432・宮本武蔵「円明の巻」「港(7)熱湯(1)」


朗読「432円明の巻27.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 50秒

なな

きぬいたあとは、こえない。ただかた嗚咽おえつしているきりだった。
伊織いおりは、わめけどこえないさるぐつわを、なみだでぬらしながら、
――いまったのは、ねえさんのおつうさまにちがいない!
――えたのに。えもしない。おらがここにいるのも、らずにってしまった。
――何処どこへ。どっちへ?
と、おもいみだれ、むねなかで、さわいでいたが、だれひとりかえりみるものもない。
店頭みせさきは、荷揚にあげのふねがついて、いよいよ混雑こんざつしてるし、ひるさがりの往来おうらいは、あついのとほこりで、ひとあしはやかった。
「おいおい。佐兵衛さへえどん。なんだってこの丁稚でっちを、くま見世物みせものみたいに、こんなところしばっておくのだ。無慈悲むじひひとづかいするようで、ッともないじゃないか」
主人しゅじん小林太郎左衛門こばやしたろうざえもんさかいみせにはいなかったが、その従兄弟いとことかいう南蛮屋なんばんやぼう――くろがあってこわらしいかおをしているが、いつもあそびにると、伊織いおりに、菓子かしなどくれるのいい人物じんぶつがあって――その南蛮屋なんばんやが、おこっていった。
「こんな往来先おうらいさきへ、こんなちいさいものを、いくららしめにせよ、小林こばやし外聞がいぶんにもさわる。はやくいてやんなさい」
帳場ちょうば佐兵衛さへえは、伊織いおりが、はしにも、ぼうにもかからないことを、
「はい。はい」
と、服従ふくじゅうしながらも、一方いっぽうでくどくどぐちしていたが、南蛮屋なんばんやは、
「そんなあま小僧こぞうなら、わしのいえへもらってかえるよ。きょうはひとつ、御寮人ごりょうにんやおつるにも、はなしてみよう」
と、みみにもかけず、おくとおってしまった。御寮人ごりょうにんきこえてはと、佐兵衛さへえはひどくおそれていた。そのせいか、にわかに伊織いおりあたりがよくなったが、伊織いおりきじゃくりは、いましめをかれても、小半日こはんにちまなかった。
大戸おおとりて――
みせまった黄昏頃たそがれごろ南蛮屋なんばんやは、おく馳走ちそうになったらしく、微酔びすいをおびて、いいげんでかえりかけたが、ふと伊織いおり土間どますみつけて、
「わしがおまえを、もらってゆこうと、掛合かけあったところがな、御寮人ごりょうにんもおつるも、なんといっても、いやだという。やはり可愛かわいいのだよ。だから辛抱しんぼうせい。……そのかわりにな、明日あしたからはもう、あんなには、わしゃあせんで。……よいか、おい、大将たいしょう。はははは」
かれのあたまをでて、そういって、かえってしまった。
うそではなかった。南蛮屋なんばんやがいってくれたであろう。その翌日よくじつから、伊織いおりみせから近所きんじょ寺子屋てらこやかよって勉強べんきょうすることをゆるされた。
また、寺子屋てらこやかよあいだだけ、かたなすことも、おくからの言葉ことばで、免許めんきょになった。――佐兵衛さへえもほかのものも、それからはあまつらあたらない。
だが。だが。
伊織いおりはそれ以来いらい、どうもまなざしが落着おちついていなかった。みせにいても、往来おうらいばかりているのだ。
そしてふと、こころにあるひと面影おもかげているらしい女性じょせいでもとおると、はっと、かおのいろまでえるのだった。ときには、往来おうらいまでして、見送みおくっていたりする――
それは八月はちがつぎて、九月くがつはじめだった。
寺子屋てらこやからかえって伊織いおりは、何気なにげなく、みせさきへつと同時どうじに、
「おやっ?」
と、そこへすくんでしまった。そのときも、かれかおいろは、ただならずかわっていた。

熱湯ねっとう

いち

ちょうどそのは。
あさから小林太郎左衛門こばやしたろうざえもんみせ河岸かしまえには、おびただしい行旅こうりょ荷物にもつやらこうりやらが、淀川よどがわから廻送かいそうされ、それをまた、門司もじせき便船びんせんみこむので、ひどく混雑こんざつしていた。
荷物にもつには、どれにも、
豊前ぶぜん細川家内某ほそかわけないぼう
とかあるいは、
豊前小倉藩何組ぶぜんこくらはんなにぐみ
とかいう木札きふだられて、そのほとんどが、細川家ほそかわけ家士かし行李こうりなのであった。
――ところへいま伊織いおりそとからもどってて、軒先のきさきつとともに、あっ? といって血相けっそうえた、というわけは、ひろ大土間おおどまから軒先のきさき床几しょうぎにまであふれて、麦湯むぎゆんだり、おうぎづかいしたりしている大勢おおぜい旅装りょそう武士ぶしたちのなかに、佐々木小次郎ささきこじろうかおがちらとえたからであった。
みせもの
小次郎こじろうは、こうりひとつにこしかけて、帳場ちょうば佐兵衛さへえをふりかえりながら、おうぎむねにうごかしていた。
ふねるまで、ここにっておるのでは、あつうてかなわぬが――便船びんせんはまだいていないのか」
「いえ、いえ」
と、おくじょうせわしいふでをうごかしていた佐兵衛さへえは、帳場ちょうばごしに川尻かわじりして、
「おしになる巽丸たつみまるは、あれにいておりますが、積荷つみによりは、お客様方きゃくさまがたのおしのほうが、滅相めっそうおはやくえられましたので、船方衆ふなかたしゅうにいいつけて、ただいまあわてておすわ場所ばしょさきととのえさせておりますので」
おなつにも、みずうえはいくらかすずしかろう。はやくふねって休息きゅうそくしたいものだが」
「はいはい。もういちど手前てまえっていそがせてまいりましょう。しばらく、御辛抱ごしんぼうを」
佐兵衛さへえあせをふくひまもないかおつきして、すぐ土間どまから往来おうらいしたが、そこの物陰ものかげたたずんでいた伊織いおりのすがたを横目よこめると、
じゃないか。このいそがしいのに、ぼうんだように、そんなところっているやつがあるか。お客様きゃくさまたちへ、麦湯むぎゆでもげたり、つめたいみずでもんでてさしあげろ」
しかててった。
「へい」
と、こたえるりはしたが、伊織いおりはついとそこからけて、土蔵どぞうのわきの露地口ろじぐちにあるわかかげてまた、たたずんでいた。
そしては――大土間おおどまなかにいる佐々木小次郎ささきこじろう姿すがたからはなちもやらずに、
(おのれ)
と、めつけて。
だが小次郎こじろうのほうでは、一向気いっこうきづかない容子ようすらしかった。
細川家ほそかわけ召抱めしかかえられて、豊前ぶぜん小倉こくらきょさだめてから、かれ恰幅かっぷく容子ようすには、一倍いちばいヒレがついてたようにられた。わずかなあいだだが、牢人時代ろうにんじだいのようなまなざしも、落着おちつきをもったふかひとみにかわり、もとからいろ小白こじろおもてにはゆたかなにくもついて、れればれるものを舌刀ぜっとうかえすような皮肉ひにくもあまりいわなくなった。そうじて重々おもおもしい風采ふうさいとなり、そのうちやしなわれてけん気稟きひんというものが、ようやく人格化じんかくかしてたものとてよかろう。
そのせいもあろう、いまも、かれのまわりにいる円満えんまん家士かしはみな、
巌流がんりゅうさま――)
とか、
先生せんせい
とか、うやまって、新参しんざん師範しはんとはいえ、かろんじるふうはだれにもえなかった。
小次郎こじろうというはいしたわけではないが、そのおも役目やくめと、風俗ふうぞくとに、ようやくふさわしくない年配ねんぱいにもなったためか、細川家ほそかわけってからは、巌流がんりゅうしょうしていた。