436・宮本武蔵「円明の巻」「無可先生(1)(2)」


朗読「436円明の巻31.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 14秒

無可先生むかせんせい

いち

岡崎おかざき魚屋ととやよこちょう。
そこのひとつの露地口ろじぐちに、いたってあるのをれば、佗牢人わびろうにん生活たつきとみえ、

童蒙どうもう道場どうじょう
よみかきしなん        無可むか

と、ある。
寺子屋てらこやであろう。
だが、その先生せんせい自筆じひつらしい看板かんばん文字もじからして、はなはだうまくない。横目よこめにみて、苦笑くしょうしてとお識者しきしゃもあるだろう。けれど、無可むか先生せんせいは、あえはじとしていない。ものがあれば、
(わしも、まだどもで、修行中しゅぎょうちゅうだからな)
と、いうそうである。
露地ろじ突当つきあたりは、たけやぶだ。たけやぶの彼方かなた馬場ばばで、天気てんきだと、のべつほこりっている。いわゆる三河武士みかわぶし精鋭せいえい本多家ほんだけ家中かちゅうが、騎馬きば練磨れんまくらしているのだった。
で、ほこりがくる。
無可むか先生せんせいは、そのためか、いつもそっちの折角明せっかくあかるいのきへ、いちれんをかけているので、いとどせま室内しつないは、よけいに薄暗うすぐらい。
もとよりひともの
いましがた、昼寝ひるねからさめたとみえ、井戸いど釣瓶つるべっていたが、そのうちに、
ぱーん!
竹藪たけやぶなかで、おおきなおとがした。たけったおとである。
叢竹そうちくなか一本いっぽんが、ゆさっとたおれた。しばらくすると、無可先生むかせんせいは、尺八しゃくはちにするにしてはふとすぎるし、みじかくもある一節ひとふしって、やぶからた。
鼠頭巾ねずみずきんに、鼠無地ねずみむじ単衣ひとえ脇差わきざしひとこし。それでいて、としわかい。そんな地味じみではあるが、まだ三十さんじゅうとはおもわれない。
一節切ひとよぎりたけを、井戸端いどばたあらい、文字もじどおりな裏店うらだな室内しつないがってると、とこはない――ただかべすみへ、一枚いちまいいたをおいて、そこへだれふでか、祖師像そしぞうえがいたのをけてあるだけの――その置床おきどこいたへ、たけふしえた。
花挿はないけになっている。
雑草ざっそうにからんだ昼顔ひるがおはなを、ぽんとげてあるのだった。
――わるくない。と、自分じぶんでもているらしい。
それからつくえすわって、無可先生むかせんせいは、習字しゅうじをしはじめた。褚遂良ちょすいりょう楷書かいしょ手本てほんと、大師流だいしりゅう拓本たくほんっている。
「…………」
ここへんでからでも、一年いちねんになる。日課にっかつとめたせいだろう。看板かんばん文字もじよりは、はるかに上達じょうたつしていた。
「おとなりのお師匠ししょうさん」
「はい」
ふでいて、
「――となりのおばさんか。あついのう、今日きょうも。おがりなされ」
「いえいえ。がってはいられないが……なんじゃろ? 今大いまおおきなおとがしたようだが」
「ははは。わたし悪戯いたずらですよ」
どもしゅうをあずかる先生せんせい悪戯いたずらしてはこまったものじゃ」
「ほんにな……」
なにをなされたのじゃ」
たけってみたのでござる」
「そんならよいがわたしはまた――なにかあったのじゃないかと、むねがどきっとした。うちの良人ひとがいうことだから、そうあてにはならないけれど、どうもこのへんをよく牢人衆ろうにんしゅうがうろついているのは、おまえさんの生命いのちでもねらっているらしい……などとかされているものだからね」
「だいじょうぶです。わたしくびなど三文さんもんあたいもしませんから」
「そんな暢気のんきをいってても、自分じぶんおぼえのないうらみでころされるひとだってあるからね。……をつけるがいいよ。わたしはいいけれど、近所きんじょむすめさんたちが、くからね」

隣家となり筆職人ふでしょくにんであった。
亭主ていしゅ女房にょうぼうも、親切者しんせつもので、わけておかみさんは、ひともの無可先生むかせんせいのために、ときには炊事煮物すいじにものほうおしえ、ときにはいもの洗濯せんたくもののろうまでってくれる。
それはいいが、無可先生むかせんせいを、ややもすると、こまらせる一事いちじは、
(いいおよめさんがあるのだが――)
である。
毎度毎度まいどまいど、やたらにそのおよめたいくちってては、
(いったい、どうして女房にょうぼうたないのさ。まさか女嫌おんなぎらいでもあるまいに)
と、いつめて、ときには無可先生むかせんせいをしてほとんど、こたえにきゅうさせてしまう。
だが、これは彼女かのじょつみばかりでなく、無可先生自身むかせんせいじしんわるいので、
自分じぶんは、播州ばんしゅう牢人ろうにん係累けいるいもなくすこしばかり学問がくもんをこころざして、京都きょうと江戸えどまなんだから、この土地とちすえは、じゅくでもって落着おちつきたいとおもう)
などとおなりをいったことがあるので、年頃としごろ年頃としごろ人品じんぴんもよし、第一だいいち真面目まじめでおとなしいし……ととなり夫婦ふうふがすぐ鍋釜なべかまつぎ女房にょうぼうかんがえたのも無理むりではないしまた、時折出歩ときおりである無可先生むかせんせい姿すがたかけ、よめきたい、よめりたいと筆職人ふでしょくにん夫婦ふうふらしてくちききをすがきもおおいのである。
そのほか。
なん祭礼まつりなんおどり。やれ彼岸ひがんぼんのと――ちいさな生活せいかついそがしく派手はでに――かなしみの葬式そうしき病人びょうにん世話事せわごとまでも、合世帯あいせたいのようににぎやかにおくっている――裏町住居うらまちじゅうきょのおもしろさ。
そのなかに、じゃくとしてんで、
(おもしろいな)
無可先生むかせんせいは、一脚いっきゃく小机こづくえから、世間せけんをながめ、世間せけんまなんでいるらしかった。
しかし、こういう世間せけんには、ひとり無可先生むかせんせいばかりでなく、どんな人間にんげんんでいるかれなかった。時節じせつ時節じせつでもある。
先頃さきごろまで、大坂おおさかやなぎ馬場ばば裏町うらまちで、幽夢ゆうむというつむりまるめた手習師匠てならいししょうんでおったが、徳川家とくがわけ身元みもとあらってみると、なんぞしらん、これがさき土佐守とさのかみ長曾我部宮内少輔盛親ちょうそかべくないしょうゆうもりちかれのて――とわかり、大騒おおさわぎしたが、近所きんじょれたときには、一夜いちやかれ姿すがたはどこにもえなかったといううわさ
また。名古屋なごやつじで、売卜ばいぼくをしていたおとこを、不審ふしんて、これも徳川家とくがわけ手筋てすじが、さぐってみると、せきはら残党毛利勝永ざんとうもうりかつなが臣竹田しんたけだ永翁えいおうであったとやら。
九度山くどやま幸村ゆきむら漂泊ひょうはく豪士後藤ごうしごとう基次もとつぐ徳川家とくがわけって、神経しんけいにさわる人間にんげんみなのなかを韜晦とうかいして、そしてつとめて、人目ひとめにつかないくらしを、法則ほうそくとしている。
もちろんそういう大物おおものばかりが世間せけんかくれているわけではなく、くだらないものもそれ以上いじょう、ごろついているのが世間せけんであり、その真物ほんものとくだらないものとが、渾然こんぜんと、見分みわけもつかずとなっているところに、裏町うらまち神秘しんぴがある。
無可先生むかせんせいについても、ちかごろ、だれがいいしたともなく、無可むかばずに、武蔵むさしとよぶものが、ちらちらあって、
「あのわかかたは、宮本武蔵みやもとむさしといって、寺子屋てらこやなどは、なにかの都合つごうでしていることで、ほんとは一乗寺下いちじょうじさがまつで、吉岡一門よしおかいちもん相手あいてにしてちぬいた、けん名人めいじんであらっしゃる」
と、たのまれもせぬことを、れてあるくものもあった。
「まさか?」
と、いったり、
「そうかしら……?」
と、いったりして、無可むか先生せんせいているのが、いま近所きんじょしゅうで、時折ときおりよるまぎれてうら竹藪たけやぶだの、露地ろじくちだのを、ひそかにうかがっているのが、隣家りんかのおかみさんがよくかれ注意ちゅういする――かれ生命いのちねらっている何者なにものかのであった。