440・宮本武蔵「円明の巻」「苧環(1)(2)」


朗読「440円明の巻35.mp3」11 MB、長さ: 約 9分 43秒

苧環おだまき

いち

何者なにものか?
そこにえている三人さんにん人影ひとかげには、おもあたりもなかったが、いつ何時なんどきでも、自分じぶん生命いのちたいするてきへの心構こころがまえは、武蔵むさしにあった。
武蔵むさしばかりでなく、およそいま時勢じせいきている人間にんげんには、すべてに、日常にちじょうに、その要心ようじんがあった。
殺伐さつばつ無秩序むちつじょな、乱国らんこく余風よふうけっしてまだおさまりっているとはいえない。ひと詭謀きぼう反間はんかんなかきているので、要心ようじんすぎてうたがいぶかく、つまにさえ油断ゆだんせず、骨肉こつにくあいださえ破壊はかいされかけた一頃ひところの――社会悪しゃかいあくはなお人間にんげんのなかによどんでいた。
まして。
きょうまでにも、やいばやいばのあいだに、武蔵むさしにかかったものあるいは、かれのために、社会しゃかいからも敗北はいぼくしてったものは、かなりなかずにのぼっている。そうした敗者はいしゃ係累けいるい一門いちもん、その家族かぞくらまでをあわせればどれほどなかずかわからない。
もとより、正当せいとう試合しあい、またはかれにあって、武蔵むさしにない場合ばあい結果けっかでも――およそ、たれたものがわからいえば、あくまで、武蔵むさしかたきよう。たとえば、又八またはちははなどが、そのもっともよいれいである。
だから、このような時勢じせいに、斯道このみちにこころざすものには、たえまなく、生命いのち危険きけんともなった。ために、ひとつの危険きけんはらうと、さらにそれがつぎ危険きけんみ、てきつくったが――しかし、修行しゅぎょうするには、危険きけんはまたとなき砥石といしであり、てき不断ふだんであるともいえるのだ。
あいだ油断ゆだんのならない危険きけんがれ、もなく生命いのちうかがてきとして、しかもけんみちは、ひとをもかし、をもおさめ、自己じこをも菩提ぼだいやすきにいたって、悠久ゆうきゅうけるよろこびを、諸人しょじんともわかとうというねがいにほかならないのである。――その至難しなんみち途中とちゅうで、たまたま、つかれて、虚無きょむおそわれ、無為むいめられるとき――卒然そつぜんとして、めていたてきは、かげあらわしてるものとみえた。
矢矧やはぎ橋桁はしげたに――
武蔵むさしいま、ひたと、せてかがみこんでいたが、その一瞬いっしゅんに、かれのこの日頃ひごろ惰気だきまよいも、毛穴けあなからサッとされていた。
素裸すっぱだかになって、まえ危険きけんさらされた生命いのちのすずしさである。
「……はて?」
わざと、てきちかよせて、てき何者なにものであるかをたしかめようとおもい、いきをこらしていると、そのかげは、していた武蔵むさし死骸しがいがそこらに見当みあたらないので、はっとづいたらしく、かれらもまた、物陰ものかげへかくれて、ひとなき往来おうらいはしたもとを、かえって気味きみわるくうかがなおしている様子ようすだった。
その動作どうさに。
武蔵むさしが、はて? ――とかんじたわけは、おそろしく敏捷びんしょうなのと、くろ扮装いでたちとはいえ、差刀さしものこじり足拵あしごしらえなど浮浪ふろうや、ただの野武士のぶしとは、えなかったからである。
このへん藩士はんしとすれば、岡崎おかざき本多家ほんだけ名古屋なごや徳川家とくがわけであるが、そういう方面ほうめんから、危害きがいけられる理由りゆうかんがえられなかった。――不審ふしんだ。人違ひとちがいかもれない。
いや人違ひとちがいにしては、先頃来さきごろらいから露地口ろじくちのぞしたり、裏藪うらやぶからひからしたりするものがあるととなり筆屋ふでや夫婦ふうふまでがかんづいていた事実じじつがおかしい。やはり武蔵むさし武蔵むさしって、うかがっているもの相違そういはない。
「ははあ……橋向はしむこうにも仲間なかまがいるな」
武蔵むさしていると、物陰ものかげくらがりへひそんだ三名さんめいは、そこで火縄ひなわをつけなおし、かわ対岸たいがんむかって、その火縄ひなわっていた。

そこにも、道具どうぐってひそんでいるし、橋向はしむこうにもてき仲間なかまがいるとすると、てき相当そうとうそなえをてて、
今宵こよいこそは)
と、手具脛てぐすねひいているものとおもわれた。
武蔵むさし八帖寺通はちじょうじがよいも幾夜いくよとなく、このはしとおることもしげしげであったから、てきは、それをたしかめ、配置はいちとを、十分じゅうぶん用意よういしておく余裕よゆうもあったにちがいない。
で――橋桁はしげたかげから、武蔵むさしは、はなれられない。
おどるとたんに、ドンとたまんでくることはれきっている。そこのてきてて、一散いっさんはしわたってしまうのはなおさら危険きけんきわまるといっていい。――といって、いつまで、じっとかがんでいるのもさくたものであるまい。なぜなら、てきは、対岸たいがん仲間なかまと、火縄ひなわ合図あいずわしているから、事態じたいは、ときうつるほど、かれ不利ふりになってせまってるものとなければならないからだ。
武蔵むさしには、間髪かんはつのまに、しょする方法ほうほうっていた。兵法へいほうによらず、すべてのは、それを理論りろんするのは、平常へいじょうのことで、実際じっさいにあたる場合ばあいは、いつも瞬間しゅんかん断決だんけつようするのであるから、それは理論立りろんだててかんがえてすることではない。ひとつの「かん」であった。
平常へいじょう理論りろんは「かん」の繊維せんいをなしてはいるが、その知性ちせい緩慢かんまんであるから、事実じじつ急場きゅうばには、まにあわない知性ちせいであり、ために、やぶれることが往々おうおうある。
かん」は、無知むち動物どうぶつにもあるから、無知性むちせい霊能れいのう混同こんどうされやすい。訓練くんれんみがかれたもののそれは、理論りろんをこえて、理論りろん窮極きゅうきょくへ、一瞬いっしゅんたっし、当面とうめん判断はんだんをつかみってあやまらないのである。
ことに、けんにおいては。
いま武蔵むさしのような立場たちばったときにおいては。
武蔵むさしは、かがめたまま、そこからおおきなこえで、てきへいった。
ひそんでも、火縄ひなわえるぞ。えきないことだ。この武蔵むさし用事ようじあらば、ここまであるけ。武蔵むさしはここだっ。ここにいるッ」
川風かわかぜはげしいので、こえとどいたかとどかなかったかうたがわれだが、その返辞へんじえて、すぐ鉄砲てっぽう第二弾だいにだんが、武蔵むさしこえがしたあたりをねらってってた。
もとより武蔵むさしはもうそこにいていなかった。橋桁はしげたって、九尺きゅうしゃくもいるところをかえていたが、たまちがいに、かれからだはそこからてきのかくれているくらがりへむかって一躍いちやくした。
つぎたまをこめて、火縄ひなわ強薬ごうやくてんじているなどなかったので、てき三名さんめい狼狽ろうばいきわめ、
「や。や」
「う。うぬ」
かたなはらって、おどって武蔵むさしを、三方さんぽうからむかえたが、それさえからくもった姿勢しせいなので、味方みかた味方みかた聯繋れんけいれていない。
武蔵むさしは、三名さんめいのなかへってはいると、こうものを、大刀だいとういっさつもとせ、左側ひだりがわおとこを、左手ひだりていた脇差わきざしで、よこいだ。
一人ひとりしたが、よほどあわてたとみえて、橋桁はしげたたもとへ、よるのとのようにぶつかり、そのまま矢矧やはぎ大橋おおはしを、のめるようにけてった。