437・宮本武蔵「円明の巻」「無可先生(3)(4)」


朗読「437円明の巻32.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 31秒

さん

そういう危険きけんが、えずうかがっているのを、無可先生自身むかせんせいじしんは、
れたもの――)
と、およそ多寡たかをくくってでもいるのか、今日きょうも、隣家りんか内儀ないぎ注意ちゅういされたばかりなのに、ばんになると、
「おとなりのご夫婦ふうふ、またちょっと留守るすにいたすが、たのみまする」
こえをかけて、った。
筆屋ふでや夫婦ふうふは、はなして、晩飯ばんめしをたべていたので、その姿すがたが、軒先のきさきをよぎるときちらとえた。
ねずみ無地むじ単衣ひとえに、編笠あみがさをかぶり、ときは、大小だいしょうよこたえてはいるが、はかまもつけず、着流きながしの素服すふく
袈裟けさ掛絡からをまとえば、そのまま、虚無僧こむそうといった風采ふうさいである。
筆屋ふでやのかみさんは、舌打したうちして、つぶやいた。
「いったい何処どこくんだろうね、あの先生せんせいはさ。子供こどもたちの指南しなんは、おひるまえにすんでしまうし、ひるからは昼寝ひるねだし、ばんになると、蝙蝠こうもりみたいに、かけてく……」
亭主ていしゅは、わらって、
ひとものだ。仕方しかたがないさ。他人たにん夜遊よあそびまで、いてたら、りがないぞ」
露地ろじると、よい岡崎おかざきは、夕凪ゆうなぎのむしあついほとぼりがれないうちにも、なつそよって、人影ひとかげながれのなかに、尺八しゃくはちきこえ、虫籠むしかごむしきこえ、座頭ざとうふしをつけたわめきだの、西瓜売すいかうりやすしりのごえや、また、夜歩よあるきに旅人たびびと浴衣ゆかたれなど――さすがに江戸えどのような新開地的しんかいちてきなあわただしさとちがって、落着おちついたなか城下町風情じょうかまちふぜいがある。
「あら。先生せんせいく」
無可先生むかせんせい
「すましてくこと」
まち娘達むすめたちが、眼顔めがおして、ささやきあう。なかには、お辞儀じぎするむすめがある。無可先生むかせんせいさきは、そこらでも、話題わだいであった。
だが、かれあしは、すぐだった。とお王朝おうちょうのむかしから、ここのあたりは、矢矧やはぎ宿しゅくうかたちから脂粉しふんながれをひいて、いま岡崎女郎衆おかざきじょろうしゅうは、海道かいどう一名物いっめいぶつであったが、そこのつじがる様子ようすもない。
ほどなく、城下じょうか西端にしはずれまでってしまう。すると、ひろやみに、どうどうと、にしぶく水音みずおとかれ、あつさもいちどにたもとはらって、はしなが二百八間にひゃくはっけんという、その橋桁はしげた第一柱だいいっちゅうに、
矢矧やはぎばし
星明ほしあかりにめる。
すると、約束やくそくしたように、そこにっていた一個いっこ痩法師やせほうしが、
武蔵むさしどのか」
と、いった。
無可先生むかせんせいは、
「おう。又八またはちか」
ちかづいて、笑顔えがお見合みあう。
まさしく一方いっぽうものは、本位田ほんいでん又八またはちである。江戸町奉行所えどまちぶぎょうしょまえで、ひゃくむち打叩うちたたかれたて、つみむしろから放逐ほうちくされた――あのとき姿すがたのままの又八またはちである。
無可むかとは、武蔵むさしが、かりであった。
矢矧やはぎはしのうえ。
ほしした
ふたりのあいだには、かつての旧怨きゅうおんもなく、
禅師ぜんじは?」
武蔵むさしうと、
「まだたびよりおかえりもなし、お便たよりもない様子ようす
と、又八またはちがいう。
「おながいなあ」
つぶやきながら、ふたりは、をならべて、矢矧やはぎ大橋おおはしむつまじそうに、わたってった。

よん

対岸たいがんまつおかに、ふる禅刹ぜんさつがあった。そのあたりを八帖山はちじょうさんというせいか、八帖寺はちじょうじてらばれている。
「どうだな又八またはち禅寺ぜんでら修行しゅぎょうというものは、なかなかつらいものだろう」
そこの山門さんもんむかって、くら坂道さかみちのぼってきながら、武蔵むさしがいうと、
つらい――」
又八またはちは、正直しょうじきに、あおつむりれてこたえた。
何度なんども、そうとおもったり、こんなにも、つらおもいをしなければ、人間にんげんになれないなら、いっそくびでもくくろうかとさえかんがえるときもある」
「まだまだおぬしは、禅師ぜんじへおすがりして、入門にゅうもんゆるしを弟子でしではないから、そこらはほんの修行しゅぎょう初歩しょほだ」
「しかし――おかげでこのごろは、よわ気持きもちると、これではならぬと、自分じぶん自分じぶんを、むちつことができるようになった」
「それだけでも、修行しゅぎょうのかいがえてたわけだな」
くるしいときには、いつもおぬしをおもすのだ。おぬしでさえ、やりえてたこと、おれに出来できぬわけはないと」
「そうだ。わしがしたこと。おぬしに出来できぬことはない」
「それと、一度死いちどしぬところを――沢庵坊たくあんぼうすくわれた生命いのちおもい、また、江戸町奉行所えどまちぶぎょうしょで、百叩ひゃくたたきにされた――あのときくるしみをおもしては――なにを、なにをと、いま修行しゅぎょうつらさと朝夕闘あさゆうたたかっている」
艱苦かんくったすぐあとには、艱苦以上かんくいじょう快味かいみがある。かいと、きてゆく人間にんげんには、あさゆう刻々こっこくに、たえずふたつのなみ相搏あいうっている。その一方いっぽうずるって、ただ安閑あんかんだけをぬすもうとすれば、人生じんせいはない、きてゆくかいあじもない」
「……すこわかりかけてた」
欠伸あくびひとつしてもだ――なか潜心せんしんした人間にんげんのあくびと、懶惰らんだ人間にんげんのそれとはまったくちがう。かずある人間にんげんのうちには、このせいながら、ほんとの欠伸あくびあじすららずに、むしのように、んでくのがたくさんいる」
てらにいると、まわりのひとたちからも、いろいろなはなしく。それがたのしみだ」
「はやく、禅師ぜんじって、おぬしのたのみたいし、わしもなにかと、みちについて、禅師ぜんじただしたいこともあるのだが……」
一体いったい、いつおかえりなのだろう? 一年いちねん便たよりがないといっているが」
一年いちねんはおろか、二年にねん三年さんねんも、飄々ひょうひょうと、白雲はくうんのように、居所いどころれぬれいは、禅家ぜんけにはめずらしくないことだ。――折角せっかく、この土地とちあしめたのだから四年よねんでも五年ごねんでもおかえりを覚悟かくごでいてくれい」
「そのあいだ、おぬしも、岡崎おかざきにいてくれるか」
「いるとも。裏町うらまちんで、世間せけんそこの、雑多ざった生活くらしれてみるのも、ひとつの修行しゅぎょう。――むなしく禅師ぜんじのおかえりのみをっているわけではない。わしも修行しゅぎょうおもって、町住居まちずまいしているのだから」
山門さんもんといってもなん金碧きんぺきもない茅葺門かやぶきもん本堂ほんどうまずしいてらだった。
又八道心またはちどうしんは、そこの庫裡くりのわきにある寝小屋ねごやうちともみちびいた。
まだかれは、正式せいしきにここの寺籍じせきにはいっていないので、禅師ぜんじかえるまでそこにねぐらあたえられていた。
武蔵むさしは、時々ときどきかれをここへおとずれて、夜更よふけまではなしては、かえってった。もちろん二人ふたりが、旧交きゅうこうりもどし、又八またはち一切いっさいてて、こうなるまでには、――そこに、江戸えどはなれてから以後いごはなしのこってはいるが。