466・宮本武蔵「円明の巻」「十三日前(1)(2)」


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十三日前じゅうさんにちまえ

いち

赤間あかませきもそうである。門司もじせき小倉城下こくらじょうかはもちろんのことだった。この数日すうじつのあいだに、旅客りょかくものはすくなく、とまものおおく、どこの旅舎りょしゃもいっぱいで、旅籠はたごまえにはかならずある駒繋こまつなぎの棒杭ぼうぐいさえ、うまうまっていた。

布令申ふれいもうこと
ひとつ。
きた十三日辰之上刻じゅうさんにちたつのじょうこく豊前長門之海門ぶぜんながとのかいもん船島ふなじまおいて、当藩士巌流佐々木小次郎儀とうはんしがんりゅうささきこじろうぎ試合仰しあいおお被付つけらる
相手方あいてがた作州牢人宮本武蔵政名也さくしゅうろうにんみやもとむさしまさななり
また、ひとつ。
当日とうじつ府中火気厳禁ふちゅうかきげんきんこと
双方そうほうのひいき、助太刀すけだち輩共やからども一切いっさい渡海とかいことかたく禁制きんせい
遊観ゆうかんふね便船びんせん漁舟等りょうふねなど同様どうよう海門かいもん往来止おうらいどめたるべし。
ただし辰下刻たつげこくまでのこと以上いじょう
慶長十七年四月けいちょうじゅうしちねんしがつ

各所かくしょに、高札こうさつった。
船着ふねつきに。つじに。高札場こうさつばに。
そこにも旅人たびびとがたかっていた。
十三日じゅうさんにちといえば、もう明後日あさってじゃな」
遠国おんごくから、わざわざしゅうおおいそうな。逗留とうりゅうしてみやげばなしに、こうか」
「ばかな、一里いちりおき船島ふなじま試合しあいゆるわけはない」
「いや、風師山かざしやまのぼれば船島ふなじまいそまつすらえる。しかとはわからいでも、そののお船手ふねてかためや、豊前ぶぜん長門ながと両岸りょうがんの、物々ものものしい有様ありさまるだけでも」
はれならよいが」
「いや、このあんばいでは、あめにはなるまいて」
ちまたこえはもう、十三日じゅうさんにちうわさばかりだった。
見物舟けんぶつぶねや、そのほかも、海上かいじょう往来おうらいは、たつ下刻げこくまで停止ていし布令ふれたので、船宿ふなやど失望しつぼうしたが、それでも旅客りょかくは、当日とうじつ景観けいかんだけでもと、見晴みはらしのこころあてに、ちぬいていた。
十一日じゅういちにち午頃ひるごろである。
門司もじせきから小倉こくらへはいる城下口じょうかぐち一膳飯屋いちぜんめしやまえを、乳呑ちのみをあやしながら、きつもどりつしているおんながある。
つい先頃さきごろ大坂おおさか河端かわばたで、ふとかけた又八またはちが、あとってった、朱実あけみであった。
たびそらが、嬰児あかごさみしくてか、きやまないので――
「ねむたいか。ねんねしや。ねんねしや。オオ、よち、よち、よち……」
ぶさをふくませ、足拍子あしびょうしって、見得みえもない、よそおいもない、があるばかり。
かわればかわるもの――と、以前いぜん彼女かのじょものおもうであろう。だが彼女自身かのじょじしんには、この変化へんかも、いま生態せいたいも、なん不自然ふしぜんもない姿すがただった。
「おお、ぼうや、たか、まだいているのか。――おい朱実あけみ
飯屋めしやなかからて、こうんだのは又八またはちだった。
法衣ころもかえして、ぞくになったのもついこのあいだのこと。やがてかみたくわえるつもりの道心頭どうしんあたまを、頭巾ずきんいて、渋染しぶぞめ袖無そでなし。あれからすぐ夫婦ふたりして大坂おおさかち、道中どうちゅう路銀ろぎんとてないので飴売あめうりの胴乱どうらんをかけて、ちちとなるつまかてを、一銭二銭いっせんにせんはたらきながら、きょうやっと、小倉こくらまで辿たどいたところだった。
「さ。おれがかわって、いてやる。はやく御飯ごはんをたべてい。ちちないというじゃないか。たくさんべていよ。たくさん」
って、又八またはちは、飯屋めしやそとをうろうろと、子守歌こもりうたをうたっていた。
すると、とおりすがりのたび田舎いなか武士ぶしが、
「おや?」
と、又八またはちまもって、うしろもどってた。

いた、又八またはちも、
「お、お……?」
どまったたび武士ぶしへ、かえして見守みまもったが、だれだか、何処どこったかおおもせなかった。
数年前すうねんまえきょう九条くじょう松原まつばらったいち宮源八みやげんぱちでござるよ。そのおりは、六部ろくぶ姿すがたでござったから、お見忘みわすれもむりはない」
田舎武士いなかぶしは、そういった。
それでもまだ又八またはちには、明確めいかく記憶きおくをよびおこせなかったが、いち宮源八みやげんぱちが、ことばをかさねて、
「そのとき貴公きこうは、小次郎殿こじろうどのかたり、にせ小次郎こじろうとなって、所々ところどころ徘徊はいかいしておられたのを、拙者せっしゃまこと佐々木小次郎殿ささきこじろうどのしんじ……」
「ああ、あのときの!」
おもして、おおきくいうと、
「そうじゃ。そのとき六部ろくぶでござる」
「それは、どうも」
辞儀じぎをしたので、せっかく、ねむりかけていた嬰児あかごきだした。
「オオ、ヨシヨシヨシ。くな、くな。ばア――」
はなしは、それでんでしまい、いち宮源八みやげんぱちさきいそぐふうで、
ときに、当御城下とうごじょうかにお住居すまいの、佐々木殿ささきどののおやしきは、どのへんか、ごぞんじないか」
「さあ、わかりませんね。てまえもじつは、いまここへいたばかりで」
「ではやはり、武蔵むさしとの試合しあい見届みとどけに?」
「いえ。……べつにその」
一膳飯屋いちぜんめしや仲間ちゅうげん二人ふたりが、とおりすがりに、源八げんぱちへ、
巌流様がんりゅうさまのおやしきなら、紫川むらさきがわのすぐそばで、わしらの御主人ごしゅじんのお屋敷やしきおな小路こうじでさ。そこへくなら、案内あんないしてあげましょうぜ」
「やあ、かたじけない、……では又八またはちうじ、おさらば」
源八げんぱちは、あたふた、仲間ちゅうげんたちにいてってしまう。
その旅装たびよそおいの、あかほこりのひどさを見送みおくって、
「はるばる、上州じょうしゅうから、やってたのかしら?」
と、なんとはなく明後日あさってせま今度こんど試合しあいが、いかにくまなく諸国しょこくきこえているかがおもいやられた。
それと、数年前すうねんまえ――
あの源八げんぱちがさがしあるいていた中条流ちゅうじょうりゅう印可目録いんかもくろくれて、にせ小次郎こじろうとなってうろついていたころ自分じぶん姿すがたが――いまになると、あさましくもあり、なんたる懶惰らんだな、破廉恥はれんちなと、ぶるいがるほどにがおもされた。
そのころ自分じぶんと。そして、いま自分じぶんと。
かんがえてみれば、そうづくだけの進歩しんぽはあった。
(おれでも……こんなぼんくらでも、がさめてやりなおせば、すこしずつでも、かわるんだなあ)
御飯ごはんをたべるまも、ごえみみにあって、いそがしげに、飯屋めしやのめしをべて朱実あけみは、そこののきからけてて、
「すみません。――ぶいますから、にのせてくださいませ」
「もう、ちちはいいのか」
ねむたいのでしょう。なかにのせれば、そうですから」
「そうか。……よいしょ」
又八またはちは、を、彼女かのじょなかへわたした。そして、かれは、飴売あめうりの胴乱どうらんかたにかけた。
なかのよい夫婦飴屋ふうふあめや往来おうらいみなふりいてく。自分じぶんたちのそれがみな満足まんぞくにゆかないのがおおいので、たまたま、路傍みちばたでこういうけしきをると、羨望せんぼうにたえないらしい。
「よいおじゃのう。お幾歳いくつじゃ。……ほう、わらっておるがの」
あゆあゆみ、あとからいてひんのよい切下きりさがみ老婆ろうばが、朱実あけみをのぞいてあやした。よほど子好こずきな刀自とじとみえ、とも下男げなんにまで、このあいらしいわらがおよ、というのだった。