422・宮本武蔵「円明の巻」「古今逍遥(3)(4)(5)」


朗読「422円明の巻17.mp3」13 MB、長さ: 約 14分 40秒

さん

われらず権之助ごんのすけは、のちぢまるおもいをこうむり、えりただしてっていた。いや、かれよりも、伊織いおりはもっともっと厳粛げんしゅくなものにひきめられたかおして――かた人光悦ひとこうえつおもてからわきもふらない。
「――ですから北条氏ほうじょうしから足利氏あしかがしへのながなが乱世らんせいのあいだ、あのいし、そこらの草木くさきまでみな、一系いっけい皇統こうとうまもるためたたかったものでしょう。いしは、護国ごこくとりでとなり、木々きぎは、天皇てんのう供御くごたきぎとなり、くさへいふすまとなって」
光悦こうえつもまた、真摯しんしいてくれるかた相手あいて見出みいだして、鬱懐うっかい至情しじょうきつくすように――るにしのびない面持おももち夜空よぞら寂土じゃくど万象ばんしょう四顧しこしながら、
「――多分たぶん、そのころ賊軍ぞくぐんたたかって、ここでくさべながらこもっていた御親兵ごしんぺい一人ひとりか、あるいは、降魔ごうまけんってへいなかはたらいていた僧兵そうへいのひとりかもれません。……というのは、きょうわたしたち母子おやこが、いんのおはかのあたりから山道やまみち掃除そうじしてまいりますと、とある藪中やぶなかいしに、だれきざんだか、こんなうたってあったのがふと見出みいだされたのです。……

百年ももとせいくさもなさんはる
たみくさようたごころあれ

と、いうのです。――これをわたしはなおむねたれました。何十年なんじゅうねんといういくさなか春秋しゅんじゅうに、なんというでしょうか。つよ護国ごこく信念しんねんでしょうか。ななたびうまれてこのくにまもらんとっしゃった大楠公だいなんこう御心みこころは、もない一兵いっぺいにまでとおっていたものとみえまする。また、この優雅ゆうがと、こころのひろさがあったので、ついに、百年ひゃくねんいくさても、ここの堂塔どうとういまもなお、皇土こうどのうえに厳然げんぜんるのでございます。有難ありがたいことではございませんか」
と、いいむすぶ。権之助ごんのすけは、ほっと、いきづきをしなおしながら、
「いや、ここの御山みやまが、そういうとうといくさあととは、はじめて承知しょうちしました。らぬことといいながら、さきほどは、卒爾そつじなおたずねをいたしおゆるしください」
「いいや、もう……」
光悦こうえつをふって、
じつをいえば、手前てまえこそ人恋ひとこいしくいたところで、きょうもきのうもむねうっしていたものを、だれかにかたりたくてならなかったおりなのです」
「また、つまらぬおたずねをして、おわらいをけるかもれませぬが、光悦こうえつどのには、もうこのてらながくご逗留とうりゅうでございますか」
「されば、今度こんどは、七日なのかばかりになりまする」
「やはり御信仰ごしんこうで」
「いえ、ははがこのあたりのたびきなのと、自分じぶんもこのてらまいると、奈良なら鎌倉以後かまくらいごの、やら仏像ぶつぞうやら漆器しっきやら、いろいろ名匠めいしょう作品さくひんせていただけるので……」
おぼろかげいて――光悦こうえつ妙秀尼みょうしゅうに権之助ごんのすけ伊織いおり、ふたくみになって、いつか金堂こんどうから食堂しょくどうのほうへあるいていた。
「――ですが明日あしたあさはもうとうとぞんじます。武蔵むさしどのにおいになったら、どうぞまいちど、きょう本阿弥ほんあみつじってくださるようおつたえおきを」
承知しょうちいたしました。では、ごきげんよう」
「オ。おやすみ……」
山門さんもんかげつきささぬやみさかいにわかれて、光悦こうえつ妙秀尼みょうしゅうに坊舎ぼうしゃほうへ。――権之助ごんのすけ伊織いおりともに、山門さんもんそとた。
土塀どべいそとは、自然しぜんほりめぐらしたような渓流けいりゅうであった。そこの土橋どばしへかかるやいななにしろいものが、物陰ものかげからさっと権之助ごんのすけのうしろへおそいかかり――伊織いおりはあッというもあらず、土橋どばしそとあしみはずしていた。

よん

――ざんぶ!
飛沫しぶきのなかに、伊織いおりははねきていた。ながれははやいが、みずあさい。
なんだろ?)
咄嗟とっさなのだ。どうしてちたのか、自分じぶんでもわからない。
だが、土橋どばしうえあおぐと、そこから自分じぶんほうばしたいきおいのものが、なにものをもまじえず、真空しんくういち圏内けんないつくって対峙たいじしていた。
その一方いっぽうは、権之助ごんのすけへふいにおそいかかったしろいものだ。伊織いおりがはねばされてちたせつな――しろいものとえたのは、かれ白衣びゃくえであった。
「あっ、山伏やまぶし?」
伊織いおりは、さてこそ、るものがついたなとおもった。なんのゆえか、おとといから自分じぶんたちをけていたあの山伏やまぶしなのだ。
山伏やまぶしじょう
権之助ごんのすけ手馴てだれのじょう
ふいにってかかったが、権之助ごんのすけがさはさせじと、とたんに位置いちえたため、山伏やまぶし土橋どばしをはさんで往来側おうらいがわくちちふさがり、権之助ごんのすけ山門さんもんなかにして、
何者なにものっ?」
と、いっかつはっし、
ひとちがいすなっ」
と、こえするどく、たしなめていた。
「…………」
山伏やまぶしなにもいわない。ひとちがいなどするかといったていである。にはおいい、軽捷けいしょういた扮装いでたちえるが、んまえているあしえているようにたしかである。
このてき、ただものあらず――とながら権之助ごんのすけは、満身まんしんふくらませて、じょうをうしろにしごきながらもう一度いちど
「だれだっ。卑怯ひきょうだっ。もうせ。さもなくば、この夢想権之助むそうごんのすけへ、なん意趣いしゅってかかるか、理由りゆうをいえ」
「…………」
山伏やまぶしは、みみがないように、ただまなこだけにらんらんと、ひとほうむるようなほのおをたいている。金剛こんごうあしゆびが、百足むかでみたいに、いっしゅく一縮地いっしゅくちをにじりめてくる。
「うぬ。もはや」
これは権之助ごんのすけ丹田たんでん堪忍かんにんをやぶったうめきである。――かれまるッこい五体ごたいは、闘志とうしふしくれだって、めよる山伏やまぶしたいして、かれのほうからもりつめてった。
――がつッと、物音ものおとはっしたとたん、山伏やまぶしじょうは、かれじょうのために、真二まっぷたつにられて、ちゅうへすっんでいた。
だが山伏やまぶしは、のこったじょう半分はんぶんを、権之助ごんのすけ面部めんぶむかってすばやくげつけ、権之助ごんのすけが、かおをふとわした一瞬いっしゅんこし戒刀かいとういて飛燕ひえんのようにおどりかからんとするかにえた。
そのとき、その山伏やまぶしが、
「あっ」
といったのと、伊織いおり渓流けいりゅうで、畜生ちくしょうっとさけんだのと、同時どうじであって、山伏やまぶしあし六歩ろっぽほどそのまま、だだだだと土橋どばし往来おうらいのほうへ退しりぞいた。
伊織いおりげたいしつぶてが、山伏やまぶし面部めんぶへ、したたかにあたったのである。わるくすればひだりであったかもしれない。とにかく山伏やまぶしとしては、おもわざる方角ほうがくから、致命的ちめいてき傷手きずてをうけたため、しまったとおもったにちがいない。くずれた体勢たいせいをそのまま一転いってんあしえるがはやいか、てら土塀どべい渓流けいりゅうのながれに沿って下町したまちのほうへ征矢そやのごとくってしまった。
きしがった伊織いおりは、
て」
と、なかに、まだいしにぎっていて、いかけそうにしたが、権之助ごんのすけめられて、
「ざま、ろ」
と、そのいしを、もう人影ひとかげのないおぼろむかってとおげた。

杜氏とうじ屋敷やしき藤六とうろくいえへもどってから、ほどなく、二人ふたりどこへはいったが、さて二人ふたりとも、なかなかねむれない。
ぐわうぐわうと、みねあらしが、むねめぐって、けるほどみみにつくせいばかりでもない。
ねむりとうつつさかいで、権之助ごんのすけは、光悦こうえつ言葉ことば脳裡のうりにくりかえし、建武けんむ正平しょうへいのむかしをおもい、また、現在げんざいおもいたって、
応仁おうにんみだれから、室町幕府むろまちばくふのくずれ、信長のぶなが統業とうぎょう秀吉ひでよし出現しゅつげん時勢じせいうつり、――そしてその秀吉ひでよしいまは、関東大坂かんとうおおさかのふたつが、つぎ覇権はけんめぐって、あしたもれぬ風雲ふううんはらんでいるが――おもえば、なかは、建武けんむ正平しょうへいのむかしと、どれほどな相違そういがあろう)
そうかんがえるのだった。
北条ほうじょう足利あしかがが、国家こっか大本おおもとをかきみだしたもっとむべき時代じだいには、半面はんめんにまた、楠氏一族くすのきしいちぞくのような、また諸国しょこく尊王武族そんのうぶぞくのような、しん日本武士やまともののふがあらわれたが――いまは――いま武門ぶもんは――また武士道ぶしどうは?)
これでいいのか。
民心みんしんは、天下てんか司権しけんが、信長のぶなが秀吉ひでよし家康いえやすとあわただしく、争奪そうだつされるのをながめているまに、まことの主上しゅじょうわすをすら、いつかおもわぬようになり、みん帰一きいつというものが、そうじて、はぐれているような。
武士道ぶしどうも、町人道ちょうにんどうも、百姓道ひゃくしょうどうも――すべてが武家ぶけ覇権はけんのためにあって、天皇てんのうおおである臣民しんみん本分ほんぶんを、見失みうしなってているような。
がつくと、かれは、
社会しゃかいにぎわしくなり、個々ここ生活せいかつ活溌かっぱつになってたろうが、このくに根本こんぽんのものは、建武けんむ正平しょうへいころから、たいしてよくなっててはいないのだ。大楠公だいなんこうほうじた武士ぶしみち――いだいたであろう理想りそうとは、まだまだとおなかなのだ)
と、夜具やぐなかに、よこたえているあつくなり、河内かわち峰々みねみねや、金剛寺こんごうじ草木くさきが、夜半よわえたけぶも、なにやら、こころあるもののようにゆめきこえてくるのだった。
――伊織いおり伊織いおりでまた、
なんだろ、さっきの山伏やまぶしは?)
と、あのしろ幻像げんぞうが、まぶたからえないらしい。
そして、明日あすたびが、なんだかしきりとづかわれ、
こわいなあ)
と、つぶやいて、みねのあらしに蒲団ふとんえりをひきかぶった。
そのため、ゆめ大日様だいにちさまのお微笑ほほえみず、たずねるあね面影おもかげもあらわれず――あさもぱちりとはやくがさめてしまった。
おあんさんと、藤六とうろくは、二人ふたり今朝早けさはやつとのことに、くらいうちからあさめしや弁当べんとう支度したくなどしておいてくれて、いよいよ此家ここもんからつとなると、
べながらおあるき」
と、伊織いおりへ、さけかすいたのを、かみにつつんでべつにくれた。
「お世話せわになりました。御縁ごえんもあらばまた――」
でると、みねにはにじいろの朝雲あさぐもがうごきかけ、天野川あまのがわながれからは、湯気ゆげのような水蒸気すいじょうきっていた。
その朝靄あさもやをついて、ぴょいと、そこらのいえからしてたひとりの身軽みがる旅商人たびあきんどは、権之助ごんのすけ伊織いおりのうしろから、
「よう。おはやいおちで」
と、元気げんきよく、いかにもあさらしいこえで、ことばをかけた。