458・宮本武蔵「円明の巻」「世の潮路(3)(4)」


朗読「458円明の巻53.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 07秒

さん

みなとたばかりのふねは、彼方かなたえているのに、わずかな遅刻ちこくで、それにわなかった若者わかものは、かえかえだんだをんで、
「ああ、おそかった。こんなことならねむらずにでもるのだったのに」
およばぬふねかげ見送みおくっているには、ただ乗遅のりおくれただけではない、もっと切実せつじつうらみがみえた。
「もしや、権之助ごんのすけどのではありませぬかな」
おなじように、ふねても、なおたたずんでいた人々ひとびとなかから、光悦こうえつがその姿すがたかけて、ちかづきながらこえをかけた。
夢想権之助むそうごんのすけは、そのについていたじょうを、小脇こわきへすくって、
「お。あなたは」
「いつか河内かわち金剛寺こんごうじでおにかかった……」
「そう。わすれてはいませぬ。本阿弥ほんあみ光悦こうえつどの」
「ご無事ぶじでおでられたとは、さてさてめでたい。じつは、ほのかに、おうわさをき、生死せいしのほどもあんじておりましたが」
だれきましたか」
武蔵むさしどのから」
「え。先生せんせいのおくちから? ……はて、どうしてであろう」
「あなたが、九度山衆くどやましゅうつかまって、どうやら隠密おんみつうたがいで、がいされたかもれぬという消息しょうそくは、小倉こくらほうからきこえてたのです。――細川家ほそかわけ御家老ごかろう長岡佐渡様ながおかさどさまのお手紙てがみなどから」
「それにしても、先生せんせいがごぞんじの仔細しさいは」
今朝けさちになる昨日きのうまで、武蔵殿むさしどのは、てまえの門内かどうち長屋ながやにお住居すまいでした。その居所いどころ小倉こくらきこえたので、小倉こくらからも度々たびたび書面しょめんかよううち、おれの伊織殿いおりどのいまでは長岡家ながおかけにいるとやらで」
「えっ。……では伊織いおりは、無事ぶじにおりまするか」
権之助ごんのすけは、今日きょういまはじめてそれをったらしく、そしてむしろ、茫然ぼうぜんたる面持おももちだった。
「ともあれ、ここでは」
光悦こうえつさそわれて、ちかくの磯茶屋いそぢゃや床几しょうぎり、こもごもにかたりあってみると、権之助ごんのすけ意外いがいとしたのもむりはない。
月叟げっそう伝心でんしん――九度山くどやま幸村ゆきむらは、あのとき権之助ごんのすけ一見いっけんすると、さすがにすぐ、権之助ごんのすけひととなりをってくれた。
で、かれ縄目なわめは、
部下ぶか過失かしつ
と、即座そくざに、幸村ゆきむら謝罪しゃざいともかれ、わざわいはかえって、ひとりの知己ちきさいわいになった。
それから、紀伊きいえのやまちた伊織いおりを、幸村ゆきむら配下はいかものも、ちからあわせてさがしてくれたが、ようとして、きょうまで、生死せいしれなかった。
断層だんそう谷間たにまに、死骸しがいあたらないので、
きている)
とは、確信かくしんしていたものの、それだけでは、やがて、武蔵むさしにあわせるかおもない。
以来いらい権之助ごんのすけは、近畿きんきをたずねあるいていた。
たまたま、巷間こうかんには、ちか武蔵むさし細川家ほそかわけ巌流がんりゅうとが、一戦いっせんやくはたすとか、もっぱらうわさもあって、武蔵むさしきょうあたりにいるらしいこともさっしたが、なにしろ、あわせるかおもないとして、権之助ごんのすけはそうくほどさらに、伊織いおりたずねることに焦心あせっていたのだった。
――と。その武蔵むさしが、愈々いよいよ小倉こくらむかってつということを、きのう九度山くどやまいた。
(かくては何日いつか)
と、けっし、おもておかしてうつもりで、早々そうそうみちいそいでたのだったが、ふね時刻じこくしかとしないため、一足ひとあしちがいとなり、なんとも残念至極ざんねんしごく――と、かえして、権之助ごんのすけはいうのだった。

よん

光悦こうえつは、なぐさめて、
「いや、そうおくやみなさるにはあたるまい。つぎ便船びんせんまでには数日すうじつがあろうが、陸路くがじってかれれば、小倉表こくらおもて武蔵殿むさしどのうなり、長岡家ながおかけおとずれて、伊織殿いおりどのとご一緒いっしょになるなりすれば――」
いうと、権之助ごんのすけは、
「もとより、すぐ陸路くがじまいるつもりではございますが、小倉こくらくまでのあいだでも、先生せんせいとひとつにいて、お身廻みまわりのことでもつとめたかったのでござります」
と、衷情ちゅうじょうべ、
「それに、今度こんど御発足ごほっそくは、おそらく先生せんせいにとっても、生涯しょうがい御浮沈ごふちんかとおもわれます。平常へいじょう御修行ごしゅぎょうにひたむきな武蔵様むさしさまことゆえ、まんひとつにも、巌流がんりゅうやぶれをとるようなはあるまいとはおもわれますが――勝敗しょうはいはわかりません。あながち、修行しゅぎょうんだものち、驕者きょうしゃけるともかぎりません。――そこに人間力にんげんちからえたものもくわわるのが、勝負しょうぶうん、また、兵家へいかつねですから」
「けれど、あの沈着ちんちゃくぶりなら、自信じしんがありそうです。おあんじにはおよびますまい」
「と、おもいはしますが、くところにると、佐々木巌流ささきがんりゅうというものは、さすがれな天才てんさいらしゅうございます。ことに、細川家ほそかわけ召抱めしかかえられてからは、朝暮ちょうぼ自戒じかい鍛錬たんれん一通ひととおりでないともおよびました」
驕慢きょうまん天才てんさいと、凡質ぼんしつ孜々ししみがいたひとと、いずれがつかの試合しあいですな」
武蔵様むさしさまも、凡質ぼんしつとはおもわれませんが」
「いやけっして、天稟てんぴん才質さいしつではありますまい。その才分さいぶんみずかたのんでいるふうがない。あのひとは、自分じぶん凡質ぼんしつっているから、えまなく、みがこうとしている。ひとえないくるしみをしている。それが、なにかのとき鏘然しょうぜんひかってると、ひとはすぐ天稟てんぴん才能さいのうだという。――つとめないひとみずか懶惰らんだをなぐさめてそういうのですよ」
「……いや、おおきに」
権之助ごんのすけは、自分じぶんがいわれているがした。そしてそういう光悦こうえつの、のどかであいだひろ横顔よこがおをながめながら、
(このひとも)
と、おもあわされるところがあった。るからに悠閑ゆうかん逸人いつじんらしい。なんけんはりもないひとみも、ひとたびかれ芸術げいじゅつへかかったときひかりはこうではあるまいとおもわれた。みぎわにさざ波一なみひとつないみずうみ山雨さんうはらんだときみずうみとぐらいな相違そういがあるのではなかろうかと。
光悦こうえつどの。まだおかえりになりませんか」
そのときわか法衣ころもにつつんでいるおとこが、茶屋ちゃやをのぞいていった。
「オ。又八またはちさんか」
光悦こうえつは、床几しょうぎばなれ、
「――では、れがっていますから」
と、権之助ごんのすけへ、挨拶あいさつのこすと、権之助ごんのすけともって、
「いずれ、大坂おおさかまで」
「そうです。えば、夜船よふねででも、淀川よどがわからかえりたいとおもいますが」
「――では、大坂おおさかまで、ご一緒いっしょまいりましょう」
権之助ごんのすけは、そのまま陸路くがじ豊前ぶぜん小倉こくらまでくつもりらしい。
わかつまれた灰屋はいや息子むすこや、細川藩ほそかわはん留守居るすいや、ほか人々ひとびとも、それぞれ一組ひとくみになって、おなみちを、さきくもあり、あとからものもあった。
又八またはち現在げんざいやら、以前いぜんうえばなしなど、その途々みちみちなにかとかたぐさになった。
「どうか、武蔵むさしどのが、首尾しゅびよくやればよいが、あれで、佐々木小次郎ささきこじろうも、えぬおとこだし、すごうでっているからな……」
又八またはちは、時々ときどきうれわしげにつぶやいた。小次郎こじろうおそるべきことを、かれはよくっていたからである。
黄昏たそがれ――
三人さんにんはもう大坂おおさか人混ひとごみをあるいていたが、がつくと、いつのまにか、又八またはちが、れのなかからえなくなっていた。