51・宮本武蔵「水の巻」「河童(7)春風便(1)」


朗読「51水の巻15.mp3」14 MB、長さ: 約10分17秒

「なに? おじさん」
使つかいにってほしいが」
「どこまで」
京都きょうと
「じゃあ、折角せっかく、ここまでたのに、またもどるの」
四条しじょう吉岡道場よしおかどうじょうまで、おじさんの手紙てがみとどけにってもらいたい」
「…………」
 城太郎じょうたろうはうついて、あしもとのいしっていた。
いやか」
 武蔵むさしかおをのぞくと、
「ううん……」
 曖昧あいまいくびりながら――
いやじゃないけど、おじさん、そんなことをいってまたおらをいてきぼりにするつもりだろう」
 うたがいのられて、武蔵むさしはふとじた。そのうたがいはだれおしえたか――と。
「いや、武士ぶしけっして、うそはいわないものだ。きのうのことは、ゆるせ」
「じゃあ、くよ」
 ろく阿弥陀あみだ追分茶屋おいわけぢゃやはいって、ちゃをもらい二人ふたり弁当べんとうをつかった。武蔵むさしはそのあいだ手紙てがみしたためた。
 ――吉岡清十郎宛よしおかせいじゅうろうあてに。
 文面ぶんめんは、ざっと、こうである。――くところによれば、貴下きかはその後御門下ごごもんかこぞって拙者せっしゃ居所いどころをおたずねのよしであるが、自分じぶんいま大和路やまとじにあり、これから約一年やくいちねん伊賀いが伊勢いせその修業しゅぎょう遊歴ゆうれきするつもりで予定よていをかえる気持きもちにはなれない。しかし、さきごろお留守中るすちゅう訪問ほうもんして、貴眉きびせっしないことはこちらも同様どうよう遺憾いかんとしているところであるから、明春みょうしゅん一月いちがつ二月中にがつちゅうにはかなら再度さいどおとずれをかたくお約束やくそくしておこう。――勿論もちろん、そちらも御勉励ごべんれいおさおさおこたりはあるまいが、自分じぶんもここ一年いちねんのあいだには、いちだん愚剣ぐけんみがいておたずねもうかんがえである。どうか、先頃さきごろ立合たちあもうしたような惨敗ざんぱい二度にどはえある拳法先生けんぽうせんせいもん見舞みまわぬよう、折角せっかく御自重ごじちょうかげながらいのっている。
 ――こう鄭重ていちょうのうちにも気概きがいほのめかせて、
  新免宮本武蔵しんめんみやもとむさし政名まさな
 と署名しょめいし、さき名宛なあてには
  吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうどの
  他御門中ほかごもんちゅう
 と、おわっている。
 城太郎じょうたろうあずかって、
「じゃあこれを、四条しじょう道場どうじょうほうりこんでればいいんだね」
「いや、ちゃんと、玄関げんかんからおとずれて、取次とりつぎしかわたしてなければいけない」
「あ。わかってるよ」
「それから、もひとたのみがある。……だが、これはちとおまえにはむずかしかろうな」
なになに
「わしに、手紙てがみをよこした昨夜ゆうべっぱらい、あれは、本位田又八ほんいでんまたはちというて、むかし友達ともだちなのだ。あのひとってもらいたいのだが」
「そんなこと、造作ぞうさもねえや」
「どうしてさがすか」
居酒屋いざかやいてあるくよ」
「ははは。それもよいかんがえだが、書面しょめん様子ようすると、又八またはちは、吉岡家よしおかけのうちのだれかにびとがあるらしい。だから吉岡家よしおかけものに、いてみるにかぎる」
わかったら?」
「その本位田又八ほんいでんまたはちにおまえがって、わしがこういったとつたえてくれ。来年一月らいねんいちがつ一日ついたちから七日なのかまで、毎朝五条まいあさごじょう大橋おおはしって拙者せっしゃっているから、そのあいだに、五条ごじょうまで一朝ひとあさ出向でむいてくれいと」
「それだけでいいんだね」
「む。――ぜひいたい。武蔵むさしがそういっていたとつたえるのだぞ」
「わかった。――だけど、おじさんは、おらがかえってあいだ何処どこってるの」
「こういたそう。わしは奈良ならさきっている。居所いどころは、やり宝蔵院ほうぞういんけばわかるようにいたしておく」
「きっと」
「はははは、まだうたがっているのか、こんど約束やくそくたがえたら、わしのくびて」
 わらいながら茶店ちゃみせる。
 そして武蔵むさし奈良ならへ。――城太郎じょうたろうはまた京都きょうとへ。
 街道かいどうは、かさや、つばめや、うまのいななきでっている。そのあいだから城太郎じょうたろうかえると、武蔵むさしもまだちどまっていた。二人ふたりはニコととおみを見交みかわしてわかれた。

春風便しゅんぷうびん

恋風こいかぜては
たもといもたれて
のうそでおもさよ
こいかぜは
おもいものかな

 阿国おくに歌舞伎かぶきでおぼえた小歌こうた口誦くちずさみながら、朱実あけみは、いえうらりて、高瀬川たかせがわみずへ、洗濯物あらいものぬのげていた。ぬの手繰たぐると、落花はなうず一緒いっしょってた。

おもえどおもわぬ
りをして
しゃっとしておりゃるこそ
そこはふかけれ――

 河原かわらどてうえから、
「おばさん、うたがうまいね」
 朱実あけみ振向ふりむいて、
だれ?」
 なが木刀ぼくとうこしにさし、おおきなかさ背負せおっている侏儒こびとのような小僧こぞうである。朱実あけみがにらむと、まるッこいをぐりぐりうごかし、人馴ひとなつっこいいてにやりとした。
「おまえ何処どこひとのことをおばさんだなンて、わたしむすめですよ」
「じゃあ――むすめさん」
らないよ。まだとしもゆかないチビすけのくせにして、いまからおんななんか揶揄からかうものじゃないよ、はなでもおかみ」
「だって、きたいことがあるからさ」
「アラアラ、おまえと喋舌しゃべっていたおかげで洗濯物あらいものながしてしまったじゃないか」
ッててやろう」
 川下かわしもながれてった一枚いちまいぬのを、城太郎じょうたろういかけてって、こういうときにはやくなが木刀ぼくとうで、きよせてひろってた。
「ありがと。――きたいッて、どんなこと」
「このへんに、よもぎのりょうというお茶屋ちゃやがある?」
「よもぎのりょうなら、そこにあるわたしうちだけれど」
「そうか。――ずいぶんさがしちゃった」
「おまえ、何処どこからたの」
「あっちから」
「あっちじゃわからない」
「おらにも、何処どこからだか、よくわからないんだ」
へんだね」
だれが」
「いいよ」――朱実あけみはクスリとわらいこぼして、「いったいなん用事ようじで、わたしのうちたの」
本位田又八ほんいでんまたはちというひとが、おめえんちにいるだろう。あすこへけばわかるって、四条しじょう吉岡道場よしおかどうじょうひといてたんだ」
「いないよ」
うそだい」
「ほんとにいないよ。――まえにはうちにいたひとだけれど」
「じゃあ、いまどこ?」
らない」
「ほかのひといてくれやい」
「おっさんだってらないもの。――家出いえでしたんだから」
こまったなあ」
だれ使つかいでたの」
「お師匠様ししょうさまの」
「お師匠様ししょうさまって?」
宮本みやもと武蔵むさし
手紙てがみなにってたの」
「ううん」
 城太郎じょうたろうは、くびよこって、はぐれたようなあしもとのみずうずにおとした。
「――ところわからないし、手紙てがみたないなんて、ずいぶんみょう使つかいね」
言伝ことづてがあるんだ」
「どういう言伝ことづて。もしかしたら――もうかえってないかもれないけど、かえってたら、又八またはちさんへ、わたしからいっといてげてもいいけど」
「そうしようか」
わたし相談そうだんしたってこまる、自分じぶんめなければ」
「じゃあ、そうするよ。……あのね、又八またはちってひとに、ぜひとも、いたいんだって」
だれが」
宮本みやもとさんがさ。――だから、来年らいねん一月いちがつ一日ついたちから七日ななくさまでのあいだ毎朝まいあさ五条大橋ごじょうおおはしうえっているから、その七日なのかのうちに、一朝ひとあさそこへてもらいたいというのさ」
「ホホホ、ホホホホ……。まあ! なが言伝ことづててだこと。おまえのお師匠ししょうさんていうひとも、おまえにけないかわものなんだね。……アアおなかいたくなっちゃった!」