407・宮本武蔵「円明の巻」「春告鳥(3)(4)」


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さん

そこへ、おつうて、
「これは、宝蔵院様ほうぞういんさまでいらっしゃいますか。折悪おりわるく、兵庫ひょうごさまには、江戸城えどじょうへさしのぼなにやらのお目録もくろくとかをしたたちゅうで、失礼しつれいながらおにかかりかねるよしにござりまする」
そうげて、つぎまで用意よういして菓子かしちゃなどをととのえ、
粗葉そはでござりますが……」
と、胤舜いんしゅんさきに――居並いなら法弟ほうていたちのまえへもすすめた。
胤舜いんしゅんは、落胆顔らくたんがおして、
「それは残念ざんねんな。――じつはおにかかっておもうしたい大事だいじがあるのだが」
なんぞ、てまえでりるなればおつたもうしておきますが」
と、木村助九郎きむらすけくろうわきからいうと、
「やむをまい。では其許そこもとからおみみれておかれい」
胤舜いんしゅんは、やっと用談ようだん本筋ほんすじへはいった。
兵庫ひょうごみみれたいというのはこうだ。この柳生やぎゅうしょうから一里いちりほどひがし――うめおおつきあたりは、伊賀上野城いがうえのじょう領地りょうちと、柳生家やぎゅうけりょうと、ちょうどさかいになっているが、そのへんは、山崩やまくずれやら、縦横じゅうおう渓流けいりゅうや、部落ぶらく飛々とびとびで、たしかな国境こっきょうというものがない。
ところが。
伊賀上野城いがうえのじょう従来じゅうらい筒井つつい入道にゅうどう定次さだつぐ所領しょりょうであったものを、家康いえやす没取ぼっしゅして、これを藤堂とうどう高虎たかとらあたえ、その藤堂藩とうどうはんは、昨年さくねん入部にゅうぶしてから、上野城うえのじょう改築かいちくし、年貢ねんぐ改租かいそやら治水ちすいやら国境こっきょう充実じゅうじつやら、ざましく新政しんせいいている。
そのいきおいがあまってか、つきあたりへ近頃ちかごろたくさんなさむらいし、勝手かって小屋こやてたり梅林ばいりん伐採ばっさいしたり、勝手かって旅人たびびとはばめたりして、柳生家やぎゅうけ領土りょうど侵害しんがいしているといううわさしきりときこえてくる。
「――おもうに御当家ごとうけ喪中もちゅうにあるのをよいおりとして、藤堂家とうどうけがわざと国境こっきょうし、やがて勝手かってところせきさくでもかまえてしまおうというかんがえかもしれぬ。いささか老婆心ろうばしんぎたるようじゃが、いまのうちに、抗議こうぎなさらねば、いてもおよばぬことになりはしまいか」
胤舜いんしゅんはなし助九郎すけくろう家臣かしん一人ひとりとしても、
「よいおらせをたまわりました。早速さっそくただして抗議こうぎいたしましょう」
と、あつれいをのべた。
きゃくかえると、助九郎すけくろうは、さっそく兵庫ひょうご部屋へや出向でむいた。兵庫ひょうごいたが、一笑いっしょうして、
ほうっておけ。そのうち叔父おじ帰国きこくしたとき処理しょりするだろう」
と、いった。
だが、国境沙汰こっきょうざたとなれば、一尺いっしゃくでも、問題もんだいはゆるがせに出来できない。どうしたものか、ほか老臣ろうしん四高弟よんこうていものにもはかって、対策たいさくこうじなければなるまい。相手あいて藤堂とうどうという大藩たいはんだし、大事だいじってかかるようもある。
そうかんがえて、翌日よくじつっていると、そのあさ
新陰堂しんかげどううえ道場どうじょうから、いつものように家中かちゅう若者わかもの一稽古ひとけいこをつけて、助九郎すけくろうると、そとっていた炭焼山すみやきやま小僧こぞうが、
「おじさん」
と、あとからいてて、かれこしへお辞儀じぎをした。
つきからずっとおく服部郷はっとりごう荒木村あらきむらという僻地へきちから、つねすみだのししにくだのを――城内じょうない大人おとな一緒いっしょかついでくる――丑之助うしのすけという十三じゅうさん四歳よんさい山家やまがだった。
「おう、丑之助うしのすけか。また道場どうじょうのぞきおったな。きょうは自然薯やまのいも土産みやげはないか」

よん

かれって山芋やまいもは、この附近ふきん山芋やまいもよりうまかった。で、助九郎すけくろうたわむ半分はんぶんくと、
「きょうはいもってなかったけど、これをおつうさんにってた」
と、丑之助うしのすけは、げていた藁苞わらづとげてせた。
ふきとうか」
「そんなもんじゃねえよ。ものだ」
もの
「おらが、つきとおるたんびにこえしてうぐいすがいるんで、をつけといてつかまえたんさ。おつうさんにやろうとおもって――」
「そうだ。そちはいつも、荒木村あらきむらからこれへるには、つきえてまいるわけだな」
「ああ、つきよかほかみちはねえもの」
「ではくが……。あのへんちかごろ、さむらい沢山入たくさんはいんでおるか」
「そんなでもねえが、いるこたあいるよ」
なにをしているか」
小屋こやって、んで、てるよ」
さくのようなものきずいておりはせぬか」
「そんなことあねえな」
うめなどたおしたり、往来おうらいもの調しらべたりしておるか」
ったのは、小屋こやてたり、雪解ゆきげながされたはしわたしたり、たきぎにしたりしたんだろ。往来調おうらいしらべなんか、おらあたことねえが」
「ふうむ……?」
宝蔵院衆ほうぞういんしゅうはなしとちがうので助九郎すけくろう小首こくびをかしげた。
「そのさむらいたちは藤堂藩とうどうはん人数にんずういたが、しからばなんのために、あんなところ出張でばってたむろしておるのか。荒木村あらきむらなどでのうわさはどうだ?」
「おじさん、そりゃあちがうよ」
「どうちがう」
つきにいるさむらいたちは、奈良ならからわれた牢人ろうにんばっかしだよ。宇治うじからも奈良ならからも、お奉行ぶぎょうわれて、むとこがなくなったから、やまなかはいってたんさ」
牢人ろうにんか」
「そうだよ」
助九郎すけくろうは、それでけた。
奈良奉行ならぶぎょうとして、徳川家とくがわけ大久保長安おおくぼながやす着任ちゃくにんしてから、せきはら乱後らんごまだ仕官しかんもせずしょくにもつかず、まち始末しまつこまっていた遊民ゆうみんさむらいを、各地かくちからったことがある。
「おじさん。おつうさんはどこにいるね。おつうさんに、うぐいすげたいんだけど」
おくだろう。――だが、こら丑之助うしのすけ御城内ごじょうない勝手かってびあるいてはいかんぞ。貴様きさま百姓ひゃくしょうあわず、武芸好ぶげいずきだから、御道場おどうじょうそとからることだけは、特別とくべつにゆるしておくが」
「じゃあ、んでてくれないかなあ」
「オ……。ちょうどよい。お庭口にわぐちから彼方むこうくのは、それらしいぞ」
「あっ。おつうさんだ」
丑之助うしのすけは、けてった。
いつもお菓子かしをくれたり、やさしい言葉ことばをかけてくれるひとである。それに山家やまが少年しょうねんからると、このひとともおもえない神秘しんぴうつくしさをかんじるのであった。
そのひと振向ふりむいて、とおくからわらった。丑之助うしのすけって、
うぐいすってた。おつうさんにげるよ、これ――」
と、つとしてせた。
「え。うぐいす……」
さぞよろこぶかとおもいのほか、彼女かのじょまゆをひそめたままさないので、丑之助うしのすけ不平顔ふへいがおをした。
「とてもきをするやつなんだぜ。おつうさんは、小禽ことりうのはきらいかい?」