48・宮本武蔵「水の巻」「河童(1)(2)」


朗読「48水の巻12.mp3」14 MB、長さ: 約10分14秒

 どすっ、どすっ……とわらにぶきねおと細民町さいみんちょうすっている。あめはそこらの牛飼うしかいいえや、紙漉かみすきの小屋こやあきのように、くさらせていた。北野きたのも、このへん場末ばすえで、黄昏たそがれとなっても、あたたかい炊飯かしぎけむりがただよういえれだ。
 き、ち、ん。
 とかさ仮名かないたのが軒端のきはたにぶらげてある、そこの土間先どまさきにつかまって、
じいさん! 旅籠はたごじいさん! ……留守るすかい」
 元気げんきのいい、身長なりよりもおおきなこえで、いつもまわって居酒屋いざかや小僧こぞうが、怒鳴どなっていた。
 やっと、としとお十一じゅういち
 あめひかっているかみは、蓬々ぼうぼうみみにかぶさって、いたそのままだ。筒袖つつそでこしきりに、なわおび背中せなかまで泥濘ぬかるみねをげている。
じょうか」
 おく木賃きちん親爺おやじがいう。
「あ、おらだ」
「きょうはの、まだ、お客様きゃくさまえらねえだから、さけはいらぬよ」
「でも、えればるんだろう。いつもだけッてとこうや」
「お客様きゃくさまがるといったら、わしがりにゆくからいい」
「……じいさん、そこで、なにしているんだい」
「あした鞍馬くらまへのぼる荷駄にだへ、手紙てがみたのもうとおもって、はじめたが、一字一字いちじいちじ文字もじおもせねえでかたらしているところじゃ、うるさいから、くちをきいてくれるな」
「ちぇッ、こしまがりかけているくせに、まだおぼえねえのか」
「このチビが、また小賢こざかしいこといいさらして、まきでもらうな」
「おらが、いてやるよ」
「ばかかせ」
「ほんとだッてば! アハハハハそんないもというがあるものか、それじゃ竿さおだよ」
「やかましいッ」
「やかましぃッても、ちゃいられねえもの。じいさん、鞍馬くらま知人しりびとへ、竿さおとどけるのかい」
いもとどけるのだ」
「じゃ、強情ごうじょうらないで、いもいたらいいじゃないか」
っているくらいなら、はじめからそうくわ」
「あれ……だめだぜ、じいさん……この手紙てがみは、じいさんのほかにはだれにもめないぜ」
「じゃあ、てめえいてみろ」
 ふできつけると、
くから、文句もんくをおいい、お文句もんくをさ……」
 がりがまちこしをかけて、居酒屋いざかや城太郎じょうたろうは、ふでった。
馬鹿ばかよ」
「なんだい、無筆むひつのくせに、ひと馬鹿ばかとは」
かみへ、鼻汁はなれたわ」
「ア、そうか。これは駄賃だちん――」
 その一枚いちまいんで、鼻汁はなをかんでてて――
「さ。どうくんだい」
 ふでかたはたしかであった。木賃きちんのおやじがいう言葉ことばを、そのとおりさらさらといてゆく。
 ……ちょうどそのおりであった。
 今朝けさ雨具あまぐたずに此宿ここきゃくは、泥田どろたのようなみちを、びしょびしょとおもあしかえってた。かぶって炭俵すみだわらを、軒下のきしたげやって、
「――ああ。うめもこれでおしまいだな」
 毎朝目まいあさめたのしませてくれた門口かどぐち紅梅こうばいあげながら、たもとしぼってなげく。
 武蔵むさしであった。
 もうこの木賃きちんへは二十日はつかうえとまっているので、かれは、わがかえってたような安堵あんどおぼえる。
 土間どまはいって、ふとると、いつも、御用ごようきに居酒屋いざかや少年しょうねんが、おやじとくびっている。武蔵むさしは、なにをしているのかと、だまって、その背後うしろからのぞいていた。
「あれ。……ひとわるいなあ」
 城太郎じょうたろうは、武蔵むさしかおがつくと、あわててふでかみとを、背中せなかまわしてしまった。

せい」
 武蔵むさしが、からかうと、
「いやだい!」
 城太郎じょうたろうは、かおって、
「アカといえば」
 と、あべこべに揶揄やゆしてかかる。武蔵むさしは、れたはかまいて、木賃きちん老爺おやじわたしながら、
「ははは、そのわん」
 すると、城太郎じょうたろうは、言下げんかに、
わんなら、足喰あしくうか」
 と、いった。
足喰あしくえば、章魚たこじゃ」
 城太郎じょうたろうひびきにこたえるように、
章魚たこさけのめ。――小父おじさん、章魚たこ酒飲さけのめ。ってようか」
「なにを」
「おさけを」
「ははは、こいつは、うまくっかかったの。また、小僧こぞうさけりつけられたぞ」
五合ごごう
「そんなにいらん」
三合さんごう
「そんなにめん」
「じゃあ……いくらさ、ケチだなあ、宮本みやもとさんは」
貴様きさまってはかなわんな、じつをいえば小費こづかいとぼしいからだよ、貧乏武芸者びんぼうぶげいしゃだ。そうわるもうすな」
「じゃあ、おらがますはかって、やすくまけてってようね。――そのかわりに、小父おじさん、またおもしろいはなしかせておくれね」
 あめなかへ、元気げんきに、城太郎じょうたろうけてった。武蔵むさしは、そこへのこされてある手紙てがみて、
老爺おやじ、これはいま少年しょうねんいたのか」
左様さようで。――あきれたものでございますよ、あいつのかしこいのには」
「ふーむ……」
 感心かんしんして見入みいっていたが、
「おやじ、なにがえがないか、なければ、寝衣ねまきでもよいが、してくれい」
れておもどりとぞんじまして、ここへしておきました」
 武蔵むさしは、井戸いどってみずび、やがてかえて、のそばにすわった。
 そのあいだに、自在じざいかぎへは、なべがかかる、こうものや、茶碗ちゃわんそろう。
小僧こぞうめ、なにをしているのか、おそうござりまする」
幾歳いくつだろう、あの少年しょうねんは」
十一じゅういちだそうで」
早熟ませているな、としのわりには」
なにせい、七歳ななつぐらいからあの居酒屋いざかや奉公ほうこうしておりますので、馬方うまかたやら、このあたり紙漉かみすきやら、たびしゅうに、人中ひとなかまれておりますでな」
「しかし――どうして左様さよう稼業かぎょうのうちに、見事みごと文字もじくようになったろうか」
「そんなに上手うまいので?」
もとよりどもらしい稚拙ちせつはあるが、稚拙ちせつのうちに、天真てんしんといおうかなんというか……左様さよう……けんでいうならば、おそろしくとのびのあるふでだ。あれは、ものになるかもしれぬ」
「ものになるとは、なにになるので」
人間にんげんにだ」
「へ?」
 おやじは、なべふたってのぞきながら、
「まだないぞ、あいつまた、どこぞでみちぐさしているのかもれぬ」
 ぶつぶついいながら、やがて、土間どま穿物はきものあしをおろしかけると、
じいさんッ、ってたよ」
なにをしているのだ、旦那様だんなさまっているのに」
「だってネ、おらが、さけりにゆくと、みせにもおきゃくがあったんだもの。――そのっぱらいがね、また、おらをつかまえて、しつこくいろんなことをくんだ」
「どんなことを」
宮本みやもとさんのことだよ」
「また、くだらぬお喋舌しゃべりをしたのだろう」
「おらが喋舌しゃべらなくても、この界隈かいわいでおとといの清水寺きよみずでらのことをらないものはないぜ。――となりのおかみさんもまえ漆屋うるしやむすめも、あのまいりにってたから、小父おじさんが、大勢おおぜいかごかきにかこまれて難儀なんぎをしたのを、みんなていたんだよ」