460・宮本武蔵「円明の巻」「待宵舟(1)(2)」


朗読「460円明の巻55.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 04秒

待宵舟まつよいぶね

いち

はたのような、あか夕雲ゆうぐもがひときれんでいる。いだうみそこを、たこうのもえるほど、みずそらも、この夕方ゆうがたんでいた。
その飾磨しかまうら川尻かわじりに、ひるごろから小舟こぶねをつないで、やがてせま黄昏たそがれに、わびしい炊煙すいえんをあげている一艘いっそう世帯せたいがある。
さむうはないかの。……かぜつめとうなってたが」
七厘しちりんに、しばべながら、おすぎばばは、舟底ふなぞこへいう。
そこのとまかげには、船頭せんどうつまともえぬなよやかな病人びょうにんが、つかねがみ木枕こまくらにあてて、しろおもてをなかば、夜具やぐえりにかくしてていた。
「……いいえ」
病人びょうにんは、かすかにあたまる。
そして、すこもたげ、かゆこめあらって七厘しちりん仕掛しかけているばばの姿すがたをそこから伏拝ふしおがむように、
「ばばさま、あなたこそ、先頃さきごろからお風邪かぜぎみではございませんか。――もうあまり、わたしのことでご心配しんぱいなさらないで……」
と、いう。
「なんの」
ばばは、振顧ふりかえって、
「そなたこそ、そのようにいちいちがねしてたもるな。……のうおつうよ。やがてひとふねえようほどに、かゆなとべ、ちからをつけて、ったがよい」
「ありがとうぞんじまする」
つうは、ふと、なみだをうるませ、とまかげから、おきをながめた。
蛸釣舟たこつりぶねや、荷舟にふねや、いくつかの舟影ふなかげえたが、彼女かのじょ堺港さかいみなとからった豊前通ぶぜんかよいの便船びんせんは、まだ帆影ほかげすらえてない。
「…………」
ばばは、なべをかけ、火口かこうをのぞいている。かゆはやがてくたくたとえてた。
徐々じょじょに、くもくらくなる――
「はて、おそいのう。おそくも夕方ゆうがたまでにはこうとのことじゃったが」
なみさわり、かぜさわりもないうみなのに――と、ばばも、ふねを、しきりとちあぐねて、おきてはつぶやいた。
いうまでもなく。
この夕方ゆうがた、ここに予定よてい便船びんせんというのは、つい昨日きのう堺港さかいみなと太郎左衛門船たろうざえもんぶねのことで、それには、小倉こくらくだ宮本武蔵みやもとむさし便乗びんじょうしたと――はやくも山陽さんよう街道筋かいどうすじにはわたっていた。
うわさを、くと同時どうじ
姫路藩ひめじはん青木丹左衛門あおきたんざえもん子息城太郎しそくじょうたろうは、すぐ使つかいをはしらせて、讃甘さぬも本位田ほんいでんらせた。
らせをうけたばばは、その吉報きっぽうをたずさえて、またすぐ、むら七宝寺しっぽうじけた。おつうは、そこにやまいやしなっていた。
去年きょねんあき末頃すえごろ暴風雨あらしよる佐用山さようさんいわあなへ、おばばをすくいにって、かえっておばばのひど打擲ちょうちゃくにあい、うしなってしまったあのときがたから――ずっとつづいて、意識いしきもとよみがえっても、からだのぐあいは、まえのようにすぐれなかった。
(ゆるしてくだされや。はらゆるまで、このばばをどんなにもして――)
そののばばは、彼女かのじょかおるごとに、懺悔ざんげなみだをながしていう。
つうはまた、
勿体もったいない)
と、それをしも、かえって苦痛くつうにして、自分じぶんからだには、以前いぜんからどことなく、こうした持病じびょうがあったので、けっして、ばばさまのせいではないとなぐさめる。
事実じじつ。おつうには、そうしたやまい経歴けいれきがなくはない。数年前すうねんまえ京都きょうと烏丸光広からすまるみつひろやかたにいたころも、幾月いくつきかをやまいしたことがあり、そのおり今度こんどと、朝夕あさゆう容態ようだいも、よくていた。
夕方ゆうがたになると、微熱びねつて、かるせきがともなった。えぬほどずつ、からだせてゆき、そのうるわしい容貌ようぼうは、よけいうるわしさをし、むしろそのはあまりにがれぎてて、対語たいごするものをして、ふとうれえしめるほどだった。

しかし――
彼女かのじょのひとみは、いつもよろこびと希望きぼうにみちていた。
よろこびとしては。
(おばばさまが、自分じぶんこころわかってくだすったのみか、同時どうじに、武蔵様むさしさまやすべての人達ひとたちへも、御自身ごじしんあやまちへおがついて、うまかわったような、やさしいばばさまになってくだされた――)
と、いう事実じじつ、また、きている希望きぼうとしては、
ちかいうちに)
と、なにがなし、心待こころまちのひとも、ちか心地ここちを、おぼえていた。
ばばもまた、あれ以来いらいは、
(きょうまでの、わしがつみと、心得違こころえちがいより、そなたを不幸ふこうにしたつぐないには、きっと、武蔵むさしどのへ、ばばが両手りょうてをついてびても、そなたのを、よいようにたのんでしんぜるぞよ)
そういって、一族いちぞくものはもとよりむら誰彼たれかれへも、おつう又八またはちとの、かつての古証文ふるしょうもんは、きれいに破棄はきして、やがておつう良人おっとたるひとは、武蔵むさしでなくてはならないと、自分じぶんくちからいうほどにかわっていた。
武蔵むさしあねのおぎんは、ばばがまだこういう気持きもちにならないまえには、彼女かのじょすためにうそをいって、佐用村さようむら附近ふきんにいるようなことをいったが、事実じじつは、武蔵むさし出奔後しゅっぽんご播磨はりま縁類えんるい一時身いちじみせ、そこから他家たけへかたづいたとかいうのみで、その消息しょうそくは、つたわっていなかった。
で――。七宝寺しっぽうじもどって、以前いぜんからの知辺しるべといえば、やはりだれよりもおばばとがなかだった。そのおばばはまた、朝晩あさばん七宝寺しっぽうじ見舞みまって、
くすりんだか。――ものは。――きょうの気分きぶんは?)
と、真心まごころのありたけをかたむけた、看護みとり世話せわをしてくれたり、また、こころちからづけてくれるのだった。
また、あるときはしみじみと、
(もし、いつかいわあなで、そなたがあのまま、よみがえらなんだら、わしもそので、であった)
ともいった。
いつわりのおおひとだったから、彼女かのじょはじめは、ばばの懺悔ざんげに、またいつ、変化へんかまいものでもないとおもっていたが、がたつほど、かえってばばの真情しんじょうは、あつく、こまやかになるばかりだった。
ときには、
(こんなにもいおかたとはおもわなかった)
と、おつうですら、以前いぜんのばばといまのおすぎとが、同一どういつかんがえられないほどだったから、本位田ほんいでんしたしいものも、むら人々ひとびとも、
(どうして、あんなにかわりなさったか)
と、みないいった。
そのなかに、だれよりも、幸福こうふくってたのは、おばば自身じしんであった。
もの、ことばをわすもの身近みぢかもの――すべてが、自分じぶんたいして、以前いぜんとは、まるでかわってたからである。にこやかにむかえ、にこやかにむかえられ、よい老婆としよりうやまわれる幸福こうふくを、六十ろくじゅうえて、彼女かのじょははじめてったのである。
あるものは、ぶっつけに、
(ばばさんはこのごろ、おかおまでよいおかおになんなすったのう)
と、正直しょうじきにいった。
(そうかもれぬ)
と、ばばはそっと、かがみして、自分じぶんすがた見入みいった。
しみじみ、歳月さいげつおぼえた。故郷ふるさとったころには、まだまだ半分以上はんぶんいじょうも、じっていたくろかみも、一毛いちもうのこらずしろになっていた。
こころすがたも。
かおかたちも。
純一じゅんいつで、しろいものに、かえっているように、自分じぶんにもえた。