430・宮本武蔵「円明の巻」「港(3)(4)」


朗読「430円明の巻25.mp3」7 MB、長さ: 約 7分 56秒

さん

「なアんだ、商人あきんどかって? ――。まあこのは、生意気なまいきくちをきいて!」
むすめは、ははかおあわせ、そしてひろってやったつもりでいる伊織いおりちいさいからだを、すこ小憎こにくらしいように見直みなおした。
「ホ、ホ、ホ、ホ、商人あきんどといえば餅売もちうりか、そこらの呉服商ごふくあきないが、精々せいぜいみたいにかんがえているからだよ」
御寮人ごりょうにんは、ながして、むしろ愛嬌あいきょうっていたが、むすめは、堺商人さかいあきんどほこりをもって、一応いちおういってかなければがすまないような容子ようす――
その自慢じまんばなしにると。
廻船問屋かいせんどんやみせは、さかい唐人町とうじんまち海岸かいがんにあって、三戸前みとまえくらと、何十なんじゅっそう持船もちふねがある。
またみせは、さかいのみでなく、長門ながと赤間あかませきにもあるし、讃岐さぬき丸亀まるがめにも、山陽さんよう飾磨しかまみなとにも出店しゅってんがある。
わけて小倉こくら細川家ほそかわけからは、とくはん御用ごようおおせつかっているので、お船手印ふなてじるしもゆるされ、苗字みょうじ帯刀たいとうもいただいて、赤間あかませき小林こばやし太郎左衛門たろうざえもんといえば、中国九州ちゅうごくきゅうしゅうきってらないものはない。
等々々とうとうとう、ならべたてて、
商人あきんどといってもおまえからまであるよ。廻船問屋かいせんどんやというものは、いざ天下てんか大戦たいせんとでもなってごらん。薩摩さつまさまでも細川様ほそかわさまでも、はんのお手船てふねだけではりはしない。だからふだんはただ問屋とんやでも、いざとなれば、御合戦ごかっせん一役ひとやくをするのですからね」
と、その小林太郎左衛門こばやしたろうざえもんむすめであるおつるは、口惜くやしがって、しきりとく。
御寮人ごりょうにんは、おつるははであり、太郎左衛門たろうざえもんつまでもあって、はおせいさまという――ことなども、やがて伊織いおりわかって、伊織いおりもすこしいいぎたとおもったか、
「おじょうさん。おこったの」
と、げんをうかがう。
つるも、おせいも、わらってしまいながら、
おこりはしないけれども、おまえみたいななかかわずが、あまり小癪こしゃくくちを、きくからですよ」
「すみません」
「おみせには、手代てだいだのわかものだの、それからふねがつくと、水夫かこ軽子かるこがたくさんに出入でいりするから、生意気なまいきなことをいうと、らしめられますよ」
「はい」
「ホホホホ。生意気なまいきかとおもうと、素直すなおなところもあるね、おまえは」
と、よい玩具おもちゃにしてあつかう。
まちがると、うみのにおいがじかおもてってた。岸和田きしわだ船着場ふなつきばである。この地方ちほう産物さんぶつんだ五百石船ごひゃっこくふねがそこについていた。
つるは、ゆびさして、
「あれへってかえるんだよ」
と、伊織いおりおしえ、
「あのふねだって、うちの持船もちふねなんだからね」
と、ほこる。
そこらの磯茶屋いそぢゃやから、その時彼女ときかのじょたちの姿すがたかけて、けてさん四人よにんがあった。船頭せんどう小林屋こばやしや手代てだいらしく、
「おかえりなさいまし」
「おちしておりました」
と、こぞって出迎でむかえ、
生憎あいにく積荷つみに沢山たくさんで、おせきひろれませんが、彼方あちら支度したくもしてきましたからぐにどうぞ」
さきって、ふねうちみちびいてったが、れば、ともりのいっかくとばりをめぐらし、緋毛氈ひもうせんをしき、桃山ももやま蒔絵まきえ銚子ちょうしだの、料理りょうりのおじゅうだの、みずうえともおもわれない、豪奢ごうしゃ小座敷こざしきこしらえてある。

よん

ふねとどこおりなく、そのばんさかいうらにつき、小林こばやし御寮人ごりょうにんとお鶴様つるさまとは、ふねいた川尻かわじりのすぐむかいにあるおおきな間口まぐちのきへ、
「おかえりなさいませ」
「ようおはやく」
「きょうはまた、お日和ひよりもよくて」
などと老番頭ろうばんとうから、わかものにいたるまで、出迎でむかえるなかを、おくとおりながら、
「そうそう、お帳場ちょうばどん」
と、みせおく中仕切なかじきりで、御寮人ごりょうにんは、老番頭ろうばんとう佐兵衛さへえかえりみていった。
「そこへっているだが」
「へいへい。おれになったきたなわっぱでございますか」
岸和田きしわだ途中とちゅうひろってなんだけれど、気転きてんがききそうだからおみせ使つかってみてごらん」
道理どうりで、へんものが、くッついてたとおもいましたら、みちひろっておいでになったんで?」
「しらみでもたかっているといけないから、だれかの、着物きものをやって、一度いちど井戸端いどばたみずをかぶせてからかしてやっておくれ」
中仕切なかじきり内緒暖簾ないしょのれんからさきは、ちょうど武家ぶけ奥向おくむかいおもてのような区別くべつがあって、番頭ばんとうでもゆるしがなければはいれない。いわんやひろわれて風来ふうらいぎない伊織いおりにおいては、そのばんから、みせ片隅かたすみかれたのみで、御寮人ごりょうにんとお鶴様つるさまかおることも、それきり幾日いくにちもなくった。
「いやないえだな」
たすけられたおんよりも、伊織いおりには商家しょうかが、事々ことごと窮屈きゅうくつだし、不満ふまんだった。
丁稚でっち丁稚でっちと、ひとをぶ。
あれをしろ、これをしろ。
わかものから老番頭ろうばんとうまで、いぬころのように使つかう。
それらの人間にんげんがまた、おくものとかおきゃくとかいうと、ひたいがつかえるほどあたまばかりぺこぺこげる。
そういう大人達おとなたちはまた、けてもれても、金々々かねかねかねと、かねのことばかりいってるし、仕事仕事しごとしごとと、人間にんげんのくせに仕事しごとにばかりわれている。
「いやだ、そうか」
伊織いおりは、何度なんどおもった。
青空あおぞらこいしい。つちくさのにおいがなつかしい。