでもれたぐらい猫背ねこぜである。黙然もくねんと、くわさき俯向うつむいているので、しろまゆだけがえたようにひたいしたからしてえる。くわろすたびにするカチといういしおとだけが、ここのひろ閑寂かんじゃくやぶっていた。
(この老僧ろうそう日蓮寺にちれんじのほうのものだな)
 武蔵むさしは、挨拶あいさつをしようとおもったが、つち他念たねんのない老僧ろうそう三昧さんまいぶりにはばかられて、そっとそばとおりかけると、これはなんということだ、したいている老僧ろうそうひとみがジイッとすみから自分じぶんあしもとをている。――そしてかたちこえにこそあらわれてはいないが、なんともいえないすさまじいが――心体しんたいからはっしるものとはおもわれない――いまにもくもやぶってたんとする雷気らいきのようなものが、びくりと武蔵むさし全身ぜんしんかんじられた。
 はっ――とすくんだとき武蔵むさし老僧ろうそうしずかなすがたを、二間にけんほどさきから振向ふりむいていた。はややりまたいだ程度ていど武蔵むさしからだはぼっとあつくなっていた。傴僂せむしのようにとがった老僧ろうそうせなうしろをけたままで、カチ、カチ、とつちくわれている調子ちょうしすこしもかわりはなかった。
何者なにものだろう?」
 武蔵むさしおおきなうたがいをいだきながら、やがて宝蔵院ほうぞういん玄関げんかんつけた。そこにって取次とりつぎあいだも、
(ここの二代目胤舜にだいめいんしゅんは、まだわかいはずであるし、初代胤栄しょだいいんえいは、やりわすれてしまったというほど耄碌もうろくしていると今聞いまきいたが……)
 いつまでもあたますみになっている老僧ろうそうであった。それをはら退けるように、武蔵むさしはさらに、二度にどほど大声おおごえおとずれたが、四辺あたり樹木じゅもく木魂こだまするばかりで、奥深おくふかそうな宝蔵院ほうぞういんなかからは、なかなか取次とりつぎこたえがない。