464・宮本武蔵「円明の巻」「鷹と女と(2)(3)」


朗読「464円明の巻59.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 33秒

ときにはまた、巌流がんりゅう萩之小路はぎのこうじ屋敷やしきをたずねる遍歴へんれき武芸者ぶげいしゃが、
(まだ一度いちども、ってみたことはないが、武蔵むさしどののは、ばかりでなく、上泉かみいずみ塚原以後つかはらいご柳生家やぎゅうけ中興ちゅうこう石舟斎せきしゅうさいをのぞいては、まず当今とうこん名人めいじん――名人めいじんといっては過賞かしょうなら、達人たつじんといってもさしつかえあるまいと、もっぱら称揚しょうようするじんおおいようでござるが)
と、かれ武蔵むさしとの、宿年しゅくねん感情かんじょうをわきまえずに、っていいでもすると、
(そうかな。ははは)
小次郎こじろう巌流がんりゅうは、そのおもていろをかくすによしなく、苦々にがにがしく冷笑れいしょうして、
世間せけん盲目もうもく千人せんにんもうすからなあ。かれを、名人めいじんというものもあろう。達人たつじんしょうひともなくはあるまい。……だが、それほどに、じつ世上せじょう兵法へいほうというものが、しつにおいて低下ていかし、ふうにおいてはすたれ、ただ売名ばいめいけた、小賢こざかしきもののみが、横行おうこうする時代じだいであることを、証拠しょうこだてておるのではなかろうかな。――ひとらず、この巌流がんりゅうかられば、かれがかつて、京都きょうと虚名きょめいった――吉岡一門よしおかいちもんとの試合しあい、わけて、十二じゅうに三歳さんさい一子いっしまでを、一乗寺村いちじょうじむらてたごときは、その残忍ざんにん、その卑劣ひれつ――卑劣ひれつといったのみではわかるまいが、あのときかれ一人ひとり吉岡方よしおかがた大勢おおぜいだったにちがいないが、なんらん、かれ逸早いちはやげていたのだ。――そのほかかれ生立おいたちをかれ野望やぼうするところても、唾棄だきすべき人物じんぶつと、それがしはておるが。……ははは、兵法世渡へいほうよわたりが達人たつじんというなら、賛同さんどうできるが、けんそのものの達人たつじんとは、それがしにはおもえぬことだ。世間せけんあまいものでなあ」
なお。
議論ぎろんするものが、それ以上いじょうにも、んで、武蔵むさしめれば、巌流がんりゅうは、それ自体じたいが、自身じしん嘲蔑ちょうべつする言葉ことばかのごとく、おもてしゅにしてまでも、
武蔵むさしは、残忍ざんにんにして、しかもたたかうに卑屈ひくつ兵法者へいほうしゃ風上かざかみにもおけぬ人物じんぶつ
と、相手あいてものをして、是認ぜにんさせてしまわないうちは、まないほどな、反感はんかんしめした。
これには、かれを、
一箇いっこ人格者じんかくしゃ
とまで、尊敬そんけいはらっている家中かちゅう人々ひとびとも、ひそかに、意外いがいとしていたが、やがて、
武蔵むさしと、佐々木殿ささきどのとは、なに積年せきねんうらみのあるあいだだそうだ)
と、つたえるもののはなしや、またほどなく、
ちかく、君命くんめいで、二人ふたりあいだに、試合しあい決行けっこうされる)
とかいわれしてから、さては、と従来じゅうらい不審ふしんもうなずかれて、一藩いっぱん耳目じもくは、ここすうげつ、その試合しあい期日きじつ成行なりゆきとに、そそがれていたのであった。同時どうじに。
かくと城内城下じょうないじょうかうわさがひろまってから、萩之小路はぎのこうじ巌流がんりゅうのやしきへなにかにつけ、朝夕あさゆうあししげくかよってえるひとは、藩老はんろうのひとり岩間角兵衛いわまかくべえであった。
江戸表えどおもてづめころかれを、君公くんこう推挙すいきょした関係かんけいから、いまではほとんど、一族いちぞくまじわりをしているその角兵衛かくべえ
きょうも。
四月しがつのはじめ。
もう、さくら八重やえも、りしいて平庭ひらにわ泉石せんせきかげつづって、つつじがいていた。
在宅ざいたくか――」
と、おとずれ、案内あんない小侍こざむらいについておくとおってると、
「おう。岩間いわまどのか」
居間いまは、陽影ひかげのみで、あるじ佐々木巌流ささきがんりゅうは、にわっていた。
たかこぶしえて。
そして、よくれているたかは、かれくちばしさきしているうえを、おとなしくべていた。

さん

主君しゅくん忠利ただとしめいで、武蔵むさしとの試合しあい決定けっていしてからほどなく、君公くんこうおもいやりもあり、岩間角兵衛いわまかくべえのとりなしもあって、――当分とうぶんあいだ隔日かくじつ御指南ごしなん登城とじょうおよばず。
と、それまでの、心静こころしずかな休養きゅうようをゆるされて、毎日まいにち屋敷やしきかんたのしんでいるかれであった。
巌流がんりゅうどの。きょうな、いよいよ御前ごぜんで、試合しあい場所ばしょ評議ひょうぎがきまった。――で、さっそく、おみみれにたが」
角兵衛かくべえは、ったままいう。
小侍こざむらいが、書院しょいんほうから、
「どうぞ」
せきもうけて、すすめている。角兵衛かくべえはそれへ、ウムとうなずいたきりで、
はじめは、聞長浜きくのながはまにしようか、紫川むらさきがわ河原かわらにしようか、などと所々ところどころ御評議ごひょうぎにのぼったが、とても左様さよう手狭てぜま場所ばしょでは、たとい矢来やらいめぐらそうとも、おびただしい見物けんぶつ混雑こんざつはふせぎきれまいとのことでな……」
「なるほど」
巌流がんりゅうは、こぶしたかに、ませながら、そのや、くちばしさま見入みいっていた。
世間せけんのさわぎや、そんな評議ひょうぎなどには、超然ちょうぜんとして、関心かんしんもないように。
――折角せっかく、わがことのように、みみれにたものをと、角兵衛かくべえは、やや張合はりあいぬけしながら、
立話たちばなしもなるまいて。ま、あがらぬか……」
きゃくであるかれほうからうながした。
「しばらく、おちを……」
と、巌流がんりゅうは、なお他念たねんなく、
うえだけ、べさせてしまいますから」
御拝領ごはいりょうたかじゃの」
「されば、去年きょねんあき、お鷹野たかののみぎりに、おずからいただきました天弓あまゆみづくるたかで、れるにつれ、可愛かわいいものでなあ」
てのひらのこされたて、朱房しゅふさひも手繰たぐりかえして、
辰之助たつのすけ鷹小屋たかごやれておけ」
と、うしろにいる年少ねんしょう門人もんじんかえりみて、こぶしからこぶしへ、たかわたした。
「はい」
辰之助たつのすけは、たかって、鷹小屋たかごやのほうへ退がってく。邸内ていないはかなりひろく、築山つきやま彼方かなたまつかこまれていた。へいそとはすぐ到津いたつ川岸かわぎしで、附近ふきんには藩士はんし屋敷やしきおおかった。書院しょいんして、
失礼しつれいを」
巌流がんりゅうがいうと、
「いやいや、内輪うちわじゃ、ここへれば、わしも、身内みうち息子むすこいえのようにおもうておるのだ」
角兵衛かくべえは、かえって、ちくつろぐ。
そこへ、妙齢としごろ小間使こまづかいが、楚々そそたる風情ふぜいで、ちゃんでた。
ちらと、きゃくあげ、
粗葉ほはでござりますが」
角兵衛かくべえは、くびって、
「やあ、おみつか。いつもあでやかな」
茶碗ちゃわんると、おみつは、えりあしまであかくして、
「――おたわむれを」
ぐるように、きゃくから退がって、ふすまかげにかくれた。
れればたかあいらしいものだが、さが猛鳥もうちょうだ。……天弓あまゆみよりはおみつのほうがそばくにはよかろう。彼女あれについても、いちど其許そこもとむねとくいておきたいこともあるが」
岩間いわまどののお屋敷やしきへ、いつかそっと、おみつめがうかがったことがありはしませぬか」
内密ないみつに――というていたがなにかくしておるようもあるまい。じつはわしへ相談そうだんえたことがあるが」
おんなめ。――それがしにくちいて今日きょうまでなにもうしおりません」
巌流がんりゅうは、しろふすまを、ちらとめつけていった。