445・宮本武蔵「円明の巻」「円(1)(2)」


朗読「445円明の巻40.mp3」11 MB、長さ: 約 10分 00秒

まる

いち

きょうへ、きょうへ、みちちかくなる。
さっするに愚堂ぐどうは、きょうへさしてあるいているのであろう。花園妙心寺はなぞのみょうしんじは、その総本山そうほんざんでもあるし――。
だが。
その京都きょうとへはいつくことやら、禅師ぜんじたびまかせだった。あめりこめられて木賃きちんからない武蔵むさしうかがってみると、又八またはちきゅうをすえさせていた。
美濃みのまでた。
そこの大仙寺だいせんじには七日なのかもいた。彦根ひこね禅寺ぜんでらにも幾日いくにちとまった。
禅師ぜんじ木賃きちんとまれば、附近ふきん木賃きちんへ。てらならばてら山門さんもんへ、武蔵むさしはどこにでもた。そしてひたすら、禅師ぜんじくちから一言ひとことおしえをさずけられる機会きかいった。いやそれをいつめてったのだった。
湖畔こはんてら山門さんもんばん武蔵むさしは、今年ことしあきった。いつかあきだった。
かえりみると、わがのすがたは、まるで物乞ものごいのようになっている。蓬々ぼうぼうびたかみも、禅師ぜんじこころけるまでは、くしれまいとしていたし、風呂ふろにもはいらず、ひげらず、雨露あめつゆにまかせた衣服いふくはつづれ、うでむねもかさかさと、松皮まつかわのような心地ごこちがする。
ちるようなほしあきこえ
一枚いちまいむしろを、宿やどとして、武蔵むさしはふと、
なんぞ」
と、自分じぶん狂的きょうてきいま気持きもちを、ややかに嘲笑あざわらった。
一体いったいなにろうとするのだ。なに禅師ぜんじもとめるのだ。
こんなにまで、追求ついきゅうしなければ人間にんげんきられないものか。
あわれになる。
おろかな半風子しらみまでが不愍ふびんになる。
禅師ぜんじはいった。もとめる自分じぶんたいして、はっきりことわっている。
無一物むいちぶつ。――と。
そのひとむかって、ものいてもとめるのが無理むりだ。いくらいてても、禅師ぜんじが、路傍ろぼういぬほどもかえりみてくれないからとてうらすじもない。
「…………」
武蔵むさしは、ひげなかから、つきた。山門さんもんうえは、いつかあきつきだった。
まだがいる。
かれ皮膚ひふは、もうはりさえかんじない。しかし、われたあとになって、それが無数むすうに、胡麻粒ごまつぶほどな腫物できものになっていた。
「ああ、わからない」
たったひとつ、なにかしら、わからないものがある。――それさえければ、凝結ぎょうけつしているけんも、すべても、刮然かつぜんと、けそうながするのであったが、どうにもならない。
もし、自分じぶん道業どうごうも、ここでおわってしまうなら、むしろしたがましだとおもう。きてたかいが見出みいだせないのだ。てもねむられないのだ。
では。
そのわからないものとはなにけん工夫くふうか、それのみではない。処世しょせい方角ほうがくか。そんなことにもとどまらない。おつう問題もんだいか。いなとよ、こいのみで、おとこがこんなにまでほそろうか。
すべてをつつんだおおきな問題もんだいだ。しかしまた、天地てんちだいからたら、ケシ一粒ひとつぶちいさいことかもしれない。
武蔵むさしは、むしろいて、蓑虫みのむしのようにいしうえころんだ。――又八またはちはどうているだろう。くるしみをくるしまない又八またはちと、くるしむためにくるしみをっているような自分じぶんと――おもいくらべて、ふとうらやましかった。
「……?」
なにたか、そのうちに武蔵むさしがって、山門さんもんはしらつめていた。

山門さんもんはしらかかっているながれん文字もじに、武蔵むさしはじっとむかっていた。月明つきあかりにまれるその二柱にちゅう字句じく辿たどってみると、

汝等請なんじこ其本ソノモトつとメヨ
白雲はくうん百丈ひゃくじょう大功だいこうかん
虎丘こきゅう白雲はくうん遺訓いくんたん
先規せんきカクごと
あやまッテ
えだたずヌルコトナクンバ

「…………」
これは開山大燈かいざんだいとう遺誡いかいぶんにあった言葉ことばかとおもう。
――あやまッテえだたずヌルコトなくンバシ。
とあるそこだけを、こころみてかえしていた。
枝葉えだは――
そうだ。いかに、枝先えださきにのみ、わずらいを繁茂はんもさせている人間にんげんおおいことか。
自分じぶんも)
と、そこにかえりみて、かれは、きゅう一身いっしんかるくなった。
その一身いっしんたいしている一剣いっけんになぜりきらないか。なぜわきるか。なぜそこにみきらないか。
あのことは?
このことは?
らざる右顧左眄うこさべんだ。一道いちどうをつきぬくのになん傍見ぼうけん
――とはおもうが、その一道いちどう行詰ゆきづまっていればこそ、右顧左眄うこさべんしょうじるのだった。えだたずねるおろかな焦躁しょうそうめられまどわされてくるのである。
どうして、その行詰ゆきづまりを打開だかいするか。かくはいってかくやぶるか。

自笑十年行脚事みずからわろうじゅうねんあんぎゃのこと
痩藤破笠扣禅扉そうとうはりゅうぜんびをたたく
元来仏法無多子がんらいぶっぽうたしなきなり
喫飯喫茶又著衣きっぱんきっさまたちゃくい

これは愚堂和尚ぐどうおしょう自嘲じちょうさくといういちであった。武蔵むさしいま、それをおもいだした。自分じぶんもちょうどその年齢ねんれいころであった。はじめて妙心寺みょうしんじ愚堂ぐどうしたってたずねてゆくと、愚堂ぐどうはいきなり、
なんじ、そもなん見地けんちかあって、愚堂門ぐどうもんきゃくたらんとするか)
と、足蹴あしげにかけないばかり大喝だいかつはらわれた。そのあと愚堂ぐどうこころにかなうところみとめられたか、ゆるされてしつさんじたが、おりまえ一詩いちししめして、
修行修行しゅぎょうしゅぎょうといってるうちは、まあ駄目だめじゃろう)
と、わらわれたものであった。
自笑十年行脚事みずからわろうじゅうねんあんぎゃのこ――
と、愚堂ぐどうくに――十年じゅうねんまえ自分じぶんおしえていた。しかもそれから十年後じゅうねんごいまもまだ、みちにさまよっている自分じぶんては、
すくがた愚物ぐぶつ
と、あいそもててしまわれたにちがいない。
呆然ぼうぜん武蔵むさしっていた。もやらず、山門さんもんのまわりをめぐって――
すると、にわかに。
この夜半よなかを、てらからってものがあった。山門さんもんとき、ふとると、又八またはちれた愚堂ぐどうである。
いつになくはやあしで。
なにか、本山ほんざん急用きゅうようでもおこってきょういそぐのか。てら人々ひとびと見送みおくりもことわって、瀬田せた大橋おおはしすぐに。
武蔵むさしは、もちろん、
「――おくれては」
と、しろつきしたかげって、てなくしたってった。