470・宮本武蔵「円明の巻」「馬の沓(3)(4)」


朗読「470円明の巻65.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 22秒

さん

おういーっ。
と、ものがある。
いてまた、だれかが。
おおういっ……
いま長岡佐渡ながおかさどやしきへ、挨拶あいさつをすまして、侍小路さむらいこうじから伝馬河岸てんまがし到津いたつはまほうりてった武蔵むさしのうしろ姿すがたへ――そのこえぬしは、っていた。
五名ごめい武士ぶし
細川家ほそかわけ藩士はんしとすぐわかる。そしてみな、よい年配ねんぱいだ。白髪しらが老武士ろうぶしなかえる。
武蔵むさしづかない。
黙然もくねんと、波打際なみうちぎわっていた。
は、うすずきかけて灰色はいいろ漁船ぎょせんが、ひるがすみのなかに、静止せいししていた。このへんから海上約一里かいじょうやくいちりという船島ふなじまは、すぐそばのそれよりはおおきい彦島ひこしまかげにかすかにえる。
武蔵むさしどの」
宮本みやもとうじではないか」
年配ねんぱい藩士はんしたちは、ってかれのすぐうしろにった。
とおくからばれたとき武蔵むさしはいちど振向ふりむいて、その人達ひとたちるのはっていたが、皆見覚みなみおぼえのないものばかりなので、自分じぶんとはおもわなかったのである。
「……はて?」
小首こくびかしげると、なかでも年長ねんちょう老武士ろうぶしが、
「もうおわすれじゃろ。われらに、見覚みおぼえがないのもむりはない。それがしは内海孫兵衛丞うつみまごべえのじょうもと其許そこもと郷里きょうり作州竹山城さくしゅうたけやまじょう新免しんめんで、六人衆ろくにんしゅうといわれたものどもじゃよ」
つづいて、つぎものが、
自分じぶんは、香山こうやま半太夫はんだゆう
「わしは井戸いど亀右衛門丞かめえもんのじょう
船曳杢右衛門丞ふなひきもくえもんのじょう
木南きなみ加賀四郎かがしろう
と、名乗なのって、
「いずれも、御身おんみとは同郷どうきょうものども、そしてまた、このなか内海孫兵衛丞うつみまごべえのじょうと、香山半太夫こうやまはんだゆう二老人にろうじんは、其許そこもと父上ちちうえ新免無二斎しんめんむにさいどのとは、いたってしたしい友達ともだちでもござった」
「……おお、では」
武蔵むさしは、したしみを笑靨えくぼせて、その人々ひとびとへ、会釈えしゃくをしなおした。
なるほど、そうけば、この人々ひとびとには、特有とくゆうなまりがある。しかもそのなまりはすぐ自分じぶん少年時代しょうねんじだいおもさせるなつかしい郷里きょうりつちにおいまでっている語音ごいんだった。
もうしおくれました。おたずねのとおり、拙者せっしゃ宮本村みやもとむら無二斎むにさいせがれ幼名ようみょう武蔵たけぞうもうしたものにござりますが。……どうしてまた、郷里きょうり方々かたがたが、かくおそろいで此処ここにはおいでなされましたか」
せきはら御合戦ごかっせんあとってのとおり、主家新免家しゅけしんめんけ滅亡めつぼう。われらも牢人ろうにんして、九州落きゅうしゅうおち。……この豊前ぶぜんて、一時いちじは、うま草鞋わらじなどつくって、露命ろめいをつないでいたものじゃが、そのあとしあわせあって、当細川家とうほそかわけ先殿様せんとのさま三斎公さんさいこうのお見出みだしにあずかり、いまでは当藩とうはんにみな御奉公ごほうこういたしておるじゃ」
「さてさて、左様さようでござりましたか。おもわぬところで、亡父ちち御友人達ごゆうじんたちにこうしておにかかろうとは」
「こちらも意外いがい。おたがいになつかしいことよ。……それにつけ、その姿すがたを、一目ひとめなと、無二斎むにさいどのにせたかったなあ」
半太夫はんだゆう亀右衛門丞かめえもんのじょうなどの人々ひとびとは、相顧あいかえりみて、またしげしげと、武蔵むさし姿すがた見直みなおしていたが、
「オオ、用談ようだんわすれた。じついまほど、御家老ごかろうのおやしきったところ、おぬしがえて、すぐかえったとのこと。これはいかんと、あわててうてたのじゃ。――というのは、佐渡様さどさまとももうしあわせ、御身おんみ小倉こくら到着とうちゃくしたら、ぜひ一夜いちや、われらなどもじえて、いっせきえんをと、ちもうけていたのじゃ」
杢右衛門丞もくえもんのじょうがいうと半太夫はんだゆうも、
「それをばさ。すげのう、お玄関げんかん挨拶あいさつだけして立帰たちかえるというほうがあるものでない。さあござれ。無二斎むにさいせがれどの」
をひかんばかりだし、ちち友人ゆうじんというかくから、有無うむをいわさぬ口吻くちぶりで、もうさきあるした。

よん

こばみかねて、つい武蔵むさしも、ともどもあるしたが、
「いや。やはりおことわりいたしましょう。ご好意こういにいたすようでござるが」
よどんで、辞退じたいすると、人々ひとびとくちそろえて、
「なぜじゃ。折角せっかく、われら同郷どうきょうものが、御身おんみむかえて、大事だいじ門口かどぐちを、いわおうというのに」
佐渡様さどさまおぼめしもそうじゃ。佐渡様さどさまにもしかろうに」
「それとも、なんぞご不服ふふくか」
すこし感情かんじょうがいしたらしく、わけて無二斎むにさいとは生前せいぜん莫逆ばくぎゃくともだったという内海孫兵衛丞うつみまごべえのじょうなどは、
「そんなほうやある」
といわんばかりなである。
けっして左様さよう心底しんていではございませぬが」
慇懃いんぎんびたが、慇懃いんぎんだけではまさず、理由りゆうはと、たたみかけられて、武蔵むさし是非ぜひなく、
「――ちまたのうわさ、るにらぬことですが、このたび試合しあいをもって、細川家ほそかわけ二家老にかろう長岡佐渡様ながおかさどさま岩間角兵衛様いわまかくべえさまとを対立たいりつして、そうふたつの勢力せいりょくって、一藩いっぱん御家中ごかちゅう対峙たいじしておる。そして一方いっぽう巌流がんりゅうようして、いよいよ君寵くんちょうのおおぼえをたのみ、長岡様ながおかさまにもまたかれはいし、御自身ごじしん派閥はばつおもからしめんとしておるなどと、あらぬことを、道中どうちゅうなどにてもおよびました」
「ほほウ……」
「おそらくは、ちまた風説ふうせつ俗衆ぞくしゅう臆測おくそくでございましょう。――しかし、衆口しゅうこうおそろしい。一介いっかい牢人ろうにんには、さわところもござりませぬが、藩政はんせい御関与ごかんよなさるる長岡様ながおかさま岩間様いわまさまには、寸毫すんごうでも、左様さよううたがいを領民りょうみんいだかせてはなりませぬ」
「いやあ、なるほどの!」
老人達ろうじんたちは、おおきくこたえて、
「それで、御身おんみには、御家老ごかろうのおやしきへ、わらじをくことを、はばかってまいられたのか」
「いや、それは理窟りくつで」
武蔵むさしは、微笑びしょう打消うちけし、
じつのところは、生来せいらい野人やじんままにおりたいのでござる」
「おこころもち、よく相分あいわかった。ふかおもえば、まんざら、のないけむりではないかもれぬ。われらにはおぼえなくとも」
武蔵むさし深慮しんりょ人々ひとびとかんじた。しかし、このままわかれるのも残念ざんねんと、一同いちどうひたいをよせてなにやらはなしあっていたが、やがて木南きなみ加賀四郎かがしろうが、一同いちどうかわって、つぎのような希望きぼうべた。
「――じつ毎年まいとし、きょうの四月十一日しがつじゅういちにちには、吾々われわれどものりあう会合かいごうがござって、十年来じゅうねんらいかしたこともないのでござる。それには、同郷六名どうきょうろくめいと、人数にんずうかぎり、ひとまねかぬかいでござるが、貴殿きでんなれば、おな国者くにもの、わけてお父上無二斎殿ちちうえむにさいどの御親友ごしんゆうもここにはおるので、よかろうではないかと、ただいま評議ひょうぎしたのでござるが、ご迷惑めいわくさっるが、そのほうせきへでも、おくださるまいか。――そこなれば、御家老ごかろうのおやしきとはことちがい、世間せけんもなし、うわさのまとになるはずもござらぬが」
なお、つけくわえて。
最前さいぜんはまた、もし貴方あなたが、すでに長岡家ながおかけえられていたら、自分じぶんらのその会合かいごうさきばすつもりで、ねんのため同家どうけってたずねてみたのであるが、いずれにしても長岡家ながおかけへおとまりをけるおこころなら、げて今夜こんやは、こっちの会合かいごうのぞんでもらいたい――というのであった。