417・宮本武蔵「円明の巻」「童心地描図(1)(2)」


朗読「417円明の巻12.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 48秒

童心どうしん地描図ちびょうず

いち

約束やくそくだ。ふたりだけで出合であ約束やくそくだ。
れの大人おとなたちがみな野試合のじあいをとられているすきに、丑之助うしのすけから、
い!)
と、眼合図めあいずをすると、一方いっぽう伊織いおりは、れの権之助ごんのすけにもだまって、ひとごみからした。
同時どうじに、丑之助うしのすけもまた、兵庫ひょうご助九郎すけくろうさとられぬように、そこからして、興福寺こうふくじとうしたまでった。
「やい」
「なんだ」
たか五重ごじゅうとうしたに、ちいさい二人ふたり兵法者へいほうしゃが、にらった。
生命いのちがなくなっても、あとうらむな」
伊織いおりがいうと、丑之助うしのすけは、
なまアいうな」
ぼうひろった。
かたなたないからである。
伊織いおりは、っていた。そのかたなくやいな伊織いおりは、
「こいつめ!」
ってかかった。
丑之助うしのすけ退いた。伊織いおりかれひるんだとおもって、ぶつかるようにまた、いかけてりつけた。
丑之助うしのすけはその途端とたんに、伊織いおりあさ胚子たねおもってがった。そしてあしは、伊織いおりかおを、ちゅうとばしていた。
「わっ」
伊織いおりは、片手かたてみみおさえた。ころんだいきおいはすぐきたいきおいだった。
なおると、かたなりかぶった。丑之助うしのすけぼうりかぶっていた。伊織いおり武蔵むさしおしえも、平常へいじょう権之助ごんのすけからまなんだこともわすれてしまった。こっちからってかなければ、かれからたれるとおもった。
――とあれほど武蔵むさしからやかましくいわれたことなどはもう念頭ねんとうにもなく、そのをつぶって、盲目的もうもくてきに、かたなとも相手あいてへぶつかってったのである。かまえていた丑之助うしのすけは、けて、ふたたびしたたかに、伊織いおりぼうで、なぐせた。
「ウウム……」
伊織いおりは、もうてなかった。かたなったまましてしまった。
ったぞ。おらが」
丑之助うしのすけは、ほこっていったが、伊織いおりうごかなくなったので、きゅうに、こわいものにおそわれたように、山門さんもんほうした。
「――こらっ!」
四方しほう木立こだちえたように、だれかがかれむかってそう呶鳴どなった。また――こえ一緒いっしょ四尺よんしゃくばかりのじょう一本いっぽんかぜってびゅッとおよいでき、丑之助うしのすけこしへんじょう突端とったんがコツンとあたった。
いたっ」
丑之助うしのすけは、よこころんだ。
すぐじょうあとからけて人間にんげんがある。いうまでもなく、伊織いおりさがしに夢想権之助むそうごんのすけである。
て」
こえちかづくと、丑之助うしのすけは、いたこしわすれて、脱兎だっとみたいにきた。そして、十歩じゅっぽけたかとおもうと、そのとき山門さんもんからはいってたべつなものに、正面しょうめんからぶつかった。
丑之助うしのすけではないか」
「……あっ?」
「どうした」
木村助九郎きむらすけくろうであった。丑之助うしのすけはあわてて、助九郎すけくろううしろへかくれた。――で当然とうぜんかれって権之助ごんのすけ助九郎すけくろうとは、なん予告よこくもなく、いきなりをまず激突げきとつさせて、とたんに対峙たいじ姿勢しせいになってしまった。

と。そして、と。
そう二人ふたりのあいだに、けわしい一瞬いっしゅんはっしたせつなは、どんな争闘そうとうおこすかとおもわれた。
助九郎すけくろうかたなへ。権之助ごんのすけじょうへ。双方そうほうとも、と。しかし――
しかしそれがことなく、つぎのような会話かいわうつって、この真相しんそうりあうことができたというのは、相手あいて人間にんげんてとるするど直観力ちょっかんりょくを、さいわいにも二人ふたりあわせていたためだったといえよう。
たびもの。――仔細しさいらぬが、なんでこのようなわっぱを、大人おとなげもなくちのめそうといたすか」
なおたずね。そのまえにあれなる――とうしたたおれているれのもの御覧ごろうじ。そのわらべのために、したたかにたれ、うしなうてくるしんでおる」
「あの少年しょうねんは、そちのれのものか」
「されば――」
と、権之助ごんのすけはいってすぐ、言葉ことばほうかえすように、
「その小童こわっぱは、おてまえの召使めしつかいでござるか」
召使めしつかいではないが、拙者せっしゃ主人しゅじんをかけておる丑之助うしのすけというもの。……これ丑之助うしのすけなんであのたびひとしゅうちすえたか」
背中せなかまわってさっきからだまってっているかれかえりみて、
正直しょうじきもうせ」
と、助九郎すけくろう詰問きつもんすると、その丑之助うしのすけくちをあかぬうちに、とうしたたおれていた伊織いおりくびをもたげて、彼方かなたから、
試合しあいだよっ。試合しあいだよ!」
と、さけんだ。
伊織いおりいたそうなからだを、その言葉ことばとともにおこしてあるいてながら、
試合しあいして、おらがけたんだから、そのわるいんじゃない、おらがよわいんだ」
と、いった。
助九郎すけくろうは、伊織いおりけたことをひるまずけたといった姿すがたへ、感嘆かんたんでもびせたいようなをみはったが、
「おお。では約束やくそくのうえで尋常じんじょうったのか」
微笑びしょうをほそめ、一方いっぽう丑之助うしのすけかえりみると、丑之助うしのすけいまとなってはややがわるそうに、
「おいらが、あのしゅうを、あのしゅうのもんとらねえで、だまってってたからわるかっただ」
と、事情わけはなした。
たれた伊織いおりももう元気げんきかえっている。いてみればどもらしい経緯いきさつだ。ほほましくさえなるものを、もし最前さいぜん権之助ごんのすけがここへい、助九郎すけくろうけつけて出合であいがしらに、大人おとな大人おとなとが、一歩退いっぽしりぞくことなく、武器ぶきものをいったとしたら、可惜あたら無用むようが、今頃いまごろはそこらをめていたにちがいなかった。
「いや、失礼しつれいいたした」
「おたがいです。手前てまえこそご無礼ぶれいを」
「では、主人しゅじん彼処あちらっておるゆえ、ここで御免ごめん――」
「おさらば」
わらって、山門さんもんた。助九郎すけくろう丑之助うしのすけともない、権之助ごんのすけ伊織いおりれて。
興福寺こうふくじ門前もんぜんから、みぎひだりわかれかけたが、権之助ごんのすけはふともどって、
「あ。ちょっとおたずねします。柳生やぎゅうしょうへは、どうまいりましょうか。このみちすぐでよいでしょうか」
助九郎すけくろうは、振向ふりむいて、
柳生やぎゅう何処どこかれるか」
柳生城やぎゅうじょうをおたずねつかまつります」
「えっ、おしろへ?」
と、めたあしをまた、助九郎すけくろうは、権之助ごんのすけのほうへもどしてた。