423・宮本武蔵「円明の巻」「紐(1)(2)」


朗読「423円明の巻18.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 11秒

ひも

いち

らぬおとこなので、権之助ごんのすけは、よいほどにあいさつをかえしたのみ。伊織いおりも、ゆうべのことがあるので、無言むごんまもってあるいていると、
「おきゃくさまは昨夜ゆうべ藤六とうろくどんのところへおとまりでございましたな。藤六とうろくどんには、てまえも長年ながねん、お世話せわになっておりますよ。ご夫婦ふうふともまことによくできたおひとで」
などと旅商人たびあきんどおとこは、もうれになったで、いよいよ馴々なれなれしくなる。
それもよい加減かげんきながしていると、また、
木村助九郎きむらすけくろうさまにも、ごひいきになりまして、柳生やぎゅうのおしろへも、時折ときおりには、御用ごよううかがいにたりいたしますが」
と、しきりにはなしいとをひく。
「――女人高野にょにんこうや金剛寺こんごうじへおまいりになりましたうえは、ぜひ紀州高野山きしゅうこうやさんのほうへもおのぼりでございましょうが、もう山道やまみちゆきはございませんし、みち雪崩なだれもすっかりなおっておりますから、おのぼりにはいまがよい季節きせつ。きょうは天見あまみ紀伊見きいみなどのとうげをゆるゆるえて、こん橋本はしもと学文路かむろでゆっくりおやすみになるとちょうどよい頃合ころあいで――」
いうことがいちいち、あまりこちらの消息しょうそくつうぎているので、権之助ごんのすけ不審ふしんおもって、
「おぬし、何屋なにやじゃな」
「てまえは、打紐うちひも売子うりこでございます。このなかに――」
と、っているちいさいつつみにくびげ、
組紐くみひも見本みほんちまして、近国遠国きんこくおんごく注文ちゅうもんってあるいておりますもので」
「ははあ、紐屋ひもやか」
藤六とうろくどんので、金剛寺こんごうじのお檀家だんかなども、たくさんお世話せわしていただきましてな。きのうもじつは、れいって、藤六とうろくどんのいえめてもらうつもりでおりしましたところが――こんはよんどころないおきゃく二人ふたりあるから、御近所ごきんじょいえ厄介やっかいになってくれともうされ、おな杜氏とうじ長屋ながや一軒いっけんかしてもらいましたわけで。……いえいえべつに貴方方あなたがたのせいじゃございませんが、藤六とうろくどんとこへとまると、いつもよいさけをのませてもらえるので、るよりじつは、それがたのしみなんで……。はははは」
そういてみれば、べつに不審ふしんおもすじはない。権之助ごんのすけはむしろこのおとこが、附近ふきん地理ちり風俗ふうぞくくわしいのをさいわいに、後学こうがくのため耳袋みみぶくろやしなっておこうとするらしく、あるきながらの道々みちみちを、なにかとたずねたりさぐってみたり、いつか相手あいてになっている。
すると天見あまみ高原こうげんにかかって、紀伊見きいみとうげから高野大峰こうやおおみねのすがたが正面しょうめんえてきたころである。――おおウい、とうしろのほうからばわるものがある。かえると、れの紐売ひもうりとおなじような恰好かっこうをした旅商人たびあきんどものがまたひとり、けてて、
杉蔵すぎぞう。ひどいじゃないか」
いついてるなり、いきいていう。
「――今朝立けさた時誘ときさそってくれるというで、天野村あまのむらくちっていたに、なんだまってっちまうだ」
「アア源助げんすけか。……いや、すまないすまない。藤六とうろくどんとこのおきゃくれになったもんで、うっかりこえをかけるのわすれちもうた。ははは」
と、あたまいて、
「あまり旦那だんなと、はなしがもててしまったもんで――」
と、権之助ごんのすけかおて、またわらった。
やはり打紐うちひも売子仲間うりこなかまとみえ、そのおとこと、旅先たびさき売上うりあげだの、いと相場そうばのことなど、しきりと喋舌しゃべっていたが、そのうちに、
「ア。あぶねえ」
と、二人ふたりともまった。
太古たいこ大地震おおじしんれたあとのような断層だんそうに、無造作むぞうさ丸木まるき二本渡にほんわたしてあった。

「どうしたのか?」
と、二人ふたりうしろへって、権之助ごんのすけもそこにつ。
旅商人たびあきんど杉蔵すぎぞう源助げんすけは、
旦那だんな、ちょっとおちなさいまし。ここの丸木橋まるきばしこわれていて、つきますで」
崖崩がけくずれか」
「それほどでもありませんが、雪解ゆきげいしころがんだまま、なおしてもないのでさ。往来人おうらいびとのため、ちょっと、うごかないようにしますから、すこやすんでいてください」
と、ふたりは早速さっそく断層だんそうがけぎわへかがめ、わたしてある二本にほん朽木橋くちきばし土台どだいへ、いしませたり、つちきずいたりしている様子ようす
――奇特きとくこころがけよ。
と、権之助ごんのすけこころのうちでかんじていた。およそたび困苦こんくは、つねたびをしているものほどわかっているはずだが、その旅馴たびなれているものほど、ほか旅人たびびと困苦こんくなどはかえりみもせぬのがおおい。
「おじさんたち、もっといしころをっててやろうか」
と、伊織いおりも、二人ふたり善行ぜんこう手伝てつだいをもうて、せっせと、そこらのいしなどかかえてたりしている。
断層だんそうたには、かなりふかい。のぞいてみると二丈にじょうもありそうだ。高原こうげんなので、みずながれていないで、岩石がんせき灌木かんぼくそこまっている。
そのうちに、
「よさそうだ」
と、旅商人たびあきんど源助げんすけは、朽木橋くちきばしはしにのって、足踏あしぶみしてこころみている。そして権之助ごんのすけへ、
「――ではおさきに」
といいのこし、ひょいひょいと身振みぶりしながら、からだ中心ちゅうしんってむこうへ素早すばやわたってせた。
「さ。どうぞ」
のこった杉蔵すぎぞううながされて、つぎ権之助ごんのすけあゆみ、そのこしについて、伊織いおりわたってった。
そして――朽木橋くちきばしのうえ足数あしかずにして――三歩さんぽ五歩ごほたかとおもうと、ちょうど断層だんそうたに真上まうえのあたりで、
「あッ?」
「きゃっ!」
伊織いおり権之助ごんのすけ突然とつぜん絶叫ぜっきょうして、おたがいのきあいながらすくんでしまった。
――なんとなれば、さきわたってった源助げんすけは、かねてそなえておいたものらしく、そこの草叢くさむらのうちから一本いっぽんやりし、それをったとおもうと、なにげなくえて権之助ごんのすけほうけて、ぴたとしろ穂先ほさききつけていたのである。
――さては野盗やとうか。
と、とむねをたれて、りかえると、あとになった杉蔵すぎぞうも、いつのまにどこからしたか、同様どうよう素槍すやりって、伊織いおり権之助ごんのすけ背後はいごおどかしているのだった。
「しまった!」
さしもの権之助ごんのすけいのくちびるみしめて、刹那せつな当惑とうわくに、かみをもそそけだてた顔色かおいろだった。
まえにもやり
うしろにもやり
二本にほん朽木くちきは、からくもおどろきにおののを、断層だんそうちゅうささえているにぎない。
「おじさん! おじさん!」
無理むりもないが、伊織いおり絶叫ぜっきょうをしつづけて、権之助ごんのすけこしにつかまっている。権之助ごんのすけはその伊織いおりかばいながら、瞬間しゅんかんをとじて、一命いちめい天意てんいにまかせてしまい、さて、いった。
鼠賊そぞくども! はかったなっ」
すると何処どこかで――
「だまれっ、たびもの
と、ふとこえでいったものがある。それはかれをはさんでやりけている源助げんすけでも杉蔵すぎぞうでもなかった。
「……やっ?」
権之助ごんのすけがふとあおぐと、むかいのがけうえに、ひだりうえがった青痣あおあざのある山伏やまぶしかおえた。そのあざは、ゆうべ金剛寺こんごうじ渓川たにがわから、伊織いおりげたいしつぶてを、二人ふたりおもおこさせた。