54・宮本武蔵「水の巻」「巡りぞ会わん(3)(4)」


朗読「54水の巻18.mp3」14 MB、長さ: 約10分14秒

 童心どうしんにも、おんな美醜びしゅううつるとみえる。美醜びしゅうはともあれ、清純せいじゅん不純ふじゅんかを率直そっちょくかんじるにちがいない。
 城太郎じょうたろうは、あらためて美麗きれいひとだなあ、とまえ女性じょせい尊敬そんけいをもった。こんな美麗きれいおんなひとみちづれになったのは、なにか、んでもない幸福こうふくにぶつかったようで、きゅうに、動悸どうきがしたり、がふわふわしてた。
ふえかあ、なるほど」
 ひとりで、感心かんしんして、
「おばさん、笛吹ふえふくの?」
 といた。
 だが、わかおんなたいして、おばさんとんで、このあいだ、よもぎのりょうむすめおこられたことを城太郎じょうたろうおもしたのだろう、またあわてて、
「お女中じょちゅうさん、なんという?」
 突拍子とっぴょうしもなくちがった問題もんだいを、しかし、なんのこだわりもなく、きゅうすのである。
 たびわかおんなは、
「ホホホホホ」
 城太郎じょうたろうにはこたえないで、かれ頭越あたまごしに顎髯あごひげさむらいのほうをわらった。
 くまのようなひげのあるその武家ぶけは、しろ丈夫じょうぶそうなせて、これはおおきく哄笑こうしょうした。
「このチビめ、すみにはけんわい。――ひとときは、自分じぶんからもうすのが礼儀れいぎじゃ」
「おらは城太郎じょうたろう
「ホホホ」
ずるいな、おれにだけのらせておいて。――そうだ、お武家ぶけさんがいわないからだ」
「わしか」
 と、これもこまったかおをして、
庄田しょうだ」――といった。
庄田しょうださんか。――したは」
勘弁かんべんせい」
「こんどは、お女中じょちゅうさんのばんだ、おとこ二人ふたりまでをいったのに、いわなければ、礼儀れいぎけるぜ」
「わたくしは、おつうもうします」
「お通様つうさまか」
 と、それでんだのかとおもうと、城太郎じょうたろうくちやすめずに、
「なんだって、ふえなんかおびしてあるいているんだね」
「これはわたし糊口くちすぎをする大事だいじしなですもの」
「じゃあ、お通様つうさま職業しょうばいは、笛吹ふえふきか」
「え……笛吹ふえふきという職業しょうばいがあるかどうかわかりませんが、ふえのおかげで、こうしてながたびにもこまらずごしておりますから、やはり、笛吹ふえふきでしょうね」
祇園ぎおんや、加茂かもみやでする、神楽かぐらふえ?」
「いいえ」
「じゃあ、まいふえ
「いいえ」
「じゃあなんなンだい一体いったい
「ただの横笛よこぶえ
 庄田しょうだという武家ぶけは、城太郎じょうたろうこしよこたえているなが木剣ぼっけんをつけて、
城太郎じょうたろう、おまえのこしにさしているのはなんだな」
さむらい木剣ぼっけんらないのかい」
「なんのためにしているのかとくのじゃ」
剣術けんじゅつおぼえるためにさ」
師匠ししょうがあるのか」
「あるとも」
「ははあ、その状筒じょうづつなかにある手紙てがみ名宛なあてひとか」
「そうだ」
「おまえの師匠ししょうのことだからさだめし達人たつじんだろうな」
「そうでもないよ」
よわいのか」
「あ。世間せけん評判ひょうばんでは、まだよわいらしいよ」
師匠ししょうよわくてはこまるだろ」
「おらも下手へただからかまわない」
すこしはならったか」
「まだ、なンにもならってない」
「あはははは、おまえとあるいていると、みちきなくてよいな。……してお女中じょちゅうは、どこまでまいられるのか」
「わたくしには、何処どこというあてもございませぬが、奈良ならにはこの頃多ごろおおくの牢人衆ろうにんしゅうあつまっているとき、じつは、どうあってもめぐいたいおひと多年たねんさがしておりますので、そんなはかなうわさをたよりに、まい途中とちゅうでございまする」

 宇治川うじがわのたもとがえてくる。
 通円つうえん茶屋ちゃやのきには、上品じょうひん老人ろうじんちゃ風呂釜ふろがまをすえて、床几しょうぎ旅人たびびとに、風流ふうりゅうひさいでいた。
 庄田しょうだという髯侍ひげざむらい姿すがたあおぐと、馴染なじみとみえて、茶売ちゃうりの老人ろうじんは、
「おお、これは小柳生こやぎゅう御家中様一服ごかちゅうさまいっぷくおあがりくださいませ」
「やすませてもらおうか――その小僧こぞうに、なんぞ、菓子かしをやってくれい」
 菓子かしつと、城太郎じょうたろうは、あしやすめていることなどは退屈たいくつえないらしく、うらひくおか見上みあげて、駈上かけあがってった。
 おつうちゃあじわいながら、
奈良ならへはまだうございますか」
左様さようあしはやいおかたでも、木津きづではれましょう。女子おなごしゅうでは、多賀たが井手いででおとまりにならねば」
 老人ろうじんこたえをすぐって、髯侍ひげざむらい庄田しょうだがいった。
「この女子おなごは、多年捜たねんさがしているものがあって、奈良ならまいるというのだが、ちかごろの奈良ならわか女子一人おなごひとりくのは、どうであろうか。わしはこころもとなくおもうが」
 くと、みはって、
滅相めっそうもない」
 茶売ちゃうりの老人ろうじんは、った。
「おやめなされませ、たずねるおかたが、たしかにいるとわかっているならばらぬこと、さものうて、なんであんな物騒ぶっそうななかへ――」
 くちくして、その危険きけんであることの、実例じつれいをいろいろげてめるのであった。
 奈良ならといえばすぐさびた青丹あおに伽藍がらんと、鹿しか連想れんそうされ、あの平和へいわ旧都きゅうとだけは、戦乱せんらん飢饉ききんもない無風帯むふうたいのようにかんがえられているが、事実じじつは、なかなかそうでない。――と茶売ちゃうりの老人ろうじん自分じぶん一服いっぷくのんでく。
 なぜならば――せきはらえきあとは、奈良ならから高野山こうやさんにかけて、どれほど、沢山たくさん敗軍はいぐん牢人ろうにんたちがかくれこんだかわからない。それがみな西軍せいぐん加担かたんした大坂方おおさかがただ。ろくもなし、ほか職業しょくぎょうにつく見込みこみもない人々ひとびとだ。関東かんとう徳川幕府とくがわばくふが、いまのように隆々りゅうりゅう勢力せいりょくくわえてゆく現状げんじょうでは、生涯しょうがい大手おおでってなたをあるくこともできない連中れんちゅうなのだ。
 なんでも、世間一般せけんいっぱん定説ていせつによると、せきはらえきではすくなくも、そういう扶持離ふちばなれの牢人者ろうにんものが、ここ五年ごねんほどでざっと十二じゅうに三万人さんまんにん出来できているだろうとのことである。
 あの大戦たいせん結果けっか徳川とくがわ新幕府しんばくふ没収ぼっしゅうされた領地りょうち六百六十万石ろっぴゃくろくじゅうまんごくといわれている。その減封処分げんぷううしょぶんで、家名かめい再興さいこうをゆるされたぶんいても、まだりつぶしをった大名だいみょう八十家はちじゅっけあまるし、その領土りょうど三百八十万石さんびゃくはちじゅうまんごくというものは改易かいえきされている。ここから離散りさんして、諸国しょこく地下ちかもぐった牢人者ろうにんものかずを、かり百石三人ひゃっこくさんにんとし、本国ほんごくにいた家族かぞく郎党ろうとうなどを加算かさんすると、どうすくなく見積みつもっても、十万人じゅうまんにんくだるまいといううわさ
 ことに、奈良ならとか、高野山こうやさんとかいう地帯ちたいは、武力ぶりょくはいがた寺院じいんおおいために、そういう牢人ろうにんたちにとっては、屈強くっきょうのかくれ場所ばしょとなりるので、ちょっとゆびっても、九度山くどやまには真田左衛門尉幸村さなださえもんのじょうゆきむら高野山こうやさんには南部牢人なんぶろうにん北十左衛門きたじゅうざえもん法隆寺ほうりゅうじ近在きんざいには仙石宗也せんごくそうや興福寺長屋こうふくじながやには塙団右衛門ばんだんえもん、そのほか御宿万兵衛ごしゅくまんべえとか、小西牢人こにしろうにんなにがしとか、ともかく、このまま日蔭ひかげでは白骨はっこつになりきれない物騒ぶっそうごうものが、ふたたび天下てんか大乱だいらんとなることをひでりあめをのぞむようにっているという状態じょうたいである。
 まだまだそこらののある牢人ろうにんは、それぞれ、隠栖いんせいしてもひとかどの権式けんしき生活力せいかつりょくっているが、これが奈良なら裏町うらまちあたりへゆくと、ほとんど、こしもの中身なかみまでりはたいたような、ほんとの無職武士むしょくぶしがうようよいて、大半たいはん自暴やけになって風紀ふうきをみだし、喧嘩けんかあさり、ただ徳川治下とくがわちか世間せけんをさわがせて一日いちにちもはやく大坂おおさかほうに、があがればよいといのっている連中れんちゅうばかりが、しているような有様ありさまであるから、そんなところへ、あなたのようなうつくしい女子おなご一人ひとりくことは、まるでたもとあぶられてなかはいるようなものだと、茶売ちゃうりの老人ろうじんは、おつうめてやまないのであった。