435・宮本武蔵「円明の巻」「熱湯(6)(7)」


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ろく

佐渡さどが、伊織いおりっていたのは、巌流がんりゅうにも、意外いがいであった。
けれどその長岡佐渡ながおかさどは、自分じぶん細川家ほそかわけ仕官しかんするまえから、自分じぶんいま位置いちへ、宮本武蔵みやもとむさし推挙すいきょしていたものであり、なおそのも、君公くんこうとつがえたやくはたさねばならぬとかいって――おりあるごとに、武蔵むさし居所いどころこころがけているともいているので、
なにかのとき伊織いおりつうじて武蔵むさしったか、武蔵むさしをさがすために、伊織いおりったか。とにかく、そんな縁故えんこだろう)
巌流がんりゅうは、さっした。
けれど巌流がんりゅうは、
(この少年しょうねんを、どうしてごぞんじか?)
とは、いていてみるがしなかった。そんな緒口いとぐちから、佐渡さどとのあいだに、武蔵むさしはなしることは、このましくない。
だが、このむとこのまないとにかかわらず、いつか一度いちどは、武蔵むさし相会あいあがきっとるにちがいないことは、巌流がんりゅうもひそかに予期よきしていた。――それはまた、自分じぶん武蔵むさしとの従来じゅうらい経歴けいれきが、なんとなくそうしてたばかりでなく、君公くんこう忠利ただとし予期よきし、藩老はんろう長岡佐渡ながおかさど予期よきしているところである。いや、かれ豊前ぶぜん小倉こくら着任ちゃくにんしてみると、そういう期待きたいは、果然かぜん中国ちゅうごく九州きゅうしゅう民間みんかんにも、各藩かくはん剣人けんじんたちのうちにもたれていたのが、意外いがいなくらいであった。
郷土的きょうどてき関係かんけいもあろう。武蔵むさし生地せいち自分じぶんうまれた土地とちとも中国ちゅうごくだし、また、武蔵むさし名声めいせい自分じぶんも、江戸えどにあってかんがえるのとは想像以上そうぞういじょうに、郷土きょうど西国一帯さいごくいったいには話題わだいとなっていたのである。
なお必然ひつぜん細川家ほそかわけ本藩支藩ほんはんしはんつうじても、つた武蔵むさしたか評価ひょうかするものと、新任しんにん巌流佐々木小次郎がんりゅうささきこじろうなりとするものとが、なんとはなく対立たいりつしていた。
その一方いっぽうに、巌流がんりゅう細川家ほそかわけ斡旋あっせんしたおな藩老はんろう岩間角兵衛いわまかくべえがある。だからこの空気くうきは、おおきくは天下てんか剣人達けんじんたち興味きょうみからおこってもいるが、その真因しんいんは、藩老はんろう岩間派いわまはと、藩老はんろう長岡派ながおかはとの対立たいりつかもしたものだとるものもあった。
で。いずれにせよ――
巌流がんりゅう佐渡さどかんじをち、佐渡さど巌流がんりゅう好意こういをもっていないことも明白めいはくなのだ。
「お支度したくができました。どうのおせきのかたも、どうぞいつでも、ふねへおしくださいまし」
そのとき
巌流がんりゅうにとっては、おりもよく、巽丸たつみまる水夫頭かこがしらむかえにたので、
御老台ごろうだい、ひとあしさきへ」
と、佐渡さどへいい、ほか家中かちゅうものをもさそって、あわただしげに、ふねほうへぞろぞろ立去たちさった。
佐渡さどは、あとのこって、
船出ふなでは、黄昏たそがれだの」
「へい。左様さようで」
と、番頭ばんとう佐兵衛さへえはまだ、この始末しまつききらないようなおそれをいだいて、みせ大土間おおどまにうろうろしながらいった。
「ではまだ――休息きゅうそくしてまいっても、おうな」
いまするとも。どうぞおちゃなどいっぷく」
湯柄杓ゆびしゃくでか」
「ど、どういたしまして」
と、佐兵衛さへえはひどく、いた皮肉ひにくびたかおして、あたまいたが、そのときみせおくとの仕切暖簾しきりのれんのあいだから、おつるかおして、
佐兵衛さへえ。ちょっと……」
と、小声こごえんだ。

なな

店先みせさきでは、あまりはしぢか。お手間てまはとらせませぬゆえ、住居すまい庭門にわもんからおく数寄屋すきやまで――と、佐兵衛さへえみちびかれて、
「では、ことばにあまえよう。わしにいたいとは、このいえ御寮人ごりょうにんか」
「おれいもうしたいとかで」
なんれいじゃ」
多分たぶん……」
佐兵衛さへえは、そこでもあたまいて、恐縮きょうしゅくしながら、
伊織いおりのことを、無事ぶじにおあつかくださいましたので、主人しゅじんかわってそのご挨拶あいさつもうすんでございましょう」
「オ。伊織いおりといえば、あれにもはなしがある。こっちへんでくれい」
「かしこまりました」
にわはさすがに堺町人さかいちょうにん数寄すきをこらしたもの、土蔵一側どぞうひとかわへだてだが、店先みせさきあつさやさわぎは別天地べってんちのようだ。泉石せんせきも、樹々きぎ打水うちみずれ、かすかなみずのせせらぎがみみあらう。
数寄屋すきや一間ひとまに、毛氈もうせんきのべ、茶菓ちゃか煙草たばこをととのえ、火入ひいれには練香ねりこうをしのばせて、御寮人ごりょうにんのおせいと、むすめのおつるは、きゃくむかえたが、長岡佐渡ながおかさどは、
「このほこりまみれに、草鞋わらじがけじゃ。ゆるされい」
とそこにこしのみけて、ちゃきっした。
せいからは、あらためて、
「ただいまは、なんとも――」
と、雇人やといにんたちの無考むかんがえな仕方しかただの伊織いおりについても、びやられいをのべたが、佐渡さどは、
「いやなに。あの子供こども仔細しさいあってわしが以前いぜんかけたことのあるもの来合きあわせたのがしあわせであった。それよりは、どうして当家とうけ厄介やっかいになっておるか、それはまだ伊織いおりからもいてはおらぬが……」
と、たずねた。
御寮人ごりょうにんは、大和やまとまいりの途中とちゅう、ふとかけてひろってたわけをはなし、佐渡さどはまた、伊織いおり師宮本武蔵しみやもとむさしというものを、年来捜ねんらいさがしているところじゃが――などと種々くさぐさ物語ものがたりて、
「――最前さいぜんかれ熱湯ねっとうびせられそうになって、大勢おおぜいなかに、すわったところを、往来おうらいをへだててじっとておったが、なかなか自若じじゃくとして、わるびれぬていには、ひそかに感服かんぷくした。ああいう性根しょうねを、商家しょうかっておいては、かえってその性根しょうねゆがめてしまうかもしれぬ。いっそのこと、わしにくれぬか。わしが小倉こくらかえって、手飼てがいものとしてそだててみたいが」
佐渡さどから、のぞまれると、
ねごうてもない……」
と、おせい同意どういし、おつるもよろこんで、早速さっそく伊織いおりんでようとせきつと、その伊織いおりは、さっきからちかくの木陰こかげたたずんで、そこの相談そうだんをのこらずいていたらしい。
いやか」
みなに、意志いしかれると、もちろんいやどころではない。ぜひぜひ小倉こくらとやらへれてってくれという。
船出ふなでもない――
つるは、佐渡さどがそこでおちゃんでいるまに、着物きものはかまよ、かさ脚絆きゃはんよと、自分じぶんおとうとでも旅立たびだたせるようにいそいそした。うまれてはじめて、はかまというもの穿き、歴乎れっきとした武家ぶけ随身ずいしんになって、伊織いおりは、やがておともをしてふねうつった。
夕焼ゆうやぐもに、くろつばさりきって、ふね潮路しおじ豊前ぶぜん小倉こくらった。
つるさんのかお――
御寮人ごりょうにんしろかお――
佐兵衛さへえかお。たくさんな見送人みおくりにんかおさかいまちかお――
伊織いおりは、かさっていた。