438・宮本武蔵「円明の巻」「無為の殻(1)(2)」


朗読「438円明の巻33.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 18秒

無為むいから

いち

はなしは、以前いぜんになるが。
去年きょねん。――柳営りゅうえい仕官しかんのぞみをって、伝奏でんそうやしきの半双はんそう屏風びょうぶに、武蔵野之図むさしののずいっそうのこしたまま、江戸えどった武蔵むさしは、あれからどうみちどりをってたか。
ときには、忽然こつぜんとすがたをせ、ときには飄然ひょうぜんとすがたをし、みねのふところにあそ白雲はくうんのように、武蔵むさし足跡そくせきは、ちかごろことさだまらなかった。
かれあゆみには、かくとしたひとつの目的もくてきと、一定いってい法則ほうそくがあるようであってまた、ないもののようでもあった。
彼自身かれじしんは、ひたすら一筋ひとすじみちをば、脇目わきめもふらずあるいているかにおもわれるが、はたからながめると、自由じゆう無碍むげな、いかにもままなみちあるいたり、まったりしているようにえるのだった。
武蔵野むさしの西郊せいこう相模川さがみがわてまでくと、厚木あつぎ宿しゅくから、大山おおやま丹沢たんざわなどの山々やまやまおもてせまってる。
かれ姿すがたは、そこからさき、しばらくのあいだ、どこでどうくらしていたかわからない。
文字もじどおりな蓬頭垢面ほうとうくめんったかれが、やくふたつきほどあとやまからさとりてた。なにひとつのまよいをくために、やまこもったらしかったが、冬山ふゆやまゆきわれてりてかれのそのかおには、やまはいまえよりくるしげなまよいがきざみこまれていた。
けないものが次々つぎつぎかれこころさいなむ。ひとくとまたひとつのまよいに逢着ほうちゃくする。そしてまったく、けんこころも、空虚うつろになる。
「だめだ」
自分じぶん自分じぶんを、ときにはまったく、嘆声たんせいのもとに、見捨みすてかけるときすらあった。そして、
「いっそ……?」
と、ひとなみな安逸あんいつ想像そうぞうした。
つうは? すぐおもう。
彼女かのじょともに、安逸あんいつをたのしむこころになれば、すぐにでも出来できそうながするのだ。また、百石ひゃっこく二百石にひゃっこくの、身過みすぎのための食禄しょくろくをさがすになれば、それも何処どこにでもあるとかんがえる。
けれど。かえりみて、
――それで不足ふそくはないか。
と、自身じしんうてみると、かれけっして、そんな生涯しょうがい約束やくそくを、甘受かんじゅできなかった。反対はんたいに、
懦夫だふ! なにまよう」
と、ののしって、がたみねあおいで、よけいにもがいた。
ときには、さもしい、あさましい、餓鬼がきのように煩悩ぼんのうなかに。またときには、かえった、みねつきのように、孤高ここうひとたのしむほどいさぎよもちになったり――あさゆうに、にごってはみ、んではにごり、かれこころは、そのわかは、あまりに多情たじょうであり、また、多恨たこんであり、また、さわがしぎた。
そういうこころなか明暗不断めいあんふだん妄像もうぞうおなじように、かたちあらわれるかれけんも、まだまだかれ自分じぶんで、
「よし」
と、おもいきにはたっしていないのだった。そのみちとおさ、未熟みじゅくさが、自分じぶんには、あまりにわかりすぎているので、時折ときおりまよいと、苦悶くもんとが、はげしくおそってくるのだった。
やまはいって、こころめばむほどさとい、おんなおもい、いたずらにわかくるいそうになる。べても、滝水たきみずびて、いかに肉体にくたいくるしめてみても、おつうゆめみて、うなされる。
ふたつきばかりで、かれやまりてしまったのである。そして藤沢ふじさわ遊行寺ゆぎょうじに、数日足すうじつあしめ、鎌倉かまくらへまわってところ、そこの禅寺ぜんでらで、はからずも自分以上じぶんいじょうくるしみもがいているおとこ出会であった。それが旧友きゅうゆう又八またはちであった。

又八またはちは、江戸えどわれてから、鎌倉かまくらていた。鎌倉かまくらには、てらおおいといていたからである。
かれもまた、べつな意味いみで、苦悩くのうしていたところだった。もう二度にどと、自分じぶんあるいて懶惰らんだ生活せいかつへ、もどろうという意志いしはなかった。
武蔵むさしは、かれにいって、
おそくはない。いまからでも、自分じぶんきたなおして、ればいいではないか。――自分じぶん自分じぶんを、だと見限みかぎったら、もう人生じんせいはそれまでのものだ」
と、はげましたが――しかし、とくわえて、
「とはいえ、かくいう武蔵むさしも、じついまなにかまったく、かべのような行止いきどまりと、ともすれば、おれは駄目だめかな? ――とうたがいたいような、虚無きょむとらわれて、なにをするせているのだ。そういう無為むいやまいに、自分じぶん三年さんねん一度いちどか、二年にねん一度いちどずつは、きっとかかるのだが、そのとき駄目だめおも自分じぶん鞭打むちうってはげまし、無為むいからやぶって、からからると、またあたらしいくてがひらけてくる。そしてまっしぐらにひとつのみちすすむ。――するとまた、三年さんねん四年目よんねんめに、行止いきどまりのかべにつきあたって、無為むいやまいにかかってしまう。……」
正直しょうじきに、武蔵むさし告白こくはくして、さてまた、又八またはちむかっていうことには、
「ところが、今度こんど無為むいやまいは、すこしおもい。いつまでも、打開だかいできぬ。からなかと、からそととの、さかいやみに、もがいている無為むいから無為むいがつづくくるしさ……。で、ふとおもしたおかたがある。そのおかたちからをおりするほかはないと――じつやまりて、この鎌倉かまくらへ、そのおひと消息しょうそくをさぐりに次第しだいだが」
と、はなした。
武蔵むさしがいう、おもしたひとというのは、かれがまだ十九じゅうく二十歳はたちむこずにみちもとめてさまよっていた時代じだい――京都きょうと妙心寺みょうしんじ禅室ぜんしつあししげくかよっていたことがあって――そのころ啓蒙けいもう師事しじをうけたさきの法山ほうざんじゅう愚堂和尚ぐどうおしょう、べつの東寔とうしょくともいう禅師ぜんじだった。
くと、又八またはちは、
「そういう和尚おしょうならば、ぜひおれを紹介ひきあわせてくれ。そしておれを、弟子でしにしてくれるように、たのんでみてくれ」
と、いった。
たして又八またはちが、そういう本心ほんしんになったのかいなかを、武蔵むさしはじめはうたがったが、又八またはちが、江戸えどてからった数々かずかずくと。――そうか、それほどなったなら、さもあろう。心得こころえた。きっと弟子入でしいりのことはおねがいしてみよう。――と武蔵むさしちかって、ともども、鎌倉かまくら禅門ぜんもんをさがしあるいてみたところ、だれっているものがない。
なぜならば、愚堂和尚ぐどうおしょうは、数年前すうねんまえ妙心寺みょうしんじって、東国とうごくから奥羽おううほうたびしているとはきこえていたが、いたって、飄々ひょうひょうたる存在そんざいで、ときには、主上しゅじょう後水尾天皇ごみずのおてんのう御座ござちかくされ、清涼せいりょう法莚ほうえんに、ぜんこうじているかとおもえば、あるは、弟子僧でしそうひとりれず、片田舎かたいなかみちれて、よる一飯いっぱん当惑とうわくしていたりしているといったふうひとだからである。
岡崎在おかざきざいの、八帖寺はちじょうじって、いてごらんなされ。そこへはよく、あしめられるから」
こう、さるてらおしえられて、ではそこへと、武蔵むさし又八またはちは、岡崎おかざきたが、愚堂和尚ぐどうおしょうはやはりいなかった。けれど、一昨年いっさくねんぶらりとお姿すがたせ、陸奥みちのくもどりにはまた、るようなことをいわれていたというはなしに、
「では、何年なんねんでも、おかえりまでとうではないか」
と、武蔵むさしまちかりいえをさがしてみ、又八またはち庫裡裏くりうら寝小屋ねごやりて、ともに、和尚おしょうえるを、もう半年以上はんとしいじょうも、くらしてたのだった。