411・宮本武蔵「円明の巻」「麻の胚子(1)(2)」


朗読「411円明の巻6.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 28秒

あさ胚子たね

いち

「まだかえらぬか」
柳生やぎゅう兵庫ひょうごは、おもて中門ちゅうもんまでて、おつうあんじていた。
つうが、丑之助うしのすけうしって何処どこかへったまま、だいぶ時間じかんってからのさわぎなのである――。
そのおつうが、城内じょうないえないとがついたきっかけも、江戸表えどおもてから一通いっつう飛脚状ひきゃくじょう兵庫ひょうごとどいて、兵庫ひょうごがそれをおつうせようと姿すがたさがしたことからであった。
つきほうへは、だれだれったか」
兵庫ひょうごいに、
大丈夫だいじょうぶです。しち八名駈はちめいかけってきましたから」
と、そばにいる家来けらいたちが、ひとしくくちをそろえてこたえた。
助九郎すけくろうは」
御城下ごじょうかております」
さがしにか」
「はい。般若野はんにゃのから、奈良ならまでるといってられましたが」
「どうしたろう?」
すこくと、兵庫ひょうごおおきないきをしていう。
かれは、おつうたいして、清廉せいれんなるこいいだいていた。とくに、清廉せいれんなる――と自覚じかくしているのは、おつうが、だれあいしているか、おつうむねをよくっているからである。
彼女かのじょむねには、武蔵むさしというものんでいる。しかも兵庫ひょうごは、彼女かのじょがすきだった。江戸えどくぼから柳生やぎゅうまでのあいだなが旅路たびじに――また、祖父そふ石舟斎せきしゅうさい臨終いまわのきわまで枕辺まくらべについて世話せわしてくれたあいだにも――兵庫ひょうごはおつう性質せいしつとどけていた。
(かほどな女性じょせいおもわれているおとこは、おとこ幸福こうふくひとつをったものだ)
と、武蔵むさしうらやましくさえおもっているのである。
だが、兵庫ひょうごは、他人たにん幸福こうふくひそかうばおうなどという野心やしんいだけなかった。かれかんがえや行動こうどうのすべては、武士道ぶしどう鉄則てっそくってなされていることなのである。こいをするにも、武士道ぶしどうはなれてはできなかった。
まだ相見あいみたことはないが、おつうえらんだ男性だんせいというだけでも、兵庫ひょうごは、武蔵むさし人物じんぶつを、想像そうぞうできるがした。――そして何日いつかは、おつう無事ぶじに、かれわたしてやることが、祖父そふ遺志いしでもあったろうし、自分じぶん武士ぶし――武士ぶしほのかなこいとも――ひとかんがえていたところである。
ところで。
きょうかれとどいた飛脚状ひきゃくじょうは、江戸表えどおもて沢庵たくあんから手紙てがみで、日付ひづけ去年きょねん十月末じゅうがつまつているが、どうしておくれたのか、としえて、今日きょうのたったいまかれとどいたばかりなのだった。
それをると、

武蔵事むさしこと叔父御おじご但馬たじまどの、矢来やらい北条ほうじょうどのなどの推挙すいきょにより、愈々いよいよ将軍家御師範座しょうぐんけごしはんざ一人ひとり御登用ごとうよう相極あいきまりそうろうて……云々うんぬん

辞句じくえる。
それのみか、武蔵むさし就任しゅうにんすれば、さっそく屋敷やしきち、まわりのものもなくてはかなわぬ――。おつう一名いちめいだけでも、さき早々はやばやと、江戸表えどおもて下向げこうあるよう、諸事しょじまた次便じびんに――というようなことが、きつらねてあるのだった。
(どんなによろこぶか!)
と、兵庫ひょうごが、わがことのように、その手紙てがみって彼女かのじょ部屋へやおとずれたところが、おつう姿すがたが、何処どこにもえなかったという次第しだいなのであった。

そのおつうは、ほどなく助九郎すけくろうともなわれて、かえってた。
また、つきほうったさむらいたちは、丑之助うしのすけ出会であい、これも丑之助うしのすけれて、やがてもどってた。
丑之助うしのすけは、自分じぶんつみでもおかしたように、
堪忍かんにんしてくんなされ。まねえことをしたで」
と、一人一人ひとりひとりへ、あやまってばかりいる。
そしてぐにまた、
「おっかああんじるで、おら、荒木村あらきむらへもうかえりてえ」
と、いいしたが、
「ばかをもうせ。いまからかえったらまた途中とちゅうで、つき牢人ろうにんどもにとらえられ、生命いのちはないぞ」
と、助九郎すけくろうにもしかられ、さむらいたちにも、
今夜こんやは、御城内ごじょうないめてやるから、明日帰あすかえれ、明日帰あすかえれ」
と、いわれて、小者こものともに、外曲輪そとぐるわ薪倉まきぐらほうへ、いやられた。
一室いっしつでは、柳生兵庫やぎゅうひょうごが、江戸表えどおもてからの便たよりをおつうしめして、
「どうさるか」
と、彼女かのじょむねうている。
やがて四月しがつころともなれば、叔父おじ宗矩むねのりが、賜暇しかて、江戸表えどおもてから帰国きこくする。そのおりって叔父おじとも江戸えどくだるか――それとも、ぐにも一人ひとりかんがえか。
そうたずねるのだった。
沢庵たくあん便たよりとくからにそのすみかおりさえ彼女かのじょにはなつかしい。
ましてや、その消息しょうそくによれば、武蔵むさしちか幕府ばくふつかえ、一戸いっこ江戸えどかまえることになろうとある。
めぐえぬ幾年いくねんよりも、そう便たよりのれたからには、一日いちにち千秋せんしゅうおもいである。どうして、四月しがつまでてよう。
彼女かのじょは、びたつような心地ここちを、ほおいろにもれず、
「……明日あしたにも」
と、此所ここちたい希望きぼう小声こごえらした。
兵庫ひょうごも、また、
「さもあろう」
と、うなずくのだった。
自分じぶんも、ながくはここにとどまっていない。年来ねんらいまねかれている尾張おわり徳川義直公とくがわよしなおこうへいおうじて、ともあれ一度いちど名古屋なごやまでくつもりである。
――だがそれも、帰国きこく叔父おじって、祖父そふ本葬ほんそうをしたうえでなければがたい。なるべく途中とちゅうまででもおくってやりたいが、そういうわけだから、其女そなたさきつとすれば、一人旅ひとりたびをせねばならぬが、それでも、よいか。
去年きょねん十月末じゅうがつまつした江戸えど便たよりが、としえて今頃いまごろやっとくほど、道中どうちゅう駅逓えきていも、宿々しゅくじゅく秩序ちつじょも、表面ひょうめんおだやかにえながら、まだ完全かんぜんでない社会しゃかいである。おんなのひとりたびは、覚束おぼつかないもするが、それも其女そなた覚悟かくごがあることならば――
こう兵庫ひょうごが、ねんすと、
「……はい」
つうは、かれ親身しんみおよばない好意こういを、沁々しみじみむねって、
たびには、れておりますし、世間せけんつらさにも、すこしはおぼえがございまする。そのへんのことは、どうぞおあんくださいませぬよう」
さらば――と、そのよる彼女かのじょ身支度みじたくと、ささやかなわかれのえんおくってあくあさ
きょうも、梅日和うめびよりだった。
助九郎すけくろうやらだれやら、馴染なじみ家臣かしんたちはみな彼女かのじょ旅立たびだちを見送みおくるべく、中門ちゅうもん両側りょうがわならんでいた。