53・宮本武蔵「水の巻」「巡りぞ会わん(1)(2)」


朗読「53水の巻17.mp3」13 MB、長さ: 約9分47秒

めぐりぞわん

 米俵こめだわら小豆あずきか、とにかく裕福ゆうふく檀家だんかおくりものとみえ、牛車ぎっしゃやままれてゆくたわらうえには、木札きふだててあり、
 興福寺寄進こうふくじきしん
 と墨黒すみくろしるしてある。
 奈良ならといえば興福寺こうふくじ――興福寺こうふくじといえばすぐ奈良ならおもされるのである。城太郎じょうたろうも、その有名ゆうめいてらだけはっていたらしく、
「しめた、うまいくるまくぞ――」
 牛車ぎっしゃいついて、くるましりへ、びついた。
 うしきになると、ちょうどよく腰掛こしかけられるのだった。贅沢ぜいたくなことには、たわら背中せなかまでりかけられるではないか。
 沿道えんどうには、まるちゃおかきかけているさくら今年ことしへい軍馬ぐんばまれずに無事ぶじそだってくれといのりながらむぎ百姓ひゃくしょう野菜やさいかわあらうその土地とち女衆おんなしゅう。――くまでのどかな大和街道やまとかいどうだった。
「こいつは、暢気のんきだ」
 城太郎じょうたろうは、いいもちだった。居眠いねむッているまに奈良ならいてしまうでいる。時々ときどきいしせかけたわだちがぐわらっと車体しゃたいつよるのも愉快ゆかいでたまらない。うごもの――うごくばかりでなくすすものに――せているということだけで、少年しょうねん心臓しんぞう無上むじょうたのしみにおどる。
(……あら、あら、どこかでにわとりさわいでいるぞ、おばあさんおばあさん、いたちたまごぬすみにたのに、らずにいるのか。……どこのか、往来おうらいころんでいているよ。むこうからうまるよ)
 そばながれてゆく事々ことごとが、城太郎じょうたろうにはみな感興かんきょうになる。むらはなれて、並木なみきにかかると、路傍みちばた椿つばき一枚いちまいむしり、くちびるててらした。

おなうまでも
大将たいしょうせれば
池月いけづき、するすみ
きんぷくりんの
ピキピーの
トッピキピ
うまうまでも
泥田どろたにすめば
やれめ、やれ
ねんがらひん
ひん――ひん――ひん

 まえあるいてゆく牛方うしかたは、
「おや?」
 振向ふりむいたが、なにえないのでまたそのままあゆみだした。

ピキ、ピーの
トッピキピ

 牛方うしかたは、手綱たづなほうりすてて、くるまのうしろへまわってた。こぶしをかためて、いきなり、
「この野郎やろう
「アいたっ」
「なんだってくるましりになどってけつかるか」
「いけないの」
あたりめえだ」
「おじさんがひっぱるわけじゃないからいいじゃないか」
「ふざけるなっ」
 城太郎じょうたろうからだまりみたいに地上ちじょうはずんで、ごろんと、並木なみきまでころがった。
 嘲笑あざわらうように牛車ぎっしゃわだちかれててった。城太郎じょうたろうこしをさすってがったが、ふとみょうかおして地上ちじょうをきょろきょろまわしはじめた――なに紛失なくものでもしたようなかおで。
「あれ? ないぞ」
 武蔵むさし手紙てがみとどけた吉岡道場よしおかどうじょうから、これをってかえれとわたされて返辞へんじである。大事だいじ竹筒たけづつれて、途中とちゅうからは、ひもくびへかけてあるいていたのが――今気いまきがついてみると、それがない。
こまった、こまった」
 城太郎じょうたろうさが範囲はんいはだんだんひろがってた。――と、そのさまわらいながらちかづいて旅装たびよそおいのわか女性じょせいが、
なにおとしたのですか」
 と、親切しんせつたずねてくれる。
 城太郎じょうたろうは、ひたいごしに、ちらと市女笠いちめがさのうちのおんなかおたが、
「うん……」
 うつつにうなずいたきりでまた、すぐ地上ちじょう辿たどって、しきりにくびかしげていた――

「おかね?」
「う、う、ん」
 なにいても、城太郎じょうたろうみみは、うわのそらであった。
 たびわかおんな微笑ほほえんで、
「――じゃあ、ひものついている一尺いっしゃくぐらいなたけつつではありませんか」
「あっ、それだ」
「それなら、先刻さっきそなたが、万福寺まんぷくじしたで、馬子衆まごしゅうつないでおいたうま悪戯いたずらをして呶鳴どなられたでしょう」
「ああ……」
「びっくりしてしたときに、ひもれて往来おうらいちたのを、そのとき馬子衆まごしゅう立話たちばなしをしていたおさむらいひろっていたようですから、もどっていてごらん」
「ほんと」
「え。ほんと」
「ありがと」
 そうとすると、
「あ、もしもし、もどるにもおよびません。ちょうど彼方むこうから、そのお侍様さむらいさまが、えました。野袴のばかまをはいて、にやにやわらいながらるでしょう。あのひとです」
 おんなほうて、
「あのひと
 城太郎じょうたろうは、おおきなひとみで、じっとていた。
 四十しじゅうがらみの偉丈夫いじょうぶである。くろ顎髯あごひげたくわえ、かたはば胸幅むねはばも、常人じょうじんよりずっとひろくて、たかい。革足袋かわたび草履ぞうり穿きのそのあしはこびが、いかにもたしかに大地だいちんでいるというようにえて立派りっぱである。――どこかの大名だいみょうある家臣かしんにちがいないと城太郎じょうたろうにもえたので、ちょっと、馴々なれなれしく言葉ことばがかけにくいのであった。
 すると、さいわいに、
小僧こぞう
 と、むこうからんでくれた。
「はい」
「おまえだろう、万福寺まんぷくじしたで、この状入じょういれをおとしたのは」
「ああ、あったあった」
「あったもないものじゃ、れいをいわんか」
「すみません」
大事だいじ返書へんしょではないか。かような書面しょめん使つかいが、うま悪戯いたずらしたり、牛車ぎっしゃしりったり、道草みちくさをしていては主人しゅじん相済あいすむまいが」
「お武家ぶけさん、なかたね」
ひろものは、一応中いちおうなかあらためてわたすのがただしいのだ。しかし、書面しょめんふうらん。おまえもなかあらためてれ」
 城太郎じょうたろうは、竹筒たけづつせんいてから、なかをのぞいた。吉岡道場よしおかどうじょう返書へんしょはたしかにはいっている。やっと安心あんしんして、またくびへかけながら、
「もうおとさないぞ」
 とつぶやいた。
 ながめていたたびわかおんなは、城太郎じょうたろうよろこぶのをともよろこんで、
「ご親切しんせつに、有難ありがとうございました」と、かれのいいらない気持きもちを、かれかわってれいをいった。
 髯侍ひげざむらいは、城太郎じょうたろうやその女性じょせいと、歩調ほちょうをあわせてあゆみながら、
「お女中じょちゅう、あの小僧こぞうは、あなたのおれか」
「いいえ、まるでらないでございますけれど」
「ははは、どうもいがれぬとおもった。おかしな小僧こぞうだの、かさのきちんがふるっておる」
無邪気むじゃきなものでございますね、何処どこまでくのでございましょう」
 二人ふたりあいだはさまって城太郎じょうたろうはもう得々とくとく元気げんきかえっていて、
「おらかい? おらは、奈良なら宝蔵院ほうぞういんまでくのさ」
 そういって、ふと、彼女かのじょおびあいだから、えている古金襴こきんらんふくろをじっとつめ――
「おや、女中じょちゅうさん、おまえも状筒じょうづつっているんだね、おとさないようにしたほうがいいよ」
状筒じょうづつを」
おびしているそれさ」
「ホホホホ。これは、手紙てがみれる竹筒たけづつではありません。横笛よこぶえです」
ふえ――」
 城太郎じょうたろうは、好奇こうきをひからかして、無遠慮ぶえんりょおんなむねかおちかづけた。そしてなにかんじたものか、つぎには、そのひとあしもとからかみまで見直みなおした。