426・宮本武蔵「円明の巻」「春・雨を帯ぶ(3)(4)」


朗読「426円明の巻21.mp3」11 MB、長さ: 約 11分 34秒

さん

土塀どべいかこいのうちには、朝夕あさゆうしるれるほどなだとか、ねぎなどの野菜やさいはたけつくってある。
母屋おもやは、がけい、しきから九度山くどやま民家みんか屋根やね学文路宿かむろじゅくひく彼方かなたえる。まがえんよこ青々あおあお竹林ちくりんみずのせせらぎをき――その竹林ちくりんむこうにも、住居じゅうきょがあるとみえて、二棟にとうほどないえいてみえた。
佐渡さどは、とおされて、閑雅かんが一室いっしつすわり、とも縫殿介ぬいのすけは、えんいたに、端居はしいしてかしこまっていた。
「おしずかだのう」
佐渡さどはつぶやいて、室内しつないすみにまでをやった。――あるじ幸村ゆきむらとは、土塀どべいもんくぐときもうっている。
しかし、案内あんないをうけて、ここにすわったきりで、挨拶あいさつはまだわしていない。あらためて、きゃくまえ出直でなおしてるのであろう。ちゃは、息子むすこ大助だいすけよめらしい婦人ふじんいま、しとやかにいて退がった。
だいぶつ……
しかし、かなかった。
ここの客間きゃくまの、なにくれとないものすべてが、あるじせきにないあいだも、きゃくをなぐさめている。にわごしのとおながめ、みず姿すがたえないがみずのせせらぎ、茅葺かやぶき屋根やね廂先ひさしさきからいている苔草こけぐさはな
また、きゃく身近みじかには、これとて綺羅きら調度ちょうど何一なにひとつないが、さすがに上田城三万八千石うえだじょうさんまんはっせんごく城主真田じょうしゅさなだ昌幸まさゆき次男じなんて――そこはかとなくくんじる香木こうぼくのにおいも民間みんかんにない種類しゅるい名木めいぼくらしい。はしらほそく、天井てんじょうひくめに、びたる荒壁あらかべ小床おどこには、蕎麦そば一輪いちりんざしに、なしはな一枝いっしげてあった。
梨花りかいっ春帯雨はるあめをおぶ
「…………」
きゃく佐渡さどは、白楽天はくらくてん一句いっくおもおこし、そして長恨歌ちょうごんかにうたわれた楊貴妃ようきひ漢王かんおうとのこいなど、こえなき嗚咽おえつ心地ここちがしていたが――ふと、はそこにけてある一聯いちれんしょに、はっとたれた。
五字ごじ一行物いちぎょうものである。筆太ふでぶとに、すみで、とっぷりと大胆だいたんに――が、どこか無邪気むじゃきで、おさないところをみせ、一気いっきに、
豊国大明神ほうこくだいみょうじん
きくだしてあるのである。そしてその大字おおじのわきにちいさく「秀頼八歳書ひでよりはっさいしょ」としてあった。
――道理どうりで。
佐渡さどは、それへけてすわっているおそれて、すこし位置いちよこうつした。名木めいぼくきこめてあるのも、きゃくのためにいまにわかにいたのではなく、朝暮ちょうぼに、ここをきよめ、これへ神酒みきささげるときのものが、いつかふすまにもかべにもみているのであろう。
「……ははあ、さてはやはり、うわさにたがわぬ幸村ゆきむらこころがけよな」
すぐ佐渡さどは、そこへおもあたったのである。九度山くどやま伝心月叟でんしんげっそうこと――真田幸村さなだゆきむらこそは油断ゆだんのならぬおとこである。あれをこそ、まことの曲者くせものとはいうべきだろう。いつ風雲ふううんによって、どうへんじるかもれぬ惑星わくせいだ。深淵しんえんりゅうだ。――と世間せけんうわさはなかなかにやかましく、よくみみにすることなのである。
「……その幸村ゆきむらが」
と、佐渡さどは、あるじはらさとりかねていた。本来ほんらいつとめて、かくすべきことを、きゃくにふれるようなところへ、なんけておくのだろうか。――ほかになんぞ大徳寺物だいとくじもの墨跡ぼくせきでもけておいたらよかりそうなものなのに。
――そのとき板縁いたえんをふんでくるひとのけはいに、佐渡さどはさりないをそらしていた。さっき門前もんぜんで、無言むごんのまま出迎でむかえた、からだ小兵こひょうな、にくづきもがた人物じんぶつが、袖無そでなし羽織ばおりに、みじか前差まえざしひとこしをして、至極しごくこしひくく、
失礼しつれいいたしました。せがれをさしして、お旅先たびさきこころなきお引留ひきとめ、おゆるしを」
と、ぶるのであった。

よん

ここは隠士いんし閑宅かんたくあるじ牢人ろうにん
もとより、社会的しゃかいてき地位ちいりのけられている主客しゅきゃくあいだとはいえ、きゃく長岡佐渡ながおかさどは、細川藩ほそかわはん家老かろうである。陪臣ばいしんである。
伝心月叟でんしんげっそういままでえたりとはいえ、あるじ幸村ゆきむらは、真田昌幸さなだまさゆき直子ちょくし、その実兄じっけい信幸のぶゆきは、げんに、徳川系とくがわけい諸侯しょこうのひとり。
その幸村ゆきむらが、あまりにこしひくい挨拶あいさつに、佐渡さどはなはだしく恐縮きょうしゅくして、
「おを。……おをおげくだされて」
と、しきりに辞儀じぎかえし、
「――さてもきょうは、はからざるおもじ。おうわさみみにするは常々つねづねながら、ご健勝けんしょうのていをて、よろこばしゅうござる」
佐渡さどがいえば、
御老台おろうだいにも、愈々いよいよ
と、幸村ゆきむらは、きゃく恐縮きょうしゅくがるままにくつろぎをしめして、
御主人ごしゅじん忠利ただとしこうには、おつつがもなく、先頃さきごろ江戸表えどおもてより御帰国ごきこくとのこと。よそながら祝着しゅうちゃくのいたりとぞんじおりました」
「されば、今年ことしはちょうど、忠利様ただとしさま祖父そふくんにあたる幽斎ゆうさいこうさまが、三条車町さんじょうくるまちょう御別邸ごべっていでおかくれあそばしてより三年さんねんのおむかえと相成あいなるので」
「もうそうなりまするか」
「かたがた御帰国ごきこく。この佐渡さども、幽斎公ゆうさいこう三斎公さんさいこう、ただいま忠利公ただとしこうと――三代さんだいくんにおつかえもうす骨董物こっとうものとなりおってござる」
このへんまで、はなしがくだけてたところで、主客一緒しゅきゃくいっしょに、ははははとわらって、どうやらおたがいに、世事せじはなれた閑居かんきょ主客しゅきゃくらしくうちけてくる。むかえに大助だいすけはじめてったきゃくであったが、幸村ゆきむら佐渡さどとは、きょうが、初対面しょたいめんではないらしい。四方山よもやまのはなしのうちに、
ちかごろは、和尚おしょうにおいなされますかな。花園はなぞの妙心寺みょうしんじ愚堂和尚ぐどうおしょうに」
幸村ゆきむらくと、
「いや、さっぱり、御不音ごぶいんをつづけておる。……そうそう、幸村ゆきむらどのをはじめておかけもうしたのは愚堂和尚ぐどうおしょう禅室ぜんしつでござったな。お父上昌幸ちちうえまさゆきどのにかしずかれて。――てまえは妙心寺地内みょうしんじちない春浦院しゅんぽいん建立こんりゅう主命しゅめいで、あのころはえずおとずれておったもので。……いや、だいぶ以前いぜんのことじゃ。あなたもまだ、おわかかった」
と、佐渡さど追懐ついかいが、なつかしいおもとしてかたられるし、幸村ゆきむらも、
「あのころはよく、あばものが、つのめるために、愚堂和尚ぐどうおしょうしつにあつまりましたなあ。和尚おしょうもまた、諸侯しょこう牢人ろうにん長者ちょうじゃ若輩じゃくはいのさべつなく、相手あいてになってくだされた」
「わけて牢人ろうにんと、わかものあいされた。――和尚おしょうがよくいったことでおざった。――浮浪ふろうは、あれは浪人ろうにんじゃ。しん牢人ろうにんとは、こころ牢愁ろうしゅうのなやみをき、意志いし牢固ろうこ節操せっそうをもったものじゃ。……しん牢人ろうにん名利みょうりもとめず、けんびず、のぞんでは、政治まつりごとげず、にのぞんでは私心ししんなく、白雲はくうんのごとく縹渺ひょうびょうあめのごとく行動こうどうきゅう、そしてひん自楽じらくすることをって、まとざるも不平ふへいまずなどと……」
「よう御記憶ごきおくですな」
「だが、そうしたしん牢人ろうにんは、蒼海そうかいたまのようにすくないともよくなげかれておった。しかしまた、かつてのふみけみすれば、国難こくなん大事だいじあたって、私心ししんなく、救国きゅうこくくさにした無名むめい牢人ろうにんは、どれほどあるかれぬ。じゃにって、このくに土中どちゅうには、無数むすうなき牢人ろうにん白骨はっこつが、国柱こくちゅうとなっておるが……さて、いま牢人ろうにん如何いかに、などともっしゃった」
佐渡さどは、かたりながら、幸村ゆきむらかおを、あえ直視ちょくしした。だが幸村ゆきむらはそのかんじないもののように、
左様さよう。そのおはなしでふとおもしましたが、あのころ愚堂和尚ぐどうおしょう膝下しっかにいたひとりで、作州牢人さくしゅうろうにん宮本みやもとなにがしという年少ねんしょうものがおりましたが、御老台おろうだいには、御記憶ごきおくはございませぬか」