442・宮本武蔵「円明の巻」「苧環(5)(6)」


朗読「442円明の巻37.mp3」11 MB、長さ: 約 9分 55秒

亘志摩わたりしまは、岡崎おかざき本多家ほんだけうちでも、重臣じゅうしんれつにあることは、わかっていた。けれどその人物じんぶつについては、武蔵むさしは、すこしもところがなかった。
――一体いったいなん自分じぶんを、むかえによこしたのか?
それについても、かれにはおもりもなかった。いてもとめれば、ゆうべ矢矧やはぎあたりで家中かちゅうらしい黒扮装くろいでたち卑怯者ひきょうものを、二人ふたりてたので、それをげて、なに難題なんだいせまるのではなかろうか。
または。――日頃ひごろから自分じぶんをつけねらっている何者なにものかが、にもてあまして、ついに、亘志摩わたりしまという背後はいご黒幕くろまくっておとし、正面しょうめんからものいおうという陥穽かんせいか。
いずれにしても、ことであろうとはかんがえられない。にもかかわらず、むかえにゆだねてくからには、武蔵むさしにも覚悟かくごはあるのであろう。
その覚悟かくごとは?
もしものがあれば、かれは、
臨機りんき
一語いちごこたえるだろう。ってみなければわからないことなのだ。生兵法なまびょうほう推理すいりはこの場合禁物ばあいきんもつである。にのぞんで、咄嗟とっさはらめるほかに兵法へいほうはないのである。
そのへんが、途中とちゅうおこるか、ったさきおこるか。
てきが、じゅうをよそおってくるか、ごうをあらわしてるか。
それも未知数みちすうである。
うみなかれてくように、かごそとくらく、そして松風まつかぜおとだった。岡崎城おかざきじょう北郭きたかくから外郭がいかく一帯いったいまつおおい。さては、そのへんをいまとおってくな――
「…………」
武蔵むさし覚悟かくごひとともえない姿すがただった。半眼はんがんじ、うとうとと、かごなかねむっていた。
ギイ、ともんひらおと
かごをになう小者こもの足幅あしはばはゆるやかになり、そして、家人かじんらのこえかそけく、そこここに灯影とうえいはやわらかい。
「……いたのかな」
武蔵むさしかごてみる。いんぎんにむかえる家従かじゅうらは、黙々もくもくかれひろ客間きゃくまとおした。れんかれ、四方しほうはなたれ、ここも濤音なみおとのような松風まつかぜのなかにって、なつもわすれるすずしさのかわりに、しょく明滅めいめつははなはだしい。
亘志摩わたりしまでござる」
あるじは、たいした。
五十ごじゅうがらみのひとるからに剛健ごうけんで、軽薄けいはくふうがない。典型的てんけいてき三河武士みかわぶしだ。
「――武蔵むさしです」
れいる。
「……おらくに」
志摩しまは、会釈えしゃくして、さて――というかおをしていった。
一昨夜いっさくや家中かちゅう若侍二人わかざむらいふたり矢矧やはぎ大橋おおはしで、っててられたそうな。……事実じじつでおざろうか」
である。
思慮しりょいとまもない。また、武蔵むさしはそれをつつむ気持きもち毛頭もうとうない。
事実じじつでござります」
さて。――それからどうるか。武蔵むさしは、志摩しまひとみを、凝視ぎょうしした。った二人ふたりおもてに、しょく明滅めいめつがしきりとはためく。
「それについて」
と、志摩しま口重くちおもく、
「――おびせねばならぬ。武蔵むさしどの、まずゆるされい」
と、すこげた。
しかし、武蔵むさしは、その挨拶あいさつを、まだそのままにはれなかった。

ろく

今日きょう自分じぶんみみにはいったばかりであるが――と亘志摩わたりしまは、前提ぜんていして、
はんへ、死亡届しぼうとどけた。矢矧やはぎへんられたのだとある。調しらべさせてみると相手方あいてがた貴公きこうとのこと貴公きこうは、うけたまわっていたが、当御城下とうごじょうかにおすまいとは、それで、はじめてったのでござる」
と、はなしだした。
うそは、えない。武蔵むさしも、しんじて、した。
「――で、なにゆえに、貴公きこう闇討やみうちにしようとはかったか、厳重げんじゅうに、調査ちょうさいたしてみたところ御当家ごとうけのお客分きゃくぶんに、東軍流とうぐんりゅう兵法家へいほうか三宅軍兵衛みやけぐんべえといわるるじんがあるが、その門人もんじんと、はん者四ものし五名ごめいが、はかってやったことが相分あいわかった」
「……ははあ?」
なお、武蔵むさしせないかお
だが、次第しだいにそれもけた。亘志摩わたりしまはなしによって明確めいかくになった。
三宅軍兵衛みやけぐんべえ直弟子じきでしのうちに、以前いぜん京都きょうと吉岡家よしおかけにいたものがあり、また、本多家ほんだけ子弟していのうちにも吉岡門流よしおかもんりゅうもの何十人なんじゅうにんとなくある。
そうした人々ひとびとあいだに、
近頃ちかごろ御城下ごじょうかで、無可むか変名へんめいしている牢人ろうにんは、京都きょうと蓮台寺野れんだいじの三十三間堂さんじゅうさんげんどう一乗寺村いちじょうじむらなどで、相次あいついで吉岡一族よしおかいちぞくものほうむり、ついに、吉岡家よしおかけそのものを、断絶だんぜつにまでみちびいてしまった宮本武蔵みやもとむさしだといううわさだが)
と、つたえられしたことから、いまなお、武蔵むさしふか怨恨えんこんいているもの口火くちびから、
眼障めざわりだ)
となり、
てぬものか)
と、ささやかれし、ついに、
れ」
と、なってしまって、かなり根気こんきよくはかっていたが、一昨夜いっさくやのような失敗しっぱいしてしまったわけだというのであった。
吉岡拳法よしおかけんぽうは、いまもなお、したわれている。諸国行しょこくい先々さきざきかぬところはない。いかにそのさかんであった時代じだいには、おおくの門下もんかを、諸国しょこくっていたかも察知さっちできる。
本多家ほんだけだけでも、その刀流とうりゅうんだものが、何十人なんじゅうにんもあるというのは本当ほんとうだろう。――武蔵むさしは、こと真相しんそうにうなずくとともに、自分じぶんうらんでいる人々ひとびと気持きもちもわかるがした。しかし、それは武門ぶもんうえでなく、人間にんげんたんなる感情かんじょうとしてのみである。
「――で、その不心得ふこころえと、ずべき卑劣ひれつは、きょう御城内ごじょうないで、そのものどもへ、きつくしかりおいた。ところが、お客分きゃくぶん三宅軍兵衛殿みやけぐんべえどのには、自身じしん門人もんじんじっていたことゆえ、いたく恐縮きょうしゅくされて、ぜひ其許そこもとって、一言ひとこと、おびしたいとある。……どうじゃな、ご迷惑めいわくでなくば、これへんで、お紹介ひきあわせいたすが」
軍兵衛殿ぐんべえどのには、ごぞんじないとあれば、それにはおよびませぬ。兵法者へいほうしゃれば、前夜ぜんやことども路傍ろぼうままあること」
「いや、それにせよ」
謝罪しゃざいなんのというのでなく、ただみちかたひととしてなら、かねておまえをいておる三宅殿みやけどの、おにかかることに異存いぞんもござりませぬが」
じつは、軍兵衛殿ぐんべえどのも、それをのぞんでおるのじゃ、――さらば、早速さっそくにも」
亘志摩わたりしまは、すぐ家臣かしんに、そのむねつたえさせた。
三宅軍兵衛みやけぐんべえは、さきて、べつっていたものとみえ、弟子四でしし五名連ごめいつれて、ほどなくはいってた。弟子でしというのも、勿論もちろん歴乎れっきとした本多家ほんだけ家中かちゅうなのである。