449・宮本武蔵「円明の巻」「風便り(1)(2)」


朗読「449円明の巻44.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 57秒

風便かぜだよ

いち

ゆうべは、龍野たつのとまり。万兵衛まんべえ親切気しんせつぎにも、途中とちゅうにも、なんかわりはなかった。
そして、今日きょう
佐用さよ三日月みかづきいたのは、もうやまうすずき、なんとなく、あきゆうべのせまころだった。
万兵衛まんべえさま」
つかれたのか、無口むくちに、さきあるいてゆくれを、びかけて、
「ここはもう三日月みかづきではございませぬか。――あのやまえればすぐ、讃甘さぬも宮本村みやもとむら
つうが、うしろで、ひとかこつと、
「おいのう」
万兵衛まんべえも、あしめて、
宮本村みやもとむらも、七宝寺しっぽうじも、あのやまのすぐ彼方むこうじゃ。なつかしかろうが」
「…………」
つうは、うなずかなかった。ゆうづくそらに、黒々くろぐろつらなっているやまなみを、ただ、まもって。
そこに、いるべきひとのいない山河さんがは、あまりにさびしい。あまりにもただ、自然しぜんでありすぎる。
「もすこしじゃ。おつうさん。草臥くたびれたろうが」
万兵衛まんべえは、あるす。おつういて、
「どういたしまして。貴方あなたさまこそ」
なにさ、わしは始終しじゅう商用しょうようかよっているみち
「おぎんさまのいらっしゃる、郷士ごうしのおたくとかは?」
「あれに」
と、ゆびさして、
「お吟様ぎんさまも、っているにちがいない。ともあれ、もう一息ひといき
あしはやくなる。
やがて、やまきあたると、そこ此処ここに、いえがあった。
ここは龍野街道たつのかいどう一宿場いちしゅくばなので、まちというほどの戸数こすうもないが、一膳いちぜんめし馬子まごたまり、安旅籠やすはたごなどの、幾軒いくけんかが両側りょうがわえる。
そこもとおけて、
「ちと、のぼりになるぞ」
万兵衛まんべえは、やまほうむかって、石段いしだんがりした。
すぎかこまれた村社そんしゃ境内けいだいではないか、おつうは、さむげにさけ小禽ことりこえに、ふと、なに自分じぶん危険きけんせんおかしているがして、
万兵衛まんべえさま。みちをお間違まちがえなされはしませぬか。このあたりには、いえ見当みあたりませぬが」
「いや、お吟様ぎんさまげてるあいだ、さびしかろうが、御堂みどうえんで、やすんでいてもらいたいのだ」
んでるとっしゃるのは……?」
「いいわすれていたが、お吟様ぎんさまがいうには、たずねてときは、いえ都合つごうのわるいきゃくでも来合きあわせているといけないから……ということだった。お住居すまいは、このはやしけた彼方むこう畑地はたち。すぐご案内あんないしてるから、しばらくっているがいい」
もう杉林すぎばやしなかくらい。
万兵衛まんべえかげは、そこをって細道ほそみちを、いそあしってしまった。
ひとうたがうという性情せいじょうとぼしい彼女かのじょは、それでもまだ、万兵衛まんべえ挙動きょどうについて、うたがってみることをらなかった。
正直しょうじきに、山神やまがみほこらえんに、こしをかけて、夕空ゆうぞらまもっていた。
「…………」
そられてゆく。
ふと、あたりに、おとすと、くら秋風あきかぜめぐっていた。御堂みどうえん落葉おちばが、ふわりとって、ふたみっひざる。
その一葉いちようを、ゆびって、まわしながら、彼女かのじょはなお、根気こんきよくっていた。
というか、じゅんというか、まるで少女しょうじょのような彼女かのじょのそうした姿すがたを、そのときだれ御堂みどうのうしろで、げらげらわらったものがあった。

「――?」
びっくりして、おつうは、御堂みどうえんからびのいた。
めったに、物事ものごとうたがってみることをしない彼女かのじょだけに、こと意外いがいたれると、おどろかたも、ひとよりはひどく、そしておびえやすかった。
「おつうっ。うごくでない!」
どうのうしろのわらごええたつぎ一瞬いっしゅん――おな場所ばしょからこうするどい――なんともいえない凄味すごみをもった老婆ろうばごえがしたのであった。
「……アッ」
つうは、おもわず、両手りょうてみみおおった。
それほど、何事なにごとかにおそれたのなら、げればよいのに、そうはしないで、すくんだまま雷鳴かみなりにでもしびれたように、そそけってふるえていた。
そのとき――ほこらのうしろからは、もう数名すうめい人影ひとかげて、御堂みどうまえっていた。
をふさいでも、みみおさえても、彼女かのじょにはそのなかの、たった一人ひとりが、おそろしくおおきくえた。悪夢あくむなかでよくかみしろばばだった。
万兵衛まんべえ。ご苦労くろうじゃったのう。れいあとでしますぞよ。そこで――みなしゅうよ。あやつが、悲鳴ひめいげぬうち、さるぐつわをませてしもしょう屋敷やしきまで、はようかついでってくだされ」
すぎばばは、おつうゆびさして、断獄だんごくめいじる閻王えんおうのようにいった。
ほか五名ごめいは、みな郷士ごうしふうのおとこであり、ばばの一族いちぞくらしかった。ばばの一言ひとことに、おうっとたかこたえると、あらそう、おおかみのように、おつうびかかり、かたのごとく鞠縛まりくくりにくくって、
「――近道ちかみちを」
「それっ」
とばかり、はししたのであった。
すぎばばは、にやりと見送みおくったまま、一足後ひとあしあとのこっていた。万兵衛まんべえ約束やくそく駄賃だちんあたえるためであろう、おびのあいだに、用意よういしてきたあたえて、
「ようしたのう。うまくやら、どうやらとあんじていたが」
と、たたえ、
他言たごんしやるな」
と、くぎをさした。
万兵衛まんべえは、もらったかねあらためて、これも満足顔まんぞくがおに、
「なあに、わしの手功てがらじゃございません。御老婆様おろうばさまのはかりごとが、うまにあたったのでございますよ。……それと、貴女様あなたさまが、御郷里ごきょうりかえっているとは、おつうめも、ゆめにもらずにいたもんですから……」
小気味こきみのよかったことわいな。たか、いまのおつうおどろようを」
あまりのことに、げることもできず、すくんじまった様子ようすでしたな。はははは……だが、かんがえると、つみッぽいことをした」
「なんの。なにつみッぽいことがあろうぞ。わしにれば」
「いやもう、そのおうらみばなしは先日せんじつも」
「そうじゃ。わしも、こうしてはおられぬ……いずれまた、程経ほどへて、しもしょう屋敷やしきあそびにやい」
「では、御老婆様おろうばさま。そこからの間道かんどうは、みちわるうございます。おをつけて」
「そなたも、人中じんちゅうたら、くちをつけやい」
「はいはい。くちいたってかた万兵衛まんべえ、そのへんはどうぞご安心あんしんを……」
いいながら、わかれて、あしさぐりにくら石段いしだんへかかったとおもうとぐ、ぎゃッ――とそれりなひとこえをあげて、たおれた。
すぎばばは、いて、
「どうしやった? 万兵衛まんべえではないか。万兵衛まんべえ……」
と、かしてんだ。