454・宮本武蔵「円明の巻」「観音(1)(2)」


朗読「454円明の巻49.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 04秒

観音かんのん

いち

あめ蕭々しょうしょうと、びさしちつづけている。
かぜつよくなった。
山村さんそんのことである。それにあき空癖そらくせあさまでにあがるかもしれない。
つうは、そんなことをおもいつつ、まだおびかずすわっていた。
ちょっと、つきがわるそうに、夜具やぐなかで、もずもずしていた城太郎じょうたろうも、いつのにか、ねむっている。
ポト、ポト……と、どこかにあめおとがする。あめのしぶきが、がたがたとつ。
城太じょうたさん」
つうは、ふと、びかけた。
「――ちょっとをさましてくださいな。城太じょうたさん」
何度呼なんどよんでも、さましそうな様子ようすもない。いておこすのも――と彼女かのじょはすぐ躊躇ためらってしまう。
ふと、かれおこして、たずねたいとおもったのは、おすぎばばのことである。
ばばの味方みかたものへ、河原かわらでもいっていたし、途中とちゅうでも、ちらといたが、このひどいあめに、城太郎じょうたろうが、ばばへあたえた懲罰しおきは、あまりといえば、むごい。可哀かわいそうである。
(この雨風あめかぜに、れもしよう。えもしよう。としをとっているからだわるくしたらあさまでにんでしまうかもれぬ。――いやいや、幾日いくにちも、ひとづかれずにいれば、それでなくても餓死がしするにきまっている)
苦労性くろうしょううまれつきか。ばばのまでをあんして、彼女かのじょは、あだともおもわず、にくいともかんがえず、あめおとかぜおとのひどくなるほど、ひとりでむねいためてしまう。
(あのばばさまも、からわるいおかたではけっしてないのに)
と、天地てんちむかって、ばばのかわりにかばってみたり、
「こちらがまことをもってつくせば、いつかまことはどんなひとへもつうじるということ。……そうだ、城太郎じょうたろうさんにあとおこられるかもれないけれど」
彼女かのじょついに、何事なにごとかを、おもいきめた様子ようすで、雨戸あまどけてそとた。
天地てんちくらかった。あめばかりがしろくしぶいている。
土間どまのわらじを、あしにつけ、かべたけ子笠こがさを、あたまにかぶって、おつうすそった。
みのて――
ザ、ザ、ザ……と軒端のきばあめだけにたれてった。ここからは、そうとおくもない、宿場しゅくばよこの、山神堂さんじんどうがあるあのたか石段いしだんやまへである。
夕方ゆうがた麻屋あさや万兵衛まんべえ一緒いっしょのぼった、おぼえのある石段いしだんあめ滝津瀬たきつせになっていた。のぼりきると、杉林すぎばやしはごうごうとえている。した宿場しゅくばよりは、はるかにかぜあたりがつよい。
何処どこだろ? おばばさんは」
くわしくはいていなかったのである。ただ、どこかこのへんに、懲罰こらしめにかけてあるのだと、城太郎じょうたろうはいっていたが――
「もしや?」
と、御堂みどうなかのぞいてみた。また、床下ゆかしたではないかと、んでみた。
こたえもない。姿すがたもない。
ほこらうらまわった。――そして、荒海わだつみうしおのような樹々きぎうなりにからだかれてたたずんでいると、
「おうーいっ。誰方どなたくだされようっ。……だれぞそこのへんひとはないか。……ううむ、ううむ」
うめきともわめきともつかないこえが――それも雨風あめかぜ途断とぎ途断とぎわれにきこえてた。
「おお、ばばさんにちがいはない。――ばばさまあ、ばばさまあ」
彼女かのじょも、此方こなたから、かぜむかってこえった。

こえは、雨風あめかぜさらわれて、くら虚空こくうへ、えてったが、彼女かのじょこころは、えぬやみひとへ、つうじてったものか、
「おうっ、おうっ。だれぞそこらにおでたおひとやある。たすけてくだされよの。ここじゃあ、ここじゃがのう。――たすけてもようっ」
ばばのこえが、彼女かのじょのそれにこたえるように、途断とぎ途断とぎれに何処どこからかきこえてくる。
もとよりそれも、怒濤どとうのような杉林すぎばやし雨風あめかぜきみだされ、まとまった言葉ことばにはひびいてないが、ばばが必死ひっしさけびにちがいないことは、おつうみみにすぐれた。
さぐこえてて、
「……何処どこですかあ? 何処どこですか? ……ばばさんっ、ばばさまあ」
つうは、どうめぐった。
そのうちに――
御堂みどうからすぎ樹蔭きかげがって二十歩にじゅっぽほどさきおくいんのぼくちとなる崖道がけみち断削きりそいだ一方いっぽうに、くまあなみたいな洞穴ほらあな見出みいだされた。
「あっ……ここに?」
ちかづいて、なかのぞくと、おばばのこえは、たしかに、その洞穴ほらあなおくかられてるのだった。
けれどいわあなくちには、彼女かのじょちからぐらいでは、うごきそうもないおおきないわが、みっよっかさねてあり、出入でいりを封鎖ふうさしてあるのだった。
「どなたじゃ! ……。それへたのはどなたさまじゃ! もしやこのばばが日頃信仰ひごろしんこうする観世音菩薩かんぜおんぼさつ化身けしんではおさぬか。あわれ、おたすけなされませ。――外道げどうのために、この難儀なんぎうた不愍ふびんなばばを!」
ばばは、そと人影ひとかげを、いわいわ隙間すきまからひと目見めみると、こう狂喜きょうきしてさけした。
なかば、くように、なかば、うったえるように、そして、生死せいしやみに、日頃信仰ひごろしんこうする観音かんのん幻覚げんかくえがいて、それへきたい一心いっしんいのりつづけた。
「――うれしや、うれしや。ばばの善心ぜんしんを、日頃ひごろからあわれとおぼたまい、この大難だいなんへ、かり御姿みすがたして、すくいにおくだされましたか。大慈大悲だいじだいひ南無なむ観世音菩薩かんぜおんぼさつ――南無なむ観世音菩薩かんぜおんぼさつ
それなり――
と、ばばのこえは、もうしなくなった。善哉よいかな
おもうに、ばばは、一家いっかおさとしてまた、ははとして、人間にんげんとして、自分じぶん善人無欠ぜんにんむけつ人間にんげんしんじているのだ。自分じぶん行為こういはすべてぜんなりとしているのだ。自分じぶんまもらぬ神仏しんぶつがあれば、神仏しんぶつのほうが悪仏邪神あくぶつじゃしんであるとするであろうほど、彼女かのじょにとって、彼女かのじょぜん権化ごんげだった。
――だからこの風雨ふううに、観音菩薩かんのんぼさつ化身けしんすくいにりてても、彼女かのじょにはすこしの不思議ふしぎでもなにでもない。当然とうぜんこうあらねばならぬ気持きもちであった。
しかし、その幻覚げんかくが、幻覚げんかくでなく、実際じっさいだれいわあなそとちかづいてたので、ばばは、途端とたんがゆるんで、ああ、と失心しっしんしてしまったのではなかろうか。
「……?」
いわあなそとにあるおつうも、あれほど物狂ものぐるわしかったばばのこえきゅうえたので、もしやと、ではなくなった。はやいわあなくちひらこうものと、必死ひっしちからしていたけれど、彼女かのじょちからでは、そのいわひとつすらうごかなかった。たけ子笠こかさひもはちぎれてび、黒髪くろかみは、みの一緒いっしょに、雨風あめかぜきちらされた。