50・宮本武蔵「水の巻」「河童(5)(6)」


朗読「50水の巻14.mp3」14 MB、長さ: 約10分06秒

 ――たな、とうとう。
 武蔵むさしは、当惑とうわくそうなうちに、あかるいくぼをかおにのぼせ、振向ふりむいてっている。
 はやい。とてもはやい。
 こっちの姿すがたがけて、むこうからんで城太郎じょうたろうかげは、ちょうど烏天狗からすてんぐ雛子ひよこというところだ。
 ちかづくにしたがって、その猪口才ちょこざいなかっこうをあきらかにながめ、武蔵むさしはまたくちのあたりに微苦笑びくしょうくわえた。――着物きものはゆうべのとはちがって、お仕着しきせらしいのをかえているが、もちろんこし半分はんぶんそで半分はんぶんおびには身長なりよりなが木刀ぼくとうよこたえ、には、からかさほどもあるおおきなかさ背負しょいこんでいる。そして、
「――おじさんっ!」
 いきなり、武蔵むさしのふところへびこんでると、
うそつきッ」
 と、しがみついて、同時どうじに、わっといてしまったのである。
「どうした、小僧こぞう
 やさしくかかえてやっても、ここはやまなかだと承知しょうちうえくように城太郎じょうたろうは、こえをかぎりにおいおいく。
やつがあるか」
 武蔵むさしが、ついにいうと、
らねえやい、らねえやい」
 すぶッて、
「――大人おとなのくせに、子供こどもだましていいのかい! ゆんべ、弟子でしにしてやるといったくせに、おらをいてきぼりにして、そんな……大人おとながあっていいのかい」
わるかった」
 あやまると、今度こんどは、ごええて、あまえるように、わあん、わあんと、鼻汁はなをたらしてく。
「もうだまれ。……だまではなかったが、貴様きさまには、ちちがあり主人しゅじんがある。その人達ひとたち承知しょうちがなくてはれてかれぬから、相談そうだんしていともうしたのだ」
「そんなら、おらが返事へんじにゆくまで、っていればいいじゃないか」
「だから、あやまっておる。――主人しゅじんには、はなしたか」
「うん……」
 やっとだまって、そばから、二枚にまいむしりった。なにをするのかとおもうと、それでチンとはなをかむ。
「で、主人しゅじんなんもうしたか」
けって」
「ふム」
「てめえみたいな小僧こぞうは、とてもあたまえ武芸者ぶげいしゃ道場どうじょうでは、弟子でしにしてくれるはずがねえ。あの木賃宿きちんやどにいるひとなら、よわいので評判ひょうばんだ。てめえには、ちょうどいい師匠ししょうだから、荷持にもちに使つかってもらえッて……。餞別せんべつにこの木剣ぼっけんをくれたよ」
「ハハハハ。おもしろい主人しゅじんだの」
「それから、木賃きちんじいさんのところったら、じいさんは留守るすだったから、あそこののきかっていたこのかさもらってた」
「それは、旅籠はたご看板かんばんではないか。きちんといてあるぞ」
いてあってもかまわないよ。あめがふると、すぐこまるだろ」
 もう師弟してい約束やくそくなにもかも、仕済しすましたりとしているのである。武蔵むさし観念かんねんしてしまった。これはめようがない――
 しかしこのちち青木丹左あおきたんざ失脚しっきゃくや、自分じぶんとの宿縁しゅくえんおもうと、武蔵むさしは、みずからすすんでもこの少年しょうねん未来みらいてやるのがほんとではないかともかんがえた。
「あ、わすれていた。……それからね、おじさん」
 城太郎じょうたろうは、安心あんしんがつくと、きゅうおもしたように、懐中ふところをかきまわし、
「あッた。……これだよ」
 と、手紙てがみした。
 武蔵むさしは、いぶかしげに、
「なんだ、それは」
「ゆんべ、おじさんのところへ、おらがさけってときに、みせんでいた牢人ろうにんがあって、おじさんのことを、いやにしつこくいていたといったろう」
「ム、そんなはなしであったな」
「その牢人ろうにんが、おらが、あれからかえってみると、まだベロベロにっぱらっていて、また、おじさんの様子ようすくんだ。途方とほうもない大酒飲おおざけのみさ、二升にしょうんだぜ。――そのあげく、この手紙てがみいて、おじさんにわたしてくれと、いてったんだよ」
「? ……」
 武蔵むさしは、小首こくびかしげながら、ふううらかえしてみた。

 ふううらには、なんと――
 本位田又八ほんいでんまたはち
 乱暴らんぼうでぶつけてあるのだ、書体しょたいまでがっぱらっている姿すがたである。
「や……又八またはちから……」
 いそいでふうってる。武蔵むさしは、なつかしむような、かなしむような、複雑ふくざつ気持きもちのうえにくだした。
 二升にしょうんだ揚句あげくといえば、乱脈らんみゃくはぜひもないが、文言もんげん支離滅裂しりめつれつで、ようやくはんじてみると、

伊吹山下いぶきさんか一別以来いちべついらい郷土きょうどわすれがたし、旧友きゅうゆうまたわすれがたし。はからずも先頃さきごろ吉岡道場よしおかどうじょうにて、けいく。万感ばんかんこもごもわんか、わざらんか、まようていま酒店しゅてん大酔おおよいう。

 このへんまではよいが、そのさきになると、いよいよわからなくなる。

しかりわれは、けいたもとわかってより、女色にょしょくおりわれ、懶惰らんだにくむしばまれてく、怏々おうおうとして無為むいおくるすでに五年ごねん
洛陽らくよういまきみ剣名けんめいようやくたかし。
加盞かさん加盞かさん
ものはいう。武蔵むさしよわ上手じょうず卑怯者ひきょうものなりと。またものはいう。かれ不可解ふかかい剣人けんじんなりと。――そんなこと、どっちでもよし、ただ野生やせいは、けいけんによってともかく洛陽らくよう人士じんし一波乱ひとはらんげたるを、ひそかにけいす。
おもうに。
きみ賢明けんめいだよ、おそらくはけん巧者こうしゃになって出世しゅっせすべし。
ひるがえって、いまのわれをれば如何いかん
や、や、この鈍児どんじ賢友けんゆうあおいでなんぞ愧死きしせざるや。
だがて、人生じんせい長途ちょうと、まだ永遠えいえんはかるべからずというやつさ、いまいたくない、そのうちにえるもあろうというものなり
健康けんこうをいのる。

 これが全文ぜんぶんかとおもうと、追而書おってがきのほうに、まだくどくどと火急かきゅうらしい用向ようむきがしたためてある。その用向ようむきというのは、吉岡道場よしおかどうじょう千人せんにん門下もんかが、先頃さきごろ事件じけんをふかく意趣いしゅにふくみ、躍起やっきになってきみのありかをさがしているから、身辺しんぺんにふかく注意ちゅういをしなければいけない。きみいま折角せっかくけんのほうで頭角とうかくはじめたところだ、んではならぬ、おれなにかで一人前いちにんまえになったらきみって、おおいに過去かこのこともかたりたい気持きもちでいるのだから、おれ張合はりあいのためにも、からだをまもってきていてくれ――
 そんな意味いみなのである。
 さき友情ゆうじょうのつもりらしいが、この忠告ちゅうこくのうちにも、多分たぶん又八またはちのひがみがにじんでいた。
 武蔵むさしは、暗然あんぜんとして、
(なぜ――やあひさぶりだなあ――そんなふうに、かれびかけてくれなかったのか)
 と、おもった。
城太郎じょうたろう。おまえは、このひと住所ところいたか」
かなかった」
居酒屋いざかやでも、らぬか」
らないだろ」
何度なんどきゃくか」
「ううん、はじめて」
 ――しい。武蔵むさしは、かれ居所いどころがわかるなら、これから京都きょうともどってもとおもうのであったが、そのすべもない。
 って、もいちど、又八またはち性根しょうねをたたきましてやりたいがする。かれを、現在げんざい自暴自棄じぼうじきからッぱりしてやろうとする友情ゆうじょうを、武蔵むさしいまうしなっていない。
 又八またはちははのおすぎに、誤解ごかいいてもらうためにも――
 黙々もくもくと、武蔵むさしさきあるいてく。みち醍醐だいごくだりになって、六地蔵ろくじぞう街道かいどう追分おいわけが、もうしたえてた。
城太郎じょうたろう早速さっそくだが、おまえにたのみたいことがあるが、やってくれるか」
 武蔵むさしは、不意ふいにいいした。