413・宮本武蔵「円明の巻」「麻の胚子(5)(6)」


朗読「413円明の巻8.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 26秒

兵庫ひょうご木剣ぼっけんげなかった。みぎ片手かたてげたまま、すこからだななめにひらいたのみである。
「…………」
それにたいし、丑之助うしのすけ木剣ぼっけん中段ちゅうだんけ、からだじゅうを、針鼠はりねずみのようにふくらました。そして、
なにを!)
ときかないかおに、まゆをあげ、少年しょうねんみなぎらした。
――くぞ!
こえではない、ひとみでくわっと、兵庫ひょうごしめすと、丑之助うしのすけはぎゅっとかためて、
「うむっ」
と、うなった。
とたんに、兵庫ひょうごあしが、だだだッとゆからして、丑之助うしのすけいつめ、片手かたて木剣ぼっけんは、丑之助うしのすけこしのあたりを、横撲よこなぐりにはらった。
「まだッ」
丑之助うしのすけは、呶鳴どなった。
そして、かれあしからも、うしろの羽目板はめいたでもったようなひびきをはっし、どんと、兵庫ひょうごかたえた。
兵庫ひょうごは、しずめながら、ひだりで、そのあしかるすくった。――丑之助うしのすけ自己じこ迅業はやわざ自己じこちからで、たけみたいにまわったまま、兵庫ひょうごうしろへもんどりをった。
カラカラ――と、からはなれた木剣ぼっけんが、こおりうえすべるように、彼方かなたんでしまった。きた丑之助うしのすけは、なおくっせず、木剣ぼっけんいかけて、ひろろうとした。
「もうよい!」
兵庫ひょうごが、此方こなたからいうと、丑之助うしのすけ振向ふりむいて、
「まだッ」
と、いった。
そしてなおした木剣ぼっけんりかぶって、今度こんどわしのようないきおいで兵庫ひょうごむかってたが、兵庫ひょうごが、ひたッと木剣ぼっけんさきけると、丑之助うしのすけは、その姿勢しせいのまま、途中とちゅうすくんでしまった。
「…………」
くやしなみだめているのである。兵庫ひょうごはじっとその様子ようすをながめ、こころのうちで、
(これは、武魂ぶこんがある)
と、見込みこんだ。
だが、わざといからせて、
わっぱっ」
「はいっ」
不埒ふらちやつだ。この兵庫ひょうごかたおどえたな」
「? ……」
土民どみん分際ぶんざいで、れるにまかせて、不届ふとどきな仕方しかた。――なおれ。それへすわれ」
丑之助うしのすけは、すわった。
そして、なにわけわからないが、あやまろうとをつかえかけると、そのまえへ、兵庫ひょうごはカラリと木剣ぼっけんて、こしかたないて丑之助うしのすけかおへ、していた。
手討てうちにする。さわぐと、これをびせるぞ」
「あっ。おらを」
くびべろ」
「……?」
兵法者へいほうしゃが、第一だいいちおもんじるのは礼儀作法れいぎさほうである。土百姓どびゃくしょうわっぱとはいえ、いま仕方しかた堪忍かんにんならぬ」
「……じゃあ、おらを、無礼討ぶれいうちにしさるというのけい」
「そうだ」
丑之助うしのすけは、兵庫ひょうごかおを、しばらくつめていたが、観念かんねんていをあらわして、
「……おっかあ。おらあおしろつちになるそうな。あとなげかっしゃることだろうが、不孝者ふこうものったとおもって、堪忍かんにんしてくんなされ」
と、兵庫ひょうごへつくを、荒木村あらきむらほうへついて、さて、しずかに、られるくびをさしべた。

ろく

兵庫ひょうごはニコとんだ。そしてすぐかたなさやにおさめ、丑之助うしのすけたたいて、
「よし。よし」
といってなだめた。
いまのはわしのたわむれだ。なんでそちのようなわっぱ手討てうちになどするものか」
「え。いまのは、冗戯じょうだんなのけ」
「もう、安心あんしんするがいい」
礼儀れいぎおもんじなければいけないといったくせに、その兵法者へいほうしゃが、いまみたいな冗戯じょうだんをしてもいいのけい」
おこるな。おまえが、けんつほどな人間にんげんになれるかなれないか、ためすためにいたしたのだから」
「だって、おら、ほんとだとおもった」
丑之助うしのすけはじめてほっといきをついていった。同時どうじに、はらったらしいのである。無理むりもないと、兵庫ひょうごおもい、なだがおにまたたずねた。
「そちは先刻さっきだれにも剣術けんじゅつならわぬといったが、うそであろう。――最初さいしょ、わしがわざと羽目板はめいたきわまでおまえをいつめたが、たいがいの大人おとなでも、あのまま、板壁いたかべ背負せおって、まいったというところなのに、そちはバッとわしのかたえてぼうとした。――あれは三年さんねん四年木剣よねんぼっけんったものでも、できるわざではない」
「でも……おいらはだれにもならったことはないもの」
うそだ」
兵庫ひょうごしんじない。
「いくらかくしても、だれか、そちには師匠ししょうがあったにちがいない。なぜ、もうせぬのか」
められて、丑之助うしのすけはだまりんでしまった。
「よくかんがえてみい。だれかに、ほどきをしてもらったものがあるだろう」
――すると、率然そつぜんと、丑之助うしのすけかおげた。
「アア。あるある。そういわれれば、おらにも、おしえてくれたものがあったっけ」
だれだ」
人間にんげんじゃないんだ」
ひとでなければ、天狗てんぐか」
あさだよ」
なに
あささ。あのとりえさにもやるだろ。あのあさ胚子たねさ」
「ふしぎなことをもうやつあさがどうしてそちのか」
「おらのむらにゃいねえが、すこおくくと、伊賀衆いがしゅうだの、甲賀衆こうがしゅうだのっていう、忍者にんじゃのやしきがいくらもあるで――その伊賀衆いがしゅうたちが、修行しゅぎょうするのをて、おらも真似まねして、修行しゅぎょうしたんだ」
「ふウむ? ……あさ胚子たねでか」
「あ、春先はるさきあさ胚子たねくんだよ。すると、つちからあおがそろってるがな」
「それをどうするのか」
ぶのさ――毎日毎日まいにちまいにちあさぶのが修行しゅぎょうだよ。あたたかくなって、すと、あさほどびのはやいものはないだろ。それをあさび、ばんびしてると――あさ一尺いっしゃく二尺にしゃく三尺さんじゃく四尺よんしゃくとぐんぐんびてくから、なまけていたら、人間にんげん勉強べんきょうほうけて、しまいにはえられないほどたかくなってしまう……」
「ほ! 貴様きさまは、それをやったのか」
「アア。おらあ、はるからあきまで、去年きょねんもやったし、おととしも……」
道理どうりで」
兵庫ひょうごが、ひざってかんっていたときである。道場どうじょうそとから木村助九郎きむらすけくろうが、
兵庫様ひょうごさま。また江戸表えどおもてから、このような書状しょじょうがとどきましたが……」
と、いいながら、にそれをってはいってた。