448・宮本武蔵「円明の巻」「飾磨染(3)(4)(5)」


朗読「448円明の巻43.mp3」14 MB、長さ: 約 15分 10秒

さん

おりわるく、小母おばさんもお留守るすでございますが、どうぞおかけあそばして」
母屋おもやえんほうへ、さそうと、万兵衛まんべえって、
「いやいや。長居ながいはせぬ、わしもいそがしいからだじゃ」
と、そのまま、立話たちばなしに、
「おつうさんの郷里さとは、作州さくしゅう吉野郷よしのごうじゃそうな」
「はい」
「わしは長年ながねん竹山城たけやまじょう御城下宮本村ごじょうかみやもとむらから、しもしょうあたりへは、ようあさしにくが、近頃ちかごろ、さるところでふと、うわさいてな」
「うわさ。それは、だれの? ……」
「おまえのさ」
「ま。……」
「それから」
万兵衛まんべえは、にやにやしながら、
宮本村みやもとむら武蔵むさしというもののはなしもたりして」
「え。武蔵むさしさまの」
かおいろをえたな。はははは」
あきが、万兵衛まんべえあたまに、てらてらあそんでいる。あついとみえて、万兵衛まんべえ脳天のうてんへ、手拭てぬぐいたたんだのをせて、
「おぎんどのをってじゃろ」
と、へしゃがみんだ。
つうも、あいまった布桶ぬのおけのそばへ、かがめて、
「おぎんさまとは、あの……武蔵様むさしさまのお姉上あねうえにあたる?」
「そうじゃ」
おおきくうなずいて、
「そのおぎんどのに佐用さよ三日月村みかづきむらうたところ、おまえはなしてな、びっくりしてござったわい」
「わたくしがこのにいると、おげなされたのでございますか」
「そうじゃが、なにわるいことはあるまいて。いつだったか、此家ここ染屋そめや小母御おばごからもたのまれた――もし、宮本村みやもとむらへんって、武蔵むさしどののうわさでもいたら、なんなりとみみれてしいと。……で、よいおかたうたわいとみちばたであったが、こちらからはなしかけたのじゃ」
「おぎんさまには、いま、どこにおでなされますか」
平田某ひらたなにがしとやら、はわすれたが、三日月村みかづきむら郷士ごうしいえにいるそうな」
「ご縁家えんかでございまするか」
「たぶん……そんなことじゃろう。それはともかく、おぎんどのがいわっしゃるには、なにかと、種々くさぐさのはなしもつもっている。ひそかにげたいこともある。いやなによりは、こいしい、いたいと、みちばたもわすれて、かぬばかり……」
つうもふと、まぶたあからめた。おもひとあねくからになつかしいのに、故郷ふるさとおもなにや、きゅうむねへこみげてたのであろう。
「――が生憎あいにく往来中おうらいちゅうでな、手紙てがみけぬが、ぜひちかいうち、三日月村みかづきむら平田ひらたたずねておとずれてくれまいか。此方こちらからきたいのは山々やまやまだがそうもならぬ事情じじょうがあるので――といわっしゃるのだが」
「では、わたしに?」
「おう、くわしゅうはいわぬが、武蔵むさしどのからは、時折ときおり便たよりもているそうな」
つうは、そうくと、いちもなく、いまからでもと、もうむねにきめていたが、ここへせてからは、なにかとあんじもし、相談相手そうだんあいてにもなってくれている乳母うばだまってこたえてはと、
くか、けないか、ばんまでに、ご返辞へんじうかがいます」
と、万兵衛まんべえには返辞へんじした。
万兵衛まんべえは、ぜひってくれとすすめ、明日あしたならば、自分じぶん佐用さよまで商用しょうようがあるからこと都合つごうがいいが――という。
柴朶垣しだがきそとには、あきひるを、あぶらのようなうみが、気懶けだる波音なみおとかえしていた。
と、かきに、うみまえに、ひざをかかえて先刻さっきから、ぽつねんと黙想もくそうしていたわかさむらいがあった。

よん

わかさむらいは、十八じゅうはち。まだ二十歳はたちたとはみえない。
凛々りりしい服装ふくそうをしている。
ここから、わずか一里半いちりはんしかない姫路ひめじひとであろう。池田家いけだけ藩士はんし子息しそくといったら間違まちがいはあるまい。
つりにでもたか。
しかし、魚籠びく竿さおなどはたずさえてはいない。染屋そめや柴朶垣しだがきにもたれて先刻せんこくから、すなおおがけすわり、ときどき、すなをつかんではもてあそんでいる……。そんなところは、どこか子供こどもッぽい。
「――じゃあ、おつうさん」
かきなかで、万兵衛まんべえこえだった。
夕方ゆうがた返辞へんじしてくれないか。くとすれば、わしはあさ早立はやだちじゃ。都合つごうもあるから」
どぶり、どぶりと、砂浜すなはま波音なみおとのほかは、からんとしずかな真昼まひるである。万兵衛まんべえこえは、おおきくきこえる。
「はい。夕方ゆうがたまでには。……ご親切しんせつに、ありがとうございました」
ひくい、おつうこえでさえも。
木戸きどけて、万兵衛まんべえくと、それまで、かきうらすわっていたわかさむらいは、ついとおこして、万兵衛まんべえ姿すがたを、見送みおくっていた。
――なにか、見届みとどけるような、確乎しかとしたまなざしで。
だが、そのかおは、銀杏型いちょうがた藁編笠わらあみがさでかくしているので、そのおもてに、どんな感情かんじょうをひそめているかまでは、はたからうかがうよしもない。
ただ。
不審ふしんなのは、万兵衛まんべえ見送みおくってから、今度こんどはまた、しきりとかきうちをのぞいていたことだった。
「…………」
ごとん、ごとん――きねおとがもうしていた。おつうは、なにらぬ様子ようすで、万兵衛まんべえかえってゆくとふたたびきねって、うすなか紺染こんぞめぬのいていた。
よその染屋そめやにわから、おなじようなきねおとと、染屋娘そめやむすめうたが、のどかにながれていた。
つうきねにも、先刻さっきよりは、ちからがあった。

わがこい
あひそめてこそ
まさりけれ
飾磨しかまぬの
いろならねども

うたわないおつうは、詞花集しかしゅうなにかにあった、そんなうたなどむねにつぶやいていた。
便たよりもそこへているとあるから、おぎんさまえば、ひと消息しょうそくもきっとれよう。
おんな女同士おんなどうし。お吟様ぎんさまへなら自分じぶんもちをかたることもできる。――武蔵様むさしさまじつあね、きっと、いもうとともおもって、いてくださるにもちがいない。
きねはうつつ――
しかし、ひさしぶりこころあかるく、堀川ほりかわ百首ひゃくしゅのうちの、

播磨はりまなだ
うらみてのみぞ
すぎしかど
こよひとまりぬ
あふの松原まつばら

歌主うたぬしこころおなじように、いつもてなくかなしい波騒なみざいとのみうみいろまでが、きょうはあかるくて、燦々さんさん睫毛まつげにかがやいて、希望きぼうそのものを波打なみうつかにおもわれる。
いたぬのを、彼女かのじょは、たか竿さおうえへかけわたして、ふとひとこころなぐさみながら、万兵衛まんべえはなしにった木戸きどとびらから、何気なにげなくそとて、はまていた。
――と。
彼方かなた波打際なみうちぎわ編笠あみがさかげが、いそぎもせぬあしあるいてった。しろ潮風しおかぜを、よこざまにけながら。
「……?」
なにがなし、おつうは、まもっていた。けれどべつに、なんおもったわけでもない。ほかにをやる鳥一羽見とりいちわみえないうみだったからである。

染屋そめや小母おばともはかり、万兵衛まんべえへも約束やくそくをつがえたとみえ、つぎ日朝ひあさまだき。
「では。どうぞご厄介やっかいでも」
つうは、麻屋あさやのきへ、万兵衛まんべえさそいあわせ、その万兵衛まんべえともなわれて、飾磨しかま漁村ぎょそんから旅立たびだった。
たびといっても、飾磨しかまから佐用さよごう三日月村みかづきむらまでのこと。おんなあしでも一夜泊いちやとまりでゆるりとけよう。
姫路ひめじしろを、きたそらとおくながめ、龍野たつの街道かいどうへ。
「おつうさん」
「はい」
あし達者たっしゃのようだな」
「ええ。たびには、わりあいにれておりますから」
江戸表えどおもてまできなすったそうだの。よくもまあ、おんなひとりで、おもって」
「そんなことまで、染屋そめや小母おばはなしましたか」
なにもかも、いているわさ。宮本村みやもとむらでも、うわさしているし」
「おはずかしゅうございます」
はずかしいことがあるものか。きなひとを、そうやって、したっていなさる心根こころね不愍ふびんともやさしいともいいようがねえ。だがおつうさん、おまえのまえだが武蔵殿むさしどのすこ薄情はくじょうだのう」
「そんなことはございませぬ」
うらみともおもわないのかえ。やれやれ、よけいに可憐いじらしい」
「あのおかたはただもう御修行ごしゅぎょうみちにひたむきなのでございます。……それをおもれないわたしほうが」
わるいというのかい」
「すまないとおもっております」
「ふうむ……。うちかかあにも、かしてやりたいのう。おんなは、そうありたいもの」
「おぎんさまは、まだ他家よそへ、おかたづきにならないで、御親類ごしんるいにいらっしゃるのでございますか」
「さ。……どうだろう」
万兵衛まんべえは、はなしって、
「あれに茶店ちゃみせがある。ひとやすみしようか」
街道かいどう茶店ちゃみせへはいって、ちゃをのみ、弁当べんとうなどひらいていると、
「よう飾磨しかまの」
と、とおりかけた馬子まご荷持にもち雑人ぞうにんたちが馴々なれなれしく言葉ことばをかけて、
「きょうは半田はんだ賭場とばへはんねえのか。こないだは麻万あさまんさらわれたと、みんな口惜くやしがっていたぞい」
などと万兵衛まんべえへいった。
「きょうは、うまはいらないよ」
万兵衛まんべえ辻褄つじつまわない言葉ことばしつけて、きゅうにあわてながら、
「おつうさん、こうか」
と、のきた。
はやすように、馬子まごたちが、
「いやに、ねえがとおもったら、ばかに綺麗きれい女子おなごときょうはみちづれだ」
野郎やろう、おかかにいいつけるぞよ」
「ははは。返辞へんじもしねえわい」
と、うしろでいった。
飾磨しかま麻屋万兵衛あさやまんべえいえは、みせるにらない小店こみせだが、近郷きんごうからあさあつめ、それを漁師りょうしむすめ女房にょうぼうたちの手内職てないしょくして、帆綱ほづなや、あみ製品せいひんとし、ともかく一戸いっこ旦那だんなといわれているものなのに、その万兵衛まんべえが、街道かいどうばたの人足にんそくたちと、友達ともだちのように馴々なれなれしくいわれるのは、怪訝いぶかしかった。
万兵衛まんべえがさしたか、三町歩さんちょうあるいてから、おつううたがいへこたえるともなく、
「しようのないやつらだ。いつも山出やまだしの荷駄にだやとってやるものだからひと冗戯口じょうだんぐちばかりたたきおって」
と、つぶやいた。
しかし、その馬子達まごたちよりも、かれって、もっと注意ちゅういすべき人間にんげんが、今休いまやすんだ茶店ちゃみせのあたりからいてたのを、万兵衛まんべえ見遁みのがしていた。
きのうはまにいた――荒編笠あらあみがさわかさむらいである。