405・宮本武蔵「二天の巻」「天音(3)(4)」


朗読「405二天の巻61.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 39秒

さん

使つかいとして、権之助ごんのすけがここにえるまえに、このせき人々ひとびとは、武蔵むさし就任取止しゅうにんとりやめの沙汰さたを、方面ほうめんからいていた。
方面ほうめんというのは、やはり幕閣ばっかく一員いちいんで、そのものがいうには、にわかに、武蔵むさし登用とうよう中止ちゅうしになった原因げんいんは、閣老かくろうのうちからも、また、奉行所方面ぶぎょうしょほうめんからも、武蔵むさし素姓すじょう行状ぎょうじょうについて、種々いろいろ、おもしろくない材料ざいりょうが、将軍家しょうぐんけ提出ていしゅつされたためだとある。
不合格ふごうかくとなった、なによりもいけないてんは、
――かれ仇持あだもちだ。
という風評ふうひょうもっぱらにあることだった。しかもかれにあって、かれあだねらって永年辛苦えいねんしんくしているものは、もう六十路むそじをこえた老婆ろうばだときこえたので――同情どうじょう翕然きゅうぜんとしてその年寄としよりにあつまり、武蔵むさしには反対はんたいなものが、御採用ごさいようという機会きかいに、一時いちどきあらわれたものらしいとのはなしであった。
どうして、そんな誤解ごかいしょうじたのかについては北条新蔵ほうじょうしんぞうが、
(いや、そのことなら、そので、当家とうけ玄関げんかんへ、しつこくやってまいりましたよ)
と、留守中るすちゅう本位田ほんいでんのばばが、武蔵むさしあくたいをべてったことを、はじめて、ちち沢庵たくあんみみれたのだった。
それでわかった、原因げんいんが。
しかし、わからないのは、あんなばばごとをそのまましんじる世間せけんやからであった。それも居酒屋いざかや井戸端いどばた集合者しゅうごうしゃなららぬこと、分別ふんべつぶった相当そうとう人間にんげんが――しかも為政者いせいしゃともある連中れんちゅうが――と、きょう半日はんにちは、唖然あぜんとしていたおりなのである。
ところへ、武蔵むさし使つかいとして、権之助ごんのすけ書面しょめんもたらしたので、さては、不平ふへいことばかとひらいてみると、

委細いさい権之助ごんのすけよりおきこたまわるべし。さるひとうた

なかなかに
人里ひとざとちかくなりにけり
あまりにやま
おくをたづねて

近頃ちかごろおもしろくおぼそうろうて、またいつもの持病じびょうかや、たびにさまよいそうろう
ひだり一首いっしゅは、また旅出たびで即興そっきょう腰折こしおれ、おわらいたまわるべくそうろう

乾坤けんこん
そのままにわ
るときは
われは浮世うきよ
いえざかひ

なお、権之助ごんのすけ口上こうじょうで、
たつくちから一応いちおう御当家ごとうけかえって、委細いさいもうしあげるのがじゅんでございますが、すでに幕閣ばっかくより、御不審ごふしんをもってられたるが、こころやすげに、御邸内ごていない出入でいりするはいかがかと――わざと差控さしひかえて草庵そうあんもどりましたよし。これも師武蔵しむさしからの伝言でんごんでござりました」
そうくと、ひとしお、北条新蔵ほうじょうしんぞうも、安房守あわのかみも、名残なごりしまれてにわかに、
なんのご遠慮えんりょぶかい。――このままでは、こちらのこころなんとなくすまぬ。沢庵たくあんどの、むかえてもぬかもれぬ。これよりこまをつらねて、武蔵野むさしのまでおとずれようか」
ちかけると、
「あ。おちください。手前てまえもお供仕ともつかまつりますが、伊織いおりかえせと、からもうしつかってしながあるので。――おそりますが、伊織いおりをこれへ、おびくださいませぬか」
と、かれ手渡てわたれいふるびたかわ巾着きんちゃくを、懐中かいちゅうからして、それへおいた。

よん

伊織いおりはすぐばれてて、
「はい。なんですか」
ばやく、はもうそこにいてある自分じぶん革巾着かわきんちゃくつけている。
「これを、先生せんせいからおまえにおかえしになった。おまえちち遺物かたみだから、大事だいじてとっしゃった」
権之助ごんのすけは、それとともに、武蔵むさしがしばらくわれわれとわかれて御修行ごしゅぎょうのぼるから、おまえは今日以後きょういご当分とうぶんはわしとともくらすことになろうということをもいいわたした。
伊織いおりはすこし不服顔ふふくがお
だが、沢庵たくあんがいるし、安房守あわのかみもいるので、
「はい」
不承不承ふしょうぶしょううなずく。
沢庵たくあんは、その革巾着かわきんちゃくが、かれ父親ちちおや遺物いぶついて、伊織いおり素姓すじょうについていろいろただしてみると、祖先そせん最上もがみ旧臣きゅうしん代々三沢伊織だいだいみさわいおり名乗なの家柄いえがらだという。
何代前なんだいまえかに、主家しゅけ没落ぼつらくにあい、戦乱せんらんなか一族いちぞく離散りさんしてしまい、そのあと諸国しょこく漂泊さまよって、ちち三右衛門さんえもんだいになってやっと下総しもうさ法典ほうてんはらはたけをもち、農夫のうふとなってみついていたのだとも――伊織いおりいにこたえていう。
「ただ、よくわかんないのは、おらにねえさんがあるっていったけれど、おとっつぁんも、くわしいことをいわないし、おっかさんは、はやんじまったから、何処どこくににいるのか、きているのかんだのか、わかんない」
率直そっちょく伊織いおりこたえをきながら、沢庵たくあんはその由緒ゆいしょありげな革巾着かわきんちゃくひざって、先刻さっきからそのなかむしばんだ書付かきつけまもぶくろなど、丹念たんねんていたが、そのうちに、おどろきのをみはって、一紙片いちしへん文字もじと、伊織いおりかおとを、まじまじあなのあくほど見較みくらべたすえに、
伊織いおり。そのあねなら、父三右衛門ちちさんえもんふでらしいこの書付かきつけいてあるが」
いてあっても、なんのことか、おらにも、徳願寺とくがんじのお住持じゅうじでもわからないんです」
「よくわかっておる。この沢庵たくあんには……」
と、その一紙片いちしへん人々ひとびとまえひろげて沢庵たくあんんだ。文章ぶんしょう数十行すうじゅうぎょうわたるがまえほうりゃくして、

――タオルルとも二君にくんもとむムル心無こころなク、夫婦ふうふシテ流転年久るてんとしひさシク、イヤシキワザシテあるクウチ、一年ヒトトセ中国ちゅうごく一寺いちじニ、一女いちじょテ、伝来でんらい天音一管てんおんいっかん襁褓ムツキエテ、慈悲じひ御廂ミヒサシニ、すえ祈願きがんたてまつリテ又他国またたこく漂泊サスラウ。
あと、コノ下総原しもふさはらいちボウオク年経としへルママおもエドモ、山河さんがへだテ、又消息またしょうそくツノいま、カエッテサチ如何いかがアルベシナドおもイ、イツシカ歳月さいげつながレニマカセオワンヌ。
あさマシキかなひとおや鎌倉右大臣かまくらうだいじんうたイケル
ものいはぬ
四方よもけだものすらだにも
あはれなるかなや
おやをおもふ
サアレ二君にくんニマミエ、あらそウテ、武門ぶもんはてけがサンヨリハ祖先そせんモアワレトソナワシたまウベシ。ワガまた、コノちちゾカシ。おしムトモ、サモシキアワベルナ。

うことができるぞ。このあねなら、わしも若年じゃくねんからようっておる。武蔵むさしぞんじておる。伊織いおり、さあおまえもけ」
沢庵たくあんは、せきった。
だが、そのよる武蔵野むさしの草庵そうあんいそいだ人々ひとびとも、つい武蔵むさしとはえなかった。
けかけた野末のずえてに、いち白雲はくうんたのみである。