474・宮本武蔵「円明の巻」「日出づる頃(3)(4)」


朗読「474円明の巻69.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 31秒

さん

武蔵むさしは、返事へんじをしたためて、
委細いさい書中しょちゅうにいたしましたれば、佐渡様さどさまへは、よろしゅうおつたえを」
とのことだった。
そして、船島ふなじまへは、自身じしんころはかって出向でむくゆえ、お気遣きづかいなく――ともいった。
やむなく、二人ふたりは、返書へんしょってすぐした。――かえるまで、伊織いおりついなにもいえないでいた。武蔵むさし一言ひとこともことばをかけてやらないのである。しかし、無言むごんなかに、師弟していじょうと、言葉以上ことばいじょうのものはきていた。
二人ふたりもどりを、ちかねていた長岡佐渡ながおかさどは、武蔵むさし返書へんしょにして、まずほっとまゆをひらいた。
文面ぶんめんには、

私事しじ、おもと様御舟さまおふねにて、船島ふなじまつかわさる可旨べきむねおお被聞きけられ重畳ちょうじょうこころづかいのだんかたじけなくぞんじ奉候たてまつりそろ
しかれどこのたびわたし小次郎こじろうとは敵対てきたいものにて御座候ござそうろう。しかるに小次郎こじろう君公くんこう御舟おふねにてつかわされ、わたし其許様そのもとさまふねにてつかわされ候旨そうろうむね御座候処ござそうろうところみぎ御主君ごしゅくん被対たいせられ如何いかがわしくぞん奉候たてまつりそろ。このわたしにはおかまいなされずそうろうしかべくとぞんじたてまつそうろう
此段このだん御直おんじきもう上可あぐべくとぞんじそうろうえども、御承引ごしょういんなさるまじくそうろうつき、わざともうしあげず、爰元ここもとまい居候いそうろう中略ちゅうりゃく
爰元ここもとふねにて、時分参じぶんまいもうすべく候間そうろうあいだ左様さようおぼさるべくそろ。 じょう
四月十三日しがつじゅうさんにち       宮本武蔵みやもとむさし
佐渡守様さどのかみさま

したためてあった。
「…………」
佐渡さどは、黙然もくねんと、読後どくご文字もじをなお見入みいっていた。
謙虚けんきょ。ゆかしいおもくばり。なににしても行届ゆきとどいた返書へんしょ。とこころたれている容子ようすだった。
それとまた、佐渡さどは、昨夜さくやからの自分じぶん焦躁しょうそうが、この返書へんしょたいして、面映おもはゆくあった。謙虚けんきょこころ持主もちぬしたいして、すこしでもうたがったことがみずかじられた。
縫殿介めいのすけ
「はっ」
武蔵むさしどのの、この御書面ごしょめんたずさえてすぐ、内海うつみ孫兵衛丞まごべえのじょうどのや、そのしゅうに、廻状かいじょういたしてい」
承知しょうちいたしました」
退がりかけると、ふすまかげひかえていた用人ようにんが、
御主人様ごしゅじんさま御用ごようがおすみあそばしたら、今日きょうのお立会たちあいのお役目やくめ、はやお支度したくあそばしませぬと」
と、うながした。
佐渡さど落着おちついて、
心得こころえておる。じゃが、まだ時刻じこくにははやかろう」
「おはやくはござりまするが、おなじく今日きょうのお立会役たちあいやく岩間角兵衛様いわまかくべえさまにはもはやおふね仕立したてられ、いまがたはまをおはなれなされましたが」
ひとひと。あわてずともよい。――伊織いおり、ちょっとこれへい」
「はい……御用ごようですか」
「そちは、おとこだの」
「え、え」
「いかなることがあっても、かぬという自信じしんがあるか。どうじゃ」
きませぬ」
しからば、わしのともをして、船島ふなじまけ。――じゃが、次第しだいっては、武蔵むさしどののほねひろうてかえるかもれぬのだぞ。……くか。……かずにいられるか」
きます。……きっと、かないで」
おくこえをうしろに。
縫殿介ぬいのすけもんそとしていた。すると、へいかげからかれすぼらしいたびおんながあった。

よん

「おくださいませ。……長岡様ながおかさま御家来おけらいさま」
おんなは、っていた。
縫殿介ぬいのすけは、いている。しかし、たびおんな風態ふうたいに、あやしみのをみはって、
なんじゃ。お女中じょちゅう
「ぶしつけではございまするが、かようななりのもの、お玄関げんかんつこともはばかられまして」
「では、御門前ごもんぜんっていたのか」
「はい……今日きょうせまった船島ふなじま試合しあいに、きのうから、武蔵様むさしさまげたとやら……まちうわさきましたが、それは本当ほんとうでございましょうか」
「ば、ばかなこと!」
ゆうべからの鬱憤うっぷんを、いちどにいて、
左様さよう武蔵むさしどのか、武蔵むさしどのでないか、たつこくになればわかる。――たったいま、わしは武蔵むさしどのにおいして、御返書ごへんしょまでいただいてたところだ」
「えっ……。おいなされましたか。して、何処どこに?」
其方そなたは? ……なんじゃ」
「はい」
さし俯向うつむいて、
武蔵様むさしさまとは、ものでござりますが」
「ふム。……ではやはりもないうわさあんじていたのか。では、これからいそ出先でさきだが、武蔵むさしどのの御返書ごへんしょを、ちょっとせてげる。心配しんぱいなさるな、これこのとおりに――」
縫殿介ぬいのすけがそれをかせてやっていると、かれのうしろへって、ともに、なみだをもって、ぬすみしているおとこがあった。
縫殿介ぬいのすけが、ふとづいて、自分じぶんかたくと、おとこわるそうにお辞儀じぎして、あわてて、をふいた。
だれだ? ……おぬしは」
「はい。その女房にょうぼうの、れのものでございます」
「なんだ。御亭主ごていしゅか」
有難ありがとうございました。武蔵むさしどのの、なつかしい文字もじて、なんだか、ったもおなじがしました。……なあ女房にょうぼう
「ほんに、これで安心あんしんいたしました。――よくには、とおくからでも、試合しあい場所ばしょを、おがんでいとうございます。たとえ、うみへだてても、わたしたちのこころがそこにはたらきますよう」
「オオ、それなら、あの海沿うみぞいのおかがって、はるかに、しまかげなとていなされ。――いやいや、きょうは、ばかにれているから、船島ふなじまなぎさあたりは、かすかにえるかもれぬぞ」
「おいそぎのところ、あしをおめして、みませんでした。――では、御免ごめんなされませ」
ったたび夫婦者ふうふものは、城下じょうかはずれの松山まつやまをさして、あしはやめかけた。
縫殿介ぬいのすけも、いそぎかけたが、あわててめた。
「もしもし。おまえたちの、名前なまえなんというひとか。さしつかえなければかしておいてくれ」
夫婦ふうふは、かえって、またていねいにとおくからお辞儀じぎをした。
武蔵むさしどのとおな作州さくしゅううまれ――又八またはちもうします」
朱実あけみといいまする」
縫殿介ぬいのすけは、うなずくと、もう一散いっさんに、使つかさきけてった。
ややしばらく見送みおくっていたが、見合みあわすと、二人ふたりくちもきかず、城下じょうかそといそいだ。小倉こくら門司もじせきのあいだの松山まつやまへ、あえあえぎ、のぼってった。
真正面ましょうめんに、船島ふなじまえる。いくつもの島影しまかげえる。いや海門かいもん彼方かなた長門ながと山々やまやまひだまで今日きょうはあざやかにえる。
二人ふたりは、たずさえているこもき、うみむかって、ならんですわった。
ざあ、ざあっ……と断崖だんがいした潮音ちょうおんは、親子おやこ三人さんにんうえに、まつりこぼした。
朱実あけみは、ろして、ぶさにかかえ、又八またはちはじっと、ひざをむすんだまま、くちもきかず、もあやさず、一念いちねんうみあお見入みいっていた。