414・宮本武蔵「円明の巻」「麻の胚子(7)草埃(1)」


朗読「414円明の巻9.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 30秒

なな

書面しょめんは、やはり沢庵たくあんからで、
前便ぜんびんけん
にわか模様更もようがえ相成あいなり
と、してあるとおり、さきした手紙てがみいかけの第二便だいにびんだった。
助九郎すけくろう
「はっ」
「まだおつうは、いくらもみちはかどっておるまいな」
おわると、兵庫ひょうごなにか、おももちで、きゅうにいった。
「さ……。こまっても、徒士供かちどもい、まだ二里にりともまいっておりますまい」
「では、すぐこう。ちょっとってまいる」
「あ。……なんぞにわかな御用ごようでも」
「されば、この書面しょめんれば、将軍家しょうぐんけでお召抱めしかかえのけんは、なにか、武蔵むさしどのの身状しんじょう御不審ごふしんとやらで取止とりやめになったとある」
「え。お取止とりやめに」
「――ともらずに、江戸えどそらへ、あのようによろこんでってったおつうへ、かしとうもないが、かせずにもかれまい」
「では、手前てまえいかけてまいりましょう。その御書面ごしょめん拝借はいしゃくして」
「いや、わしがく、……丑之助うしのすけきゅう用事ようじができたから、またまいれよ」
「はい」
ときるまで、こころざしみがいておれ。よく母親ははおや孝養こうようをつくして」
兵庫ひょうごはもうそとる。うまやから一頭曳いっとうひして、それへると、宇治うじのほうへまっしぐらにけていた。
だが――
かれはその途中とちゅうで、ふとかんがなおした。
武蔵むさしが、将軍家師範しょうぐんけしはんらないなどということは、彼女かのじょこいにとってはなんらの問題もんだいでもない。
彼女かのじょはただ、ひたむきに、武蔵むさしめぐいたいのである――
ああして、がつたず、ひとりでったのをても。
書面しょめんしめして、
一度いちどもどっては)
とすすめたところで、むなしくもどるはずもない。ただいたずらに、彼女かのじょこころを、折角せっかくたびを、暗澹あんたんと、しずませてしまうにぎまい。
「……てよ」
兵庫ひょうごは、こまめた。柳生城やぎゅうじょうから小一里こいちりてからであった。もう一里いちりければ、あるいは、いつきもしよう。――だがかれは、その無益むえきさとった。
武蔵むさしって、二人ふたりったよろこびのうちにかたりあえば、こんなことは、些細ささい問題もんだい
かれは、のどかにこま柳生やぎゅうのほうへかえした。
いや、路傍みちばたぐみしたはるいろはうららかだし、かれ姿すがたものどかにはえたが――かれのみがむねにはまた、纏綿てんめんたるうしがみくものがないではなかった。
(もう一目ひとめでも)
その未練みれんがあるからこそ、彼自身かれじしんこまをとばしておつうのあとをったのではなかったか。
そうものがあれば、
いな――)
兵庫ひょうごいさぎよかおよこにふることはできなかったにちがいない。
さあれ兵庫ひょうごむねは、彼女かのじょ多幸たこういのもちでいっぱいなのだ。武士ぶしにも未練みれんはあり、また、愚痴ぐちがある。――だがそれは、武士道的ぶしどうてき諦観ていかんしきってしまうまでのあいだの瞬間しゅんかんにすぎない。煩悩ぼんのうさかいを、一歩転いっぽてんじれば春風はるかぜかるく、やなぎみどりひとみまし、またべつな天地てんちがある。――こいのみが青春せいしゅんやすものかは! ――時代じだいいまおおきなうしおげて、若者輩わかものばらんでいるのだ。路傍ろぼうはなをくれるな! しめ、そしてこのしおりおくれるな! と。

草埃くさぼこり

いち

つうが、柳生やぎゅうってから、はや二十日はつかぎた。
ものは、日々ひびにうとく、えるはるは、日々ひびくなる。
「だいぶ、人出ひとでだな」
「されば、今日きょうあたりは、奈良ならにもまれれな日和ひよりですから」
遊山半分ゆさんはんぶんか」
「ま。左様さようなもので」
柳生兵庫やぎゅうひょうごと、木村助九郎きむらすけくろうとであった。
兵庫ひょうご編笠あみがさをかぶり、助九郎すけくろう法師頭巾ほうしずきんものかおいている。もとより微行しのびである。
遊山半分ゆさんはんぶんか――といったのは、自分じぶんたちのことをさしたのか、道行みちゆ人々ひとびとのことをいったのか、どっちにもきこえるが、二人ふたりかおにはかるい苦笑くしょうがながれった。
とも荒木村あらきむら丑之助うしのすけ。――ちかごろ丑之助うしのすけは、兵庫ひょうごあいされて、まえよりも屡々しばしばしろえるが、きょうは二人ふたりともについて、弁当べんとうつつみをい、兵庫ひょうご草履一ぞうりいっこしはさんで、なりのちいさい草履取ぞうりとり――という恰好かっこうしてあとからあるいてゆく。
この主従しゅじゅうも、往来おうらい人々ひとびとも、いいあわせたようにみな、やがて町中まちなかのひろい野原のはらながれこんだ。のそばに興福寺こうふくじ伽藍がらんがありもりかこみ、とうそびえてみえる。
また、から彼方かなた高畠たかばたけには、坊舎ぼうしゃ神官しんかん住居じゅうきょがみえ、奈良なら町屋まちやは、そのさき低地ていち昼間ひるまかすんでいた。
「もうんだのかな?」
「いや、食休しょくやすみでございましょう」
「なるほど、法師ほうしばらも、弁当べんとうをつこうておる。――法師ほうしめしうものとみえる」
兵庫ひょうごがいったので、助九郎すけくろうはおかしくなってわらした。
ひとはおよそ五百名ごひゃくめいもこのあつまっていたが、ひろいので、まばらにしかえない。
ちょうど、春日野かすがの鹿しかのように、あるものち、あるものすわり、あるものはぶらぶらあるいている。
だが、ここは春日野かすがのではなく、もと平安三条へいあんさんじょう内侍ないしはらであった。その内侍ないしはらには、きょうはなに興行こうぎょうがあるらしい。
興行こうぎょうといっても、都会とかいをのぞいたほかは、小屋掛こやがかりなどすることはまれれにもない。めずらしい幻術師げんじゅつしても、傀儡くぐつても、賭弓かけゆみ賭剣術かけけんじゅつもよおされても、野天のでんであった。
きょうのもよおしは、そういうただの人寄ひとよせではなく、もっと真面目まじめなものだった。宝蔵院ほうぞういん槍法師やりほうしたちがあつまって、ねん一度いちど公開こうかいしてみせる試合日しあいびなのだ。この試合しあいって、平常へいじょう宝蔵院ほうぞういんゆかすわ席順せきじゅんがきめられるというので、大勢おおぜい法師ほうしさむらいは、衆人しゅうじんまえでもあるし、ずいぶんはげしい戦闘せんとうをするということだった。
けれどいまは、からんとして、づらの空気くうきは、いたって長閑のどかであった。
ただ、一方いっぽうさんよん所張しょはってあるまくのあたりで、法衣ほうえみじかからげあげた法師ほうしたちがかしわでくるんだ弁当べんとうめしべたり、をのんだりしているだけである。悠長ゆうちょうな――という言葉ことばがそのままてはまる景色けしきだった。
助九郎すけくろう
「は」
「わしらも、何処どこかへすわって、弁当べんとうでもこうか。……だいぶがありそうだ」
「おちください」
助九郎すけくろうは、手頃てごろ場所ばしょまわしていた。
――すると、丑之助うしのすけが、
兵庫様ひょうござま、これへおすわりなさいまし」
と、何処どこからか、早速さっそく一枚いちまいのむしろをってて、ほどよいところいた。
こころきたるやつ
なにかにつけ、兵庫ひょうごかれ機敏きびんなことに感心かんしんしたが――また、そのくことが、将来しょうらい大成たいせいといううえには、すこし懸念けねんされるてんでもあった。