468・宮本武蔵「円明の巻」「十三日前(5)(6)」


朗読「468円明の巻63.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 24秒

やしきにちているきゃくをよそに、巌流がんりゅうはひとり鷹小屋たかごやにはいって、とまたかと、もくねん、むかいっていた。
えさをやったり、ってやったり、こぶしせて、でたりなどして。
先生せんせい
「――だれだ」
玄関げんかんものでございます。ただいまおおもてへ、岩国いわくにから御老母様ごろうぼさまが、はるばる、たずねておいでなされました。小次郎こじろうえばわかるもの――とおっしゃるのみで」
老母ろうぼが。……はてのう? わしのはははもうこのにいないひとだ。ははいもうとにあたる叔母御おばごであろう」
「どこへおとおしいたしましょうか」
いたくないなあ。……かようなときには、ひとにはだれともいとうない。……だがまあ、叔母御おばごとあれば、ぜひもなかろう。わしの居間いまへご案内あんないいたしておけ」
取次とりつぎると、
辰之助たつのすけ
と、そとんだ。
かれ小姓同様こしょうどうように、つねそばにいる内弟子うちでし辰之助たつのすけは、
「はい。御用ごようですか」
小屋こやうちへはいって、かれのうしろに片膝かたひざいた。
「きょうは十一日じゅういちにち。いよいよ、明後日あさってのことになったな」
ちかづきましてございます」
明日あすは、ひさしぶりに登城とじょう殿様とのさまにごあいさつもうしあげ、心静こころしずかに、一夜いちやちたいものだ」
「それにしては、あまりにご来客らいきゃくみあいまする。明日あすは、一切いっさい、おきゃくとおいをけて、しずかに、時刻じこく早目はやめに、おやすみなされますように」
「そうしたいものだ」
広間ひろまのお客衆きゃくしゅうは、ひいきの引倒ひきたおしというものでございます」
「そういうな、かのしゅうも、巌流がんりゅう肩持かたもちするで、近郷きんごう遠国おんごくからておる人々ひとびとだ。……がしかし、勝敗しょうはいときうん。――うんばかりではないが、兵家へいか興亡こうぼうおなじこと。もし巌流亡がんりゅうなあとは、わしが手文庫てぶんこのうちの遺書二通いしょにつう一通いっつう岩間殿いわまどのへ、一通いっつうはおみつへ、そちのからわたしてくれ」
御遺書ごいしょなどとは……」
武士ぶしのたしなみ。あたりまえなことだ。また、当日とうじつあさは、介添かいぞえ一名いちめい同行どうこうはゆるされておるから、船島ふなじままで、ともをして、そちもけ。――よいか」
冥加みょうがなおとも、ありがとうぞんじまする」
天弓あまゆみも」
と、とまたかて、
「そちのこぶしにすえて、しままで、れてまいろうな。――うみ上一里うえいちりもあるふねなかなぐさみにもなるで」
心得こころえました」
「では、岩国いわくに叔母御おばごに、あいさつしてようか」
巌流がんりゅうった。しかし、そうしたひとうことは、いま心境しんきょうは、いかにも億劫おっくうらしくえた。
岩国いわくに叔母おばは、もうきちんとすわっていた。夕焼雲ゆうやけぐもは、焼刃金やきはがねめたようにくろくなって、室内しつないには、しろあかしがともっていた。
「やあ、これは」
末座まつざにさがって、巌流がんりゅうあたまひくげた。ははあとは、ほとんど、この叔母おばそだてられたのだった。
ははには、にあまいところもあったが、この叔母おばには、みじんもそういうところはなく、ただひたすら、あねでありまた、佐々木家ささきけ家名かめいにな小次郎巌流こじろうがんりゅうたいして、よそながらでも、えずその将来しょうらいまもっていたただ一人ひとり身寄みよりであった。

ろく

小次郎こじろうどの。けばこのたびは、いよいよ、生涯しょうがい大事だいじにのぞむそうな。岩国いわくに故郷元くにもとでも、えらいうわさ。じっとしているにもいられず、おもと顔見かおみました。――ようまあ、ここまで立派りっぱ出世しゅっせしてござったの」
伝家でんか一刀いっとうって故郷ふるさと少年しょうねんころかれのすがたと、いま堂々どうどうたる一家いっか風貌ふうぼうそなえたかれとをおもくらべて、今昔こんじゃくかんにたえないように岩国いわくに叔母おばはそういった。
巌流がんりゅうは、低頭ていとうして、
十年じゅうねんひさしいあいだ、お便たよりもせず無音ぶいんつみ、おゆるしください。人目ひとめには、出世しゅっせゆるかぞんぜぬが、まだまだ、小次郎こじろう志望しぼうは、これしきのことに、満足まんぞくするものではごさいませぬ。――それゆえに、つい故郷ふるさとへも」
「いやなに。おもと消息しょうそくは、かぜ便たよりにもようきこえてるほどに、便たよりはのうても、息災そくさいれてある」
「それほど、岩国いわくにでも、なにかと風評ふうひょうにのぼっておりますか」
「おるどころではない。このたび試合しあいわたり、武蔵むさしやぶれては、岩国いわくに恥辱ちじょくぞ、佐々木ささき名乗なの一族いちぞく名折なおれぞと、たいそうな肩持かたもちじゃ。わけて、吉川きっかわはん客分片山きゃくぶんかたやま伯耆守ほうきのかみ久安様ひさやすさまなど、御門下衆ごもんかしゅう大勢おおぜいれ、小倉表こくらおもてまでたれるそうな」
「ほ。試合しあいに」
「したが、高札こうさつれば、明後日あさって一切いっさい船出ふなだしはならぬ、というお布令ふれ。さだめし落胆らくたんしているしゅうおおかろうの。……おお余事よじばかりいうてわすれていたが、小次郎こじろうどの、おもとげたい土産みやげひとつ、もろうてくだされ」
旅包たびつつみいて叔母おば折畳おりたたんだ一枚いちまい肌着はだぎした。それはしろ晒布ざらしに、八幡大菩薩はちまんだいぼさつ摩利支天まりしてん名号みょうごうき、また、りょうそでに、必勝ひっしょう禁厭まじないという梵字ぼんじを、百人ひゃくにんはりこまかにった襦袢じゅばんであった。
「ありがとうぞんじます」おしいただいて、
「おつかれでしょう。んでおりますゆえ、このままこの部屋へやで、ご自由じゆうにおやすみください」
巌流がんりゅうは、それをしおに、叔母おばをのこして、ほかった。すると、そこにもきゃくはいて、
「これは、男山八幡おとこやまはちまんのお神札まもりでござる。当日とうじつ懐中ふところにおちあって」
と、おくってくれるものもあるし、わざわざ鎖帷子くさりかたびらとどけてくれるものだの、また、台所だいどころへは、おおきなたい酒菰さかごも何処どこからかはこばれてるし、巌流がんりゅう置所おきどころもなかった。
そういう声援者せいえんしゃみなかれたせたいとねんじているものにはうたがいないが、十中じっちゅうはっまで、巌流がんりゅうちをしんじ、巌流がんりゅう立身りっしん見込みこみ、かれとの将来しょうらい好誼こうぎ自分じぶんのぞみをも幾分いくぶんけている人々ひとびとだった。
(もし、おれが牢人ろうにんだったら)
と、巌流がんりゅうはふとさびしいもした。しかし、かくまで、自分じぶん信頼しんらいさせたものは、だれでもない、自分自身じぶんじしんだった。
たねばならない)
かれおもった。そうおもうことはすでに、試合しあいにのぞむこころさまたげとはりつつ、やはりいつのまにかむねそこで、
たねばならん! たねばならん!)
人知ひとしれず――いや自己じこさえ意識いしきなく、風騒かぜさわいけ小波さざなみのようになくむね繰返くりかえしていた。
よいになった。
だれさぐり、だれらせてたか広間ひろまあつまって、さけんだりめしべたりしている大勢おおぜいあいだに、
「きょう、武蔵むさしいたそうだ」
門司もじせきで、ふねよりがり、御城下ごじょうか姿すがたせたというが」
「では多分たぶん長岡佐渡ながおかさどのやしきへいたことだろう。だれあとで、佐渡さどのやしきの様子ようすを、ちょっとさぐっててはどうか」
などというこえが、今宵こよいにも大事だいじ到来とうらいしているように、物々ものものしく、しかし密々ひそひそつたえられていた。