444・宮本武蔵「円明の巻」「苧環(9)(10)」


朗読「444円明の巻39.mp3」11 MB、長さ: 約 9分 58秒

きゅう

又八またはち愚堂ぐどうも、武蔵むさしがこよい、無事ぶじかえるかどうかは、不安ふあんおもっていたのである。わるくしたら武蔵むさしは、亘志摩わたりしまやしきからかえらぬものになるのではないか――などとうれいながら、それをたしかめるべく、これまで途中とちゅうだった。
夕方ゆうがた
ちがいに、武蔵むさしあとたずねたところ、隣家りんか筆職人ふでしょくにん女房にょうぼうが、常々つねづね武蔵むさし身辺しんぺんに、あんじられるふしのあったことや、きょうさむらい使者ししゃえたことなど――つぶさにかせてくれたので、
さては。
と、そこでかえりをにもなれず、なにさくもあろうかと、亘志摩わたりしま邸附近やしきふきんこころあてに、これまでたわけである――と又八またはちはなした。
武蔵むさしは、いて、
「そんな心配しんぱいわずらわしていたとはおもわなかった。かたじけない」
と、かれ親切気しんせつぎには、ふかしゃしたが、なお、愚堂ぐどう脚下きゃっかにひざまずいたはいつまで、おこそうともせず、じっとすわっていた。
そして、やがて、
和上わじょうっ」
と、つよんだ。愚堂ぐどうひとみを、きっと見上みあげたままにである。
「なにか」
愚堂ぐどうは、武蔵むさしが、自分じぶんなにもとめているか、ははむように、すぐさとっていたが、
なにか」
かさねてたずねた。
武蔵むさしと、両手りょうてをつかえ、
妙心寺みょうしんじゆか参禅さんぜんして、はじめておにかかりましたころから、はや十年じゅうねんちかくなりました」
「そうなるかのう」
月日つきひ十年じゅうねんあゆみましたが、自分じぶん何尺なんしゃくったか。かえりみて、自分じぶんでもうたがわれてまいりました」
相変あいかわらず、ちちくさいことをいう。れたことじゃ」
残念ざんねんでござります」
なにが」
「いつまで修行しゅぎょういたらぬことが」
修行しゅぎょう修行しゅぎょうと、くちにしているうちはまだ駄目だめじゃろうて」
「といって、はなれたら?」
「すぐよりもどろう。そして、はじめからものわきまえぬ無知むちものより、もっと始末しまつのわるい、人間にんげんくずができる」
はなせば、すべち、のぼろうとすれどれぬ、絶壁ぜっぺき中途ちゅうとに、わたしいま、あがいております。――けんについても。また、一身いっしんについても」
「そこだな」
和上わじょうっ。――おにかかる今日きょうを、どれほど、おちしていたかれませぬ。どうしたらいいでしょう。如何いかにせば、いままよいと無為むいからだっれましょうか」
「そんなこと、わしはらぬ。自力じりきしかあるまい」
「もいちど、わたしを、又八またはちともに、御膝下おしっかへおいて、おしかください。さもなくば、いっかつ虚無きょむめるような痛棒つうぼうをおあたください。……和上わじょうっ。おねがいでござります」
ほとんど、かおつちのつくばかり、武蔵むさししてさけんだ。なみだこそながさないが、こえむせんでいた。苦悶くもんむせびが悲痛ひつうひとみみった。
だが、愚堂ぐどう感情かんじょうは、ちっともうごいたとはえない。だまって、辻堂つじどうえんはなれたかとおもうと、
又八またはちい」
と、のみいって、さきあるした。

じゅう

和上わじょうっ」
武蔵むさしって、すがった。そして愚堂ぐどうたもとをおさえ、なおも一言ひとことこたえをもとめた。
すると――
愚堂ぐどうだまって、かぶりをってせた。けれどなお、武蔵むさしはなさないので、こういった。
無一物むいちぶつ
と。――そこでことばって、
なにかあらん。施与せよまた、ほかなにをかくわうあらん。――あるは、かつっ」
こぶしりあげた。
ほんとになぐりそうなかおをした。
「…………」
武蔵むさしは、たもとはなしてなにかいおうとしたが、愚堂ぐどうあしはすたすたとさきいそいで振向ふりむきもしない。
「…………」
茫然ぼうぜん武蔵むさしが、その見送みおくっていると、あとのこった又八またはちが、早口はやくちかれをなぐさめていった。
禅師ぜんじは、うるさいことがきらいらしい。てらえたとき、おれがおぬしのことや、自分じぶん気持きもちべて、弟子入でしいりをたのむと、よくもかないで、――そうか、では当分とうぶん、わしの草鞋わらじひもでもむすんでみろ、といった。……だからおぬしも、くどいことをいわずと、だまってあといてることだ。そして機嫌きげんのいいところをてよ、なにかと、何遍なんべんでもいてみたらいい」
――と、彼方かなたで。
愚堂ぐどうあしめて、又八またはちんでいた。又八またはちは、はいっとおおきくこたえながら、
「いいか。そうしろよ」
いいのこすと、あわてて愚堂ぐどうあといかけてった。
愚堂ぐどう又八またはちったらしい。弟子でしとしてゆるされているかれが、武蔵むさしには、うらやましかった。――そして又八またはちのような単純たんじゅんさと、素直すなおさのない自分じぶんかえりみられた。
「――そうだ。たといなんっしゃられようと」
武蔵むさしは、くわっと、からだえるようにおもった。――おこってげたあの鉄拳てっけん横顔よこがおくるまでも、一言ひとことおしえをここでわずにまたいつの日会ひあおりがあろう。何万年なんまんねんともれぬ悠久ゆうきゅう天地てんちながれのうちに、六十年ろくじゅうねん七十年ななじゅうねん人生じんせいは、さながら電瞬でんしゅんのようなみじかときでしかない。そのみじか一生いっしょうのあいだに、がたひとうというほどとうといものはない。
「――そのとうと機縁きえんを」
と、武蔵むさしは、まなじり熱涙ねつるいをためて、愚堂和尚ぐどうおしょうりゆくかげつめた。そしてその機縁きえんを、やわかいまいっしてなろうかとおもった。
どこまでも!
一言ひとことこたえるまでは。
武蔵むさしはやにわにいかけた。そして愚堂ぐどうあるほうへ、かれあしはやめて、いてった。
ってか。らずか。
愚堂ぐどうは、八帖はちじょうほうへは、かえらなかった。おそらくそのあしは、ふたたび八帖はちじょうてらかえ意志いしはなく、もうみずくもとを住居すまいとしているこころなのであろう。東海道とうかいどうて、きょうへさしてくのであった。
愚堂ぐどうが、木賃きちんとまれば、武蔵むさし木賃きちん軒端のきばた。
あさ又八またはちが、草鞋わらじひもをむすんで姿すがたて、武蔵むさしは、友人ゆうじんのためにうれしかったが、愚堂ぐどう武蔵むさしのすがたをても、言葉ことばもかけてくれなかった。
しかし、武蔵むさしは、もうそれにこころくっしなかった。むしろ愚堂ぐどうざわりにならぬようとおはなれて、ごとにしたあるいてった。――そのそのまま、岡崎おかざきのこして裏町うらまち一庵いちあんも、そこのつくえも、一節切ひとよぎり竹花生たけはないけも、また、となりのかみさんやら、近所きんじょむすめやら、はん人々ひとびとうらみやもつれやらも、いま一切いっさい、すべてをわすてて。