428・宮本武蔵「円明の巻」「春・雨を帯ぶ(7)(8)(9)」


朗読「428円明の巻23.mp3」14 MB、長さ: 約 15分 00秒

なな

そのおとは、はたおとかともおもえたが、はたよりもおおきなおとで、調子ちょうしもちがう。
竹林ちくりんまえにした裏座敷うらざしきに、主人しゅじんきゃくそなえる蕎麦そばていた。
さけ瓶子へいしえてある。
不出来ふできでございまするが」
大助だいすけがいって、はしをすすめる。まだ人馴ひとなれないよめが、
「おひとつ」
と、瓶子へいしける。
さけは」
と、佐渡さどさかずきせて、
「こちらがよい」
と、蕎麦そばむかう。
いてはすすめず、大助だいすけよめもほどよく退がる。――そのあいだも、竹林ちくりん彼方かなたから、はたおとがしきりにみみにつくので、佐渡さどは、
「あれはなん物音ものおとで」
と、たずねた。
幸村ゆきむらは、きゃくにきかれて、きゃくみみざわりになっていることを、はじめてづいたように、
「お。あのおとでおざるか。あれはおはずかしいが、生活たつきたすけに、家族かぞくどもや子飼こがいの召使めしつかいどもにやらせておる組紐くみひもちの細工場さいくばで、紐打ひもうちの木車もくしゃけているおとでござります。……自分じぶんたちは、職業しょくぎょうでもあり、朝夕耳あさゆうみみれていますが、おきゃくには、おうるさかろう。……早速さっそくもうつかわして、木車もくしゃはたを、めさせましょう」
をたたいて、大助だいすけよめをよびかける容子ようすに、
「いや、それにはおよばぬこと。お職所しょくしょさまたげしては、かえって居辛いづろうおざる。ひらに、ひらに」
と、佐渡さどめた。
ここの裏座敷うらざしきは、母屋おもや家族かぞくたちがいるところ間近まぢかいとみえて、出入でいりのものこえや、くりやおとや、どこかでぜにをかぞえるおとや――まえ離室はなれとはだいぶ空気くうきがちがっている。
(はて? ……。こうもしなければえないほどな境遇きょうぐうだろうか)
佐渡さど怪訝いぶかったが、まったく大坂城おおさかじょうからのみつぎがないとすれば、落魄おちぶれた大名だいみょう末路まつろはこうもあろうかとおもわぬでもない。家族かぞくおおい、農事のうじにはれない、あるかぎりのしなは、売喰うりくいしていつかはきてしまう。
あれこれ、おもいすぎたり、まどったりしながら、佐渡さどは、蕎麦そばをすすった。だが蕎麦そばあじから、幸村ゆきむら人間にんげんを、みわけることはできなかった。そうじて、
ばくとしたおとこ――)
というかんじであった。十年じゅうねんほどまえ愚堂和尚ぐどうおしょう膝下しっかったころ印象いんしょうとは、どこか勝手かってがちがっていた。
しかし、こっちでひと角力ずもうっているまに、幸村ゆきむらは、自分じぶんとおして、細川家ほそかわけ意志いしなり、近状きんじょうなりを、雑談ざつだんはしからでも、っているかもれない。
――さぐりがましいことは、かれくちからは、ちりほども、かれていないが。
かないといえば、第一だいいち自分じぶんなん用務ようむびて、高野山こうやさんたのか。――それすら幸村ゆきむらたずねようとはしない。
佐渡さど登山とざんは、もとより主命しゅめいなのである。故人こじん細川幽斎公ほそかわゆうさいこうは、太閤在世中たいこうざいせいちゅうにも、して青巌寺せいがんじたことがあるし、山上さんじょうながくいて、歌書かしょ著述ちょじゅつなどをいていた一夏ひとなつもあるので、青巌寺せいがんじにはそのおりのままになっている幽斎公ゆうさいこう直筆じきひつ書物しょもつ文房ぶんぼう遺物かたみやらがなにかといてある。その整理せいりと、受取うけとり打合うちあわせに、ことし三年さんねん忌会きえまえに、豊前ぶぜん小倉おぐらからわざと身軽みがるたわけだった。
――そんなことも、幸村ゆきむらただそうともしない。むかえの大助だいすけがいったとおり、門前もんぜんとおりすがりのきゃく茶一ちゃひとつの饗応きょうおうをするのが、うらおもてもないかれ真意しんいでありまた、好意こういとしかおもえなかった。

はち

とも縫殿介ぬいのすけは、さきほどから縁端えんはしかしこまったままでいたが、おくとおされた主人しゅじんが、不安ふあんでならなかった。
いくら表面ひょうめん歓待かんたいしているようでも、ここは、敵方てきがたいえである。徳川家とくがわけにとっては、油断ゆだんのならない大物おおものとして、注意人物ちゅういじんぶつ第一だいいちている人間にんげんいえ
紀州きしゅう領主浅野りょうしゅあさの長晟ながあきらは、そのために徳川家とくがわけからとく九度山くどやま監視かんしをいいつけられているともきこえている。相手あいて大物おおものだし、つかみようのない幸村ゆきむらという人物じんぶつなので、手古摺てこずっているといううわさもかねがねくところだし、
「……よいほどに、おかえりなさればよいのに」
と、縫殿介ぬいのすけは、むのだった。
このいえにどんな詭計きけいがないともかぎらないし、またそんなことはないとしても目付役めつけやく浅野家あさのけから、徳川とくがわほうへ、細川家ほそかわけ藩老はんろう微行しのび途次とじ立寄たちよったと報告ほうこくされるだけでも徳川とくがわ心証しんしょうわるくしよう。
関東かんとう大坂おおさかのあいだは、事実じじつ、それほど険悪けんあくなのである。そんなことにおづきなさらぬ佐渡様さどさまでもないのに。
――などと縫殿介ぬいのすけは、おくのほうばかりうかがって、あんじていたが、ふと、えんかたわらの連翹れんぎょう山吹やまぶきはなが、ゆさとおおきくれたかとおもうと、いつかすみをながしていたそらから、板廂いたびさしをかすめて、ポツリとあめちてた。
かれはふと、
「よいしお――」
と、おもいついて、えんり、佐渡さど饗応きょうおうされている部屋へやほうにわづたいにあゆみ、そこから、
あめそうでございます。御主人様ごしゅじんさま、おちなれば、いまのうちにとぞんじますが」
こえをかけると、先刻さっきからはなしにとらわれてちかねていた佐渡さどは、こころききたるやつと、おうじて、
「や、ぬいか。……なにってまいったと。いまのうちなられもしまい。どれどれ、早速さっそくひましよう」
幸村ゆきむらへあいさつして、気短きみじかちかけると、幸村ゆきむらも、せめて一夜いちやはおとまりをとあるところだったが、主従しゅじゅうもちをさっしてか、いてともいわず、大助だいすけよめんで、
「おきゃくに、みのをさしあげい。そして大助だいすけは、学文路かむろまでおおくもうしあげて――」
といいつけた。
「はい」
大助だいすけは、みのってくる。それをりうけて、佐渡さどは、もんした。
はやあしくも千丈せんじょうたにのふところや、高野こうや峰々みねみねからそらけてくるが、あめはさしたることもない。
「ご機嫌きげんよう」
幸村ゆきむらとその家族かぞくたちは、もんあたりまで、きゃくおくっていった。
佐渡さども、いんぎんにれいかえし、そして幸村ゆきむらへは、
「いずれまた、あめか、かぜか、おもじいたすもおざろう。ご健勝けんしょうに――」
と、いった。
幸村ゆきむらは、ニコとうなずいた。
やがてまた。
やがてまた。
たがいに馬上長槍ばじょうちょうそう姿すがたを、そのときふとえがいてむねにつぶやきったであろう。だが、へいごしのあんずはなは、しとどにって、おくあるじと、きゃくみのを、しむはるにしらじらといろどった。
大助だいすけは、おくってきながら、その途々みちみち
「さしたるりはありませぬ。晩春ばんしゅん空癖そらくせで、やまには一日一度いちにちいちどずつ、きっとこんな疾風雲はやてぐもとおるのです」
と、いった。
だが雲脚くもあしわれて、おのずとあしいそいでると、やがて学文路かむろ宿やど入口いりぐちあたりで、彼方かなたからけて一駄いちだうまと、白衣びゃくえ山伏やまぶしきあたった。

きゅう

荷駄にだには荒菰あらごもおおいかけてある。そしてがらみにしたおとこからだくらうえにくくしつけ、両側りょうがわからしば薪束まきたばあわせてある。
山伏やまぶしは、さきけ、旅商人たびあきゅうどていのおとこ二人ふたり、ひとりが手綱たづなち、ひとりは細竹ほそだけって、うましりちたたきながら、いそぎにいそいでたのだった。
――と。その出合であいがしら。
大助だいすけのほうは、はっとらし、わざとれの長岡佐渡ながおかさどへ、なにはなしかけたが、そのづかず、山伏やまぶしのほうは、
「おうっ、大助様だいすけさまっ」
と、はずこえで、びかけた。
にもかかわらず、大助だいすけはなお、きこえぬふりをしていたが、佐渡さど縫殿介ぬいのすけとは、かおをして、すぐあしめ、
大助だいすけどの、だれんでおりますぞ」
おしえつつもそれへそそぐ。
ぜひなく、かれは、
「おお、林鐘坊りんしょうぼうどの。何処どこへ」
さりげなくいいると、山伏やまぶしは、
紀見峠きみとうげからいっさんに――これからやまのお屋敷やしきまいろうとおもって」
と、声高こわだか立話たちばなしをしはじめ、
先頃さきごろらせをけていたあやしげな関東者かんとうものを、奈良ならつけ、やっと紀見きみうえで、生擒いけどったのでござる。ひとなみすぐれて、つらだましいの剛気ごうきなやつ、月叟げっそうさままえにひきすえて、どろかせたなら、関東方かんとうがた反間はんかん機密きみつなどが、あるいはこのものくちから……」
だまっていれば、わぬことまで、立板たていたみずのような調子ちょうしほこかお喋舌しゃべすので、大助だいすけついに、
「これこれ、林鐘御坊りんしょうごぼうなにをいうのか。わしにはいっこうわからぬが」
「ごろうじませ。うまを。――そのうまくくってあるやつこそ、関東者かんとうもの隠密おんみつで」
「ええ。ばかな」
たまらなくなって、もうかおつきでは、わなくなったように、大助だいすけいっかつした。
往来おうらいばたで――しかも、わしのおともいたしておるおきゃくだれぞとおもう。――豊前小倉ぶぜんこくら細川家ほそかわけ御老臣ごろうしん長岡佐渡様ながおかさどさま滅多めったなことを……いやたわむれも、ほどにいたしたがよい」
「えっ?」
林鐘坊りんしょうぼうは、はじめて、をべつなほうった。
佐渡さどと、縫殿介ぬいのすけとは、みみのないようなかおして、彼方此方あちこちながめていたが、そのあいだも、はや雲脚くもあしあたまのうえをえてき、あめまじりのかぜちてるたび、佐渡さどているみのは、さぎのように、かぜふくらんだ。
――あれが細川家ほそかわけの?
と、林鐘坊りんしょうぼうは、くちをつぐむと、さも意外いがいらしくおどろきとあやしみをたたえた横目よこめづかいでていたが、
「……どうして?」
小声こごえで、そっと大助だいすけへ、たずねていた。
ふた言三言ことみことなにささやいて、大助だいすけはすぐこっちへもどってたが、それをしお長岡佐渡ながおかさどは、
「もうここで、お引取ひきとりくだされい。これ以上いじょうは、かえって恐縮きょうしゅく
と、いて大助だいすけたもとをわかち、会釈えしゃくもそこそこった。
大助だいすけは、是非ぜひなげに、なおたたずんだまま見送みおくっていたが、その荷駄馬にだうま山伏やまぶしのほうへかえすと、
迂濶うかつな」
と、たしなめて、
場所ばしょがら、ひとがら、ようをあいて、ものはいうものぞ。お父上ちちうえのおみみへでもはいったら、ただごとにはかれまいぞ」
「はっ。……よもやとぞんじて」
山伏やまぶし面目めんぼくなげにあやまった。あれよ真田さなだ郎党ろうとう鳥海弁蔵とりうみべんぞうと、このへんではらぬものもなかったが。