471・宮本武蔵「円明の巻」「馬の沓(5)(6)」


朗読「471円明の巻66.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 11秒

武蔵むさしも、いまことわりかねて、
「それほどまでのおおせなら」
と、承諾しょうだくすると、人々ひとびと非常ひじょうによろこんで、
「では早速さっそくにも」
と、即座そくざなにかと打合うちあわせ、武蔵むさしのそばには、木南加賀四郎きなみかがしろうひとりをのこし、あとものは、
しからば、いずれまた後刻ごこく寄合よりあいせきにてかかる」
と、そのからめいめい、一度家路いちどいえじへとかえってった。
武蔵むさし加賀四郎かがしろうとは、そこらの茶店先ちゃみせさきるるを待合まちあわせ、やがてよい星空ほしぞらしたを、加賀四郎かがしろう案内あんないで、まちから小半里こはんりほどある到津いたつはしたもとまでみちびかれてった。
ここは城下端じょうかはずれの街道筋かいどうすじで、藩士はんし邸宅ていたくなどもなければ、酒亭しゅていなどもあたらない。橋袂はしたもとには、街道かいどう旅人たびびと馬方相手うまかたあいての、るからにひなびた居酒屋いざかや木賃きちんあかりが、軒端のきばくさもれてえるだけだった。
不審ふしんところへ? ――
と、武蔵むさしうたがわざるをなかった。ともあれ、最前さいぜん人々ひとびとは、香山半太夫かやまはんだゆう内海孫兵衛丞うつみまごべえのじょうをはじめ、その年配ねんぱいなり重々おもおもしさからても、みなしかるべき位置いち藩士達はんしたちであるのに、とし一度いちど寄合よりあいという会場かいじょうせきを、こんな不便ふべんな、田舎いなかびたところまで、わざわざってるとはおかしい。
――ははあ、さてはそういう口実こうじつもとに、なんたくらんでいるのだろうか。いやいや、それにしては、あの人々ひとびとなん邪気じゃき殺気さっきかんじられないが。
「――武蔵むさしどの。もうみなえております。どうぞ此方こちらへ」
かれ橋袂はしたもとたせておいて、河原かわらのぞいていた加賀四郎かがしろうは、そういいながら、どて細道ほそみちさがして自分じぶんさきりてく。
「あ。せきふねなかか」
自分じぶんぎたうたがいに苦笑くしょうおぼえながら、かれあとから河原かわらりてったが、なんことふねなどもそこらには見当みあたらない。
だが、加賀四郎かがしろうくわえて、六名ろくめい藩士はんしたちは、すでにていた。
れば、せきというのは、河原かわらいた三枚さんまいむしろでしかない。そのむしろうえに、最前さいぜん香山かやま内海うつみ二老人にろうじんかしらに、井戸いど亀右衛門丞かめえもんのじょう船曳杢右衛門丞ふなひきもくえもんのじょう安積あさか八弥太はやたなど、ひざくずさずすわっていた。
「かようなせきへ、失礼しつれいじゃが、おりもよし、ねん一度いちどのわれらの寄合よりあいへ、同郷どうきょう武蔵むさしどのが来会きあわされたのも、なにかのごえんじゃろう。……まずまず、それへご休息きゅうそくを」
と、かれへも一枚いちまいむしろをすすめ、さっき浜辺はまべではえなかった安積八弥太あさかはやた紹介ひきあわせ、
「これも、作州牢人さくしゅうろうにんのひとり――いまでは細川家ほそかわけ馬廻役うままわりやくをいたしておるもので」
と、慇懃いんぎんなことは、とこ銀襖ぎんぶすまをひかえた客間きゃくま応対おうたいかわりもなかった。
武蔵むさしは、いよいよ、不審ふしんにたえない。
風流ふうりゅう趣向しゅこうなのか。なにかまた、人目ひとめけてする必要ひつようのある会合かいごうなのか。――とにかく一枚いちまいむしろまねかれてもきゃくきゃくであるから、武蔵むさしつつしんですわっていると、やがて年長者ねんちょうしゃ内海孫兵衛丞うつみまごべえのじょうが、
「あいや客人まろうど。おひざをおくずしくだされい。――そして、やがて持参じさんおりさけなどもござるが、それはあとひらくといたして、われらの会合かいごう仕来しきたりだけを、さきいたしておくことにいたすゆえ、なごうはかからぬが、暫時ざんじそれにておちねがいたい」
と、いった。
そして一同いちどうはかまって、一緒いっしょ胡坐あぐらをくんですわなおすと、銘々めいめいたずさえてたらしいいち藁束わらたばぐして、うまくつつくはじめたのであった。

ろく

つくっているのは、うまくつであるが、それをつく藩士はんしたちの様子ようすくちもきかず、わきもふらず、謹厳きんげんでありまた、おそろしく敬虔けいけんであった。
つばし、わらごき、たなごころたなごころわせてちからにも、なに傍目はためにもわか熱気ねっきがこもっていた。
「……?」
武蔵むさしは、不審ふしんたれていたが、人々ひとびとのすることを、おかしたり、うたがってみたりするには毛頭もうとうなれなかった。
だまって、つつしんでていた。
つくれたかな」
やがて、香山半太夫老人かやまはんだゆうろうじんがいって、ほかものまわした。
老人ろうじんはもう、一足いっそくくつつくげていた。
出来できましてござりまする」
つぎに、木南きなみ加賀四郎かがしろう
「てまえも」
と、安積あさか八弥太はやたも、つくげた一足いっそくを、香山老人かやまろうじんまえに、さしした。
順々じゅんじゅんに、んで、六足ろくそくくつができた。
そこで人々ひとびとは、はかまのチリをはらい、羽織はおり着直きなおして、六足ろくそくうまくつを、三方さんぽうにのせて、六人ろくにんなかほどにえた。
また、べつな三方さんぽうには、用意よういしてさかずきせられ、そばぼんには銚子ちょうしそなえて、
「さて、御一同ごいちどう
と、年長ねんちょう内海うつみ孫兵衛丞まごべえのじょうから、あらたまった挨拶あいさつべられた。
「――われらにとってわすがた慶長五年けいちょうごねん、そのせきはらえきより、はやじゅう三年さんねんになりもうす。おたがいおもわざる生命いのちながらえ、今日きょう、かくあるは、ひとえに、藩主細川公はんしゅほそかわこう御庇護ごひごるところ。御恩ごおんのほど、子孫しそんまでわすれてはもうさぬ」
「はい……」
一同いちどうは、ややに、孫兵衛丞まごべえのじょうのことばを、えりただしていていた。
「――とはいえ、いまほろびたりといえ、旧主新免家きゅうしゅしんめんけ代々よよ御恩ごおんも、忘却ぼうきゃくしてはならぬ。――なおなお、われらこの流浪るろうには、落魄おちぶてていたことをも、喉元のどもとすぎて、わすれてはまぬ。……そうみっつのことを、わすれぬための、例年れいねんかい。まず今年ことしも、息災そくさい打揃うちそろうて、おたがい祝着しゅうちゃくぞんずる」
「されば、孫兵衛丞まごべえのじょうどの、御挨拶ごあいさつのとおり、藩公はんこう御慈愛ごじあい旧主きゅうしゅ御恩ごおん零落れいらくのむかしにかわ今日きょう天地てんちおん。――われら日常にちじょうわすれはきませぬ」
一同いちどうして、そういった。
司会者格しかいしゃかく孫兵衛丞まごべえのじょうは、
「では、御礼おんれいを」
「はっ」
六名ろくめいは、ひざただし、両手りょうてをつかえて、そこからえる――夜空よぞらにもしろあおがれる――小倉城こくらじょうむかって、あたまげた。
つぎに、旧主きゅうしゅ。また各々おのおの祖先そせん――作州さくしゅう方角ほうがくむかって、同様どうようれいをした。
最後さいごに、自分じぶんたちでつくったうまくつへ、両手りょうてをつかえて、それをも真心まごころこめておがんだ。
武蔵むさしどの。一同いちどうこれより、この河原かわらうえ氏神うじがみやしろまで、参詣さんけいしてくつおさめてまいる。――それにて式事しきじむのでござる。めばおおいにみもしはなしもいたそうほどにもう暫時ざんじ、それにておちを」
一人ひとりは、馬沓まぐつをのせた三方さんぽうささげてさきすすみ、五名ごめいあとしたがって、氏神うじがみ境内けいだいのぼってった。馬沓まぐつは、街道かいどうむかっている鳥居前とりいまえくくしつけ、拍手かしわでって、一同いちどうはすぐもと河原かわらむしろかえってた。
そして、さかもりがはじまった。
――というても、いもたのや、味噌みそたけのこや、せいぜいざかなぐらいな、このへん農家のうか馳走ちそうぐらいな質素しっそではあったが。
しかし、豪笑快語ごうしょうかいごさけはなしは、はずんでた。