461・宮本武蔵「円明の巻」「待宵舟(3)(4)」


朗読「461円明の巻56.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 02秒

さん

堺港さかい朔日ついたち太郎左衛門船たろうざえもんぶねで、武蔵むさしどのは、小倉こくらおもむくそうな)
かねて、武蔵むさし通過つうかするせつはすぐらせるといっていた姫路ひめじ城太郎じょうたろうから、くとのらせに、
(どうしやる?)
うまでもないが、おつうこころくと、おつうは、もとより、
きます)
と、いう。
夕方ゆうがたはいつも、微熱びねつて、大事だいじ夜具やぐれているが、あるけぬほどな病気びょうきではない。
(さらば)
と、七宝寺しっぽうじち、途中とちゅうはおすぎがわがのようにまもって、一夜いちやを、青木丹左衛門あおきたんざえもん屋敷やしきやすみ、
豊前ぶぜんがよいの便船びんせんなら、飾磨しかまへはかならはず一夜いちやは、積荷つみにろすため、とまりとなろう。はん人々ひとびとも、出迎でむかえにくが、そなたたちは、人目ひとめにつかぬように、川尻かわじり小舟こぶねにいたがよい。――おりは、わしら父子おやこが、よいようにつくってしんぜる)
と、丹左衛門たんざえもんのことばに、
(なにぶん)
と、そのひるごろ飾磨しかまうらにつき、川尻かわじりふねに、おつうをやすめ、以前いぜん、おつう乳母うばなるひといえから、なにかとものなどはこばせて、太郎左衛門船たろうざえもんぶねがはいるのを、いまいまかとちかねていたのだった。
ちょうど、その乳母うばなるひと染屋そめやかきちかくには、べつに、武蔵むさし通過つうかを、かねてからって、かれのために、壮途そうとしゅくし、いっせきえんをもうけて、また、かれ人間にんげんをもようとする姫路藩ひめじはん人々ひとびとが、二十余名にじゅうよめいも、駕籠かごまでもって、むかえにていた。
そのなかに、青木丹左衛門あおきたんざえもんもい、青木城太郎あおきじょうたろうもいた。
姫路ひめじ池田家いけだけ武蔵むさしとは、その郷土的きょうどてきにも、また、武蔵むさし若年時代じゃくねんじだい記憶きおくにもあさからぬえんがある。
当然とうぜんかれ光栄こうえいとするだろう)
むかえにている池田家いけだけ藩士はんしたちは、みな、そう意識いしきしていた。
丹左衛門たんざえもんも、城太郎じょうたろうも、その見解けんかいかわりはなかった。
けれどただ、おつう姿すがたをそのひとたちにせて、誤解ごかいまねいてはいけない。武蔵むさし迷惑めいわくとするかもしれない。――そうかんがえたので、わざと彼女かのじょとおすぎだけは川尻かわじり小舟こぶねとおのけておいたのだった。
――が。どうしたのか。
うみれ、夕雲ゆうぐもあかねはうすれ、いつとはなく宵明よいあかりが青黒あおぐろくただよってるのに、まだ、ふねかげえてもない――
おくれたのかな?」
だれかが、一同いちどうかえりみる。
「――そんなはずはないが」
と、自分じぶん責任せきにんのようにこたえたのは、京都きょうと藩邸はんていにいて、武蔵むさし船便ふなびん朔日ついたちつとくととも早馬はやうまらせて藩士はんしだった。
ふねまえさかい小林こばやし使つかいをやり、朔日ついたちちと、たしかめてもたのだから」
かぜもないきょうのなぎ、そうおくれるわけはないからやがてえよう」
「そのかぜがないから、帆走ほばしりはよほどちがう。おくれたのは、そのせいじゃよ」
ちくたびれて、すなすわものもある。しろ夕星ゆうずつが、いつか、播磨灘はりまなだそらをつつんでいた。
「ア! えた」
えたか」
「――あの帆影ほかげらしい」
「おお。なるほど」
ようやく、人々ひとびとは、ざわめきって、はま船着ふねつきのほうへ、ぞろぞろあるいてった。
城太郎じょうたろうは、そのれを、そっとはしりぬけて、川尻かわじりけてき、した苫舟とまぶねむかって大声おおごえげた。
「――おつうさん。ばば殿どのえたぞ。武蔵様むさしさまっているふねかげが」

よん

こよいさかい太郎左衛門船たろうざえもんぶねちかねていた武蔵むさしっている便船びんせん。それらしいのが今沖いまおきからえてたとのらせに小舟こぶねとまは、
「えっ。……えてか」
と、れうごいて、
何処どこに」
と、ばばもつ。
つうもわれをわすれていう。
「――あぶない」
ばばはあわてて、ふなべりすがとうとするおつうを、ささえた。
そしてともに、ばし、
「おお、あれかの?」
いきをのんでまもった。
宵凪よいなぎうみづらを、星明ほしあかりにくろつばさって、いっそうおおきな帆船はんせんが――まもる二人ふたりのひとみのなかすべんでるように、ているに、ちかづいてくる。
城太郎じょうたろうは、きしって、ゆびさしながら、
「あれだ……あれだ」
城太じょうたどの」
ばばは、しかと。――はなせばえて、そのままほろりと、小舟こぶねへりからちてしまいそうな、おつうからだきしめて、
まぬが、いそいで、この小舟こぶねって、あの便船びんせんしたせてたもらぬか。――すこしもはやう、わせたい。ものいわせたい。おつうれて武蔵むさしどのへ」
「いや、ばば殿どの。そういたところで、いたかたはない。いまはん方々かたがたが、彼方かなたはまならんでちうけておられるし、早速さっそくに、船手ふねてもの一名いちめい早舟はやぶねして、武蔵様むさしさまむかえにった」
「ではなおさらのこと。そう人目ひとめをはばかってばかりいては、おつうわせるいとまもあるまいに。――わしがどうなと、人前ひとまえはいいつくろおう。家中かちゅうしゅうかこまれて、おきゃくとしてってかれぬまに、一目ひとめでもさきわせてやりたい」
こまりましたなあ」
「だから、染屋そめやいえに、っていたほうかったに、おぬしが、はんしゅう人目ひとめばかりおそれるので、このような小舟こぶねひそみ、かえってどうもならぬではないか」
「いやいや、そんなことはありませぬ。世上せじょうくちはうるさいもの、大事だいじ場所ばしょかれる矢先やさきに、あらぬうわさでもながれてはと、ちち丹左衛門たんざえもんあんじるので、取計とりはからったまででござる。……ですから、ちちともはからい、後刻ごこくすきて、武蔵様むさしさまをここへおもうしてまいりますゆえ、それまで、窮屈きゅうくつでもここにっていてください」
「ではきっと、これへ武蔵むさしどのを、案内あんないしてくださるかの」
むかえの小舟こぶねから、武蔵様むさしさまがりましたら、ひとまず、染屋そめやえんりて、家中かちゅうどももご一緒いっしょ休息きゅうそくとなりましょう。……そのあいだに、ちょっとおもうします」
っていますぞよ。かたくたのんだぞ」
「そうしてください。……おつうどのも、そのあいだ、そっとやすんでおられたがよい」
いいてて、城太郎じょうたろうにわかせわしげに、もと浜辺はまべのほうへった。
ばばは、おつうをそっと、とまかげ臥床ふしどかかえて、
ていやい」
と、いたわった。
木枕こまくらに、おもてせると、おつうはしばらくせているのだった。いま急激きゅうげきうごかしたのがわるかったか、あまりにしおかおりつよいためか――
「またせきるのう」
ばばは、彼女かのじょうすをさすってあたえながら、その病苦びょうくまぎれさせようとしてか、しきりに、武蔵むさしがここにえるのも、もうわずかなと、うわさした。
「ばばさま。もうなんともございません。ありがとうございます。勿体もったいない、どうぞおやすめて」
せきがやむと、彼女かのじょは、かみのみだれをであげて、ふと、わが姿すがたかえりみた。