480・宮本武蔵「円明の巻」「魚歌水心(1)(2)」


朗読「480円明の巻75.mp3」10 MB、長さ: 約 11分 07秒

魚歌水心ぎょかすいしん

いち

 しおげているさかりだった。
 海峡かいきょう潮路しおじは、激流げきりゅうのようにはやい。
 かぜ追手おいて
 赤間あかませききしはなれたかれ小舟こぶねは、時折ときおりしろなしぶきをかぶった。佐助さすけは、きょうのを、ほまれとおもっていた。にも、そうしたぐみがえた。
「だいぶかかろうな」
 くてをながめながら、武蔵むさしがいう。
 ふねなかほどに、かれは、膝広ひざひろすわっていた。
「なあに、このかぜと、このしおなら、そう手間てまはとりません」
「そうか」
「ですが――だいぶ時刻じこくおくれたようでございますが」
「うむ」
たつこくは、とうにぎました」
左様さよう――。すると船島ふなじまくのは」
こくになりましょう。いや刻過こくすぎでございましょうよ」
「ちょうどよかろう」
 その――
 巌流がんりゅうあおぎ、かれあおいでいたそらは、あくまでふかあおさだった。そして長門ながとやましろくもが、はたのようにながれているほか、くもかげもなかった。
 門司もじせき町屋まちや風師山かざしやまやましわも、あきらかにのぞまれた。そこらあたりにのぼって、えぬものをようとしている群衆ぐんしゅうが、ありのかたまりのようにくろえる。
佐助さすけ
「へい」
「これをもらってよいか」
なんです」
舟底ふなぞこにあったかいれ」
「そんなもの――りはしませんが、どうなさいますんで」
手頃てごろなのだ」
 武蔵むさしは、かいっていた。片手かたてって、からうでせん水平すいへいとおしてる。幾分いくぶん水気みずけをふくんでいるので、しつおもかんじる。かい片刃かたはげがて、そこからすこけているので、使つかわずにててあったものらしい。
 小刀こがたないて、かれは、それをひざうえで、るまでけずした。他念たねんのない容子ようすである。
 佐助さすけでさえ、こころにかかって、幾度いくど幾度いくど赤間あかませきはまを――平家松へいけまつのあたりをじるしに――いたことなのに、このひとには、微塵みじんうしがみをひかれるふうえない。
 いったい、試合しあいなどへのぞものは、みな、こういう気持きもちになるものだろうか。佐助さすけ町人ちょうにんからかんがえでは、あまりにつめぎるようにさえおもえる。
 かいけずえたとみえ、武蔵むさしはかまたもと木屑きくずはらって、
佐助さすけ
 と、またぶ。
「――なんぞ、ものはあるまいか、みのでもよいが」
「おさむいのでございますか」
「いやふなべりからしぶきがかかる。背中せなかへかけたいのだ」
「てまえのんでいる艫板ともいたしたに、綿入わたいれが一枚いちまいっこんでありますが」
「そうか。りるぞ」
 佐助さすけ綿入わたいれをして、武蔵むさし羽織はおった。
 まだ船島ふなじまは、かすんでいた。
 武蔵むさしは、懐紙かいしして、紙縒こよりつくはじめた。幾十本いくじっぽんれぬほどっている。そしてまた、二本にほんよりあわせて、ながさをはかり、たすきにかけた。
 紙縒襷こよりだすきというのは、むずかしい口伝くでんがあるものとかいていたが――佐助さすけていたところでは、ひどく無造作むぞうさえたし、また、そのつくりかたのはやいのと、たすきにまわした手際てぎわのきれいなのに、をみはった。
 武蔵むさしは、そのたすきに、しおのかからぬよう、ふたたび、綿入わたいれをうえから羽織はおって、
「あれか、船島ふなじまは」
 はや間近まぢかえて島影しまかげしてたずねた。

「いえ。あれやあ母島ははじま彦島ひこじまでございます。船島ふなじまは、もうすこかないと、よくおわかりになりますまい。彦島ひこじま北東ほくとうに、六町ろくちょうほどはなれて、のようにひらたくるのがそれで――」
「そうか。このあたりに、いくつもしまえるので、どれかとおもうたが」
六連むつれ藍島あいじま白島しらしまなど――そのなかでも船島ふなじまは、ちいさいしまでございます。伊崎いさき彦島ひこじまあいだが、よくいう音渡おんど迫門せとで」
西にしは、豊前ぶぜん大里だいりうらか」
左様さようでございます」
おもした――このあたりの浦々うらうらしまは、元暦げんりゃくむかし九郎くろう判官殿はんがんどのや、たいら知盛卿とももりきょうなどのいくさあとだの」
 こういうはなしなどしていて一体いったいいいものだろうか。自分じぶんに、ふねすすんでくにつれ、佐助さすけは、ひとりでに先刻さっきから、はだえあわしょうじ、たかまり、むね動悸どうきしてならないのである。
 自分じぶん試合しあいするのではなし――とおもってみても、どうにもならなかった。
 きょうの試合しあいは、どっちみちぬかきるかのいくさである。今乗いまのせてゆくひとを、かえりにせてかえれるかどうか――。せてもそれは、さんたる死骸しがいであるかもれないのだ。
 佐助さすけには、わからなかった。武蔵むさしのあまりにも淡々たんたんとした姿すがたが。
 そらをゆく一片ひとひら白雲はくうん
 みずをゆく扁舟へんしゅううえひと
 おなじようにすらえるのであった。
 だが、佐助さすけにも、そうあやしまれるほど、武蔵むさしは、このふね目的地もくてきちくあいだ、なにかんがえることがなかった。
 かれはかつて、退屈たいくつというものをらずに生活せいかつしてたが、このの、ふねなかでは、いささか退屈たいくつをおぼえた。
 かいけずったし、紙縒こよりれたし――そしてかんがえる何事なにごとたない。
 ふと。
 ふなべりからさお海水かいすい流紋りゅうもんおとしてる。ふかい、底知そこしれずふかい。
 みずきている。無窮むきゅう生命いのちっているかのようである。しかし、一定いっていかたちたない。一定いっていかたちとらわれているうちは、人間にんげん無窮むきゅう生命いのちない。――しん生命いのち有無うむは、この形体けいたいうしなってからのあとのことだとおもう。
 眼前がんぜんせいも、そうしたには、泡沫ほうまつていた。――が、そういう超然ちょうぜんらしいかんがえがふとあたまをかすめるだけでも、からだじゅうの毛穴けあなは、意識いしきなく、そそけっていた。
 それは、ときどき、つめたいなみしぶきにかれるからではない。
 こころは、生死せいし離脱りだつしたつもりでも、肉体にくたいは、予感よかんする。筋肉きんにくまる。ふたつが合致がっちしない。
 こころよりは、筋肉きんにく毛穴けあなが、それをわすれているとき武蔵むさし脳裡のうりにも、みずくもかげしかなかった。

「――えた」
「おお――ようやく、今頃いまごろ
 船島ふなじまではない。そこは彦島ひこじま勅使待てしまちうらであった。
 約三やくさん四十名よんじゅうめいさむらいが、漁村ぎょそん浜辺はまべにむらがって、先刻さっきから海上かいじょうをながめっていた。
 このものたちはみな佐々木巌流ささきがんりゅう門人もんじんであり、その大半以上たいはんいじょうが、細川家ほそかわけ家中かちゅうであった。
 小倉こくら城下じょうかに、高札こうさつつとぐ、当日とうじつ船止ふねどめのさきして、しまわたってしまったのである。
まんいちにも、巌流先生がんりゅうせんせいやぶれたときは、武蔵むさしを、かしてしまからかえすまいぞ)
 と、ひそかに、めいむすんだともがらが、はん布令ふれをも無視むしして、二日ふつかまえから、船島ふなじまがってきょうをかまえていた。
 だが、今朝けさになって。
 長岡佐渡ながおかさど岩間角兵衛いわまかくべえなどの奉行ぶぎょうや、また、警備けいび藩士はんしたちがそこへ上陸じょうりくするにおよんで、すぐ発見はっけんされ、きびしく不心得ふこころえさとされて、船島ふなじまからとなしまの――彦島ひこじま勅使待てしまちへと、はらわれてしまったものだった。