402・宮本武蔵「二天の巻」「栄達の門(3)(4)」


朗読「402二天の巻58.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 19秒

さん

うまやこまつないで、
新蔵しんぞうおじさん。こんなところにいたの」
焚火たきびのそばへ、伊織いおりけてた。
「おおかえったか」
なにかんがえているの。え、喧嘩けんかしたのかい、おじさん」
「なぜ」
「だっていま、おいらがかえってると、わかさむらいたちが、ぷんぷんおこってったもの。見損みそこなったの、腰抜こしぬけだのって、もんかえって、悪口わるくちたたいてったよ」
「はははは。そのことか」
新蔵しんぞうわらして、
「それよりは、まあ焚火たきびにでもあたれ」
焚火たきびなんかにあたれるものか。武蔵野むさしのから一息ひといきばしてたので、おいらのからだは、このとお湯気ゆげっているよ」
元気げんきだな。ゆうべは何処どこたか」
「ア。新蔵しんぞうおじさん。――武蔵むさしさまがもどってたよ」
「そうだそうだな」
「なんだ。ってるの」
沢庵たくあんどのがいわれた。多分たぶんもう秩父ちちぶからはなされて、もどっているころだろうと」
沢庵たくあんさんは?」
おくに」
と、でさして、
伊織いおり
「え」
いたか」
「なにを」
「おまえの先生せんせい出世しゅっせなさる吉事きちじだ。途方とほうもないよろこごとだ。まだるまいが」
なになにおしえてよ。先生せんせい出世しゅっせするって、どんなことさ」
将軍家御師範役しょうぐんけごしはんやくれつくわわって一方ひとかた剣宗けんそうあおがれるたのだ」
「えっ、ほんと」
うれしいか」
「うれしいとも。じゃあもういっぺん、うましてくれないか」
「どうするのだ」
先生せんせいところらせにってる」
「それにはおよばぬ。今日きょうのうち正式せいしきに、閣老かくろうから武蔵先生むさしせんせいへお召状めしじょうがさがるはず。それをって明日あしたは、たつくちのおひかじょまでまいり、登城とじょうのおゆるしがれば、即日そくじつ将軍家しょうぐんけ拝謁はいえつすることになろう。――だから、老中ろうじゅうのお使つかいが次第しだいに、わしがおむかえにかねばならぬ」
「じゃあ、先生せんせいが、こっちへるの」
「うむ」
うなずいて、新蔵しんぞうは、そこをはなれてあるしながら、
朝飯あさめしべたか」
「ううん」
「まだか。はやくべてい!」
かれはなしているうちに、新蔵しんぞうはいくらか憂悶ゆうもんかるくなった。憤怒ふんぬしてった友達ともだちさきに、まだ幾分いくぶんかの気懸きがかりはのこしていたが。
それから一刻いっときほどあと閣老かくろうからの使つかいがえた。沢庵たくあんてた書簡しょかんともに、明日あしたたつくち伝奏屋敷でんそうやしきひかじょまで、武蔵むさし召連めしつれて、出頭しゅっとうあるようにというたっしであった。
新蔵しんぞうは、そのむねをうけて、騎馬きばとなり、べつに一頭いっとう美々びびしい乗換馬のりかえうま仲間ちゅうげんかせて、武蔵むさし草庵そうあん使者ししゃとして出向でむいた。
「おむかえに」
と、おとずれると、武蔵むさしはちょうど、権之助ごんのすけ相手あいてに、なたで小猫こねこひざにのせて、なにはなしていたおりだったが、
「いやこちらから、おれいるつもりでいたところ」
と、そのまま、すぐむかえのこまった。

よん

ごくからかれた武蔵むさしにはまた、将軍家師範しょうぐんけしはんという栄達えいたつっていた。
だが武蔵むさしは、それよりも沢庵たくあんというとも安房守あわのかみという知己ちき新蔵しんぞうというこのましい青年せいねんなどが、自分じぶんのような、一介いっかい旅人たびびとに、せきあたためてってくれるこころざしのほうに、はるかなありがたさと、人間にんげんかぎりなきとなりおんおもわせられた。
あく
すでに北条父子ほうじょうおやこは、かれのために一襲ひとかさね衣服いふくと、扇子せんす懐紙かいしなどまでととのえて、
「めでたい、おこころさわやかにってまいられい」
と、あさぜんは、あか御飯ごはん魚頭かしらつき、あだかもわが元服げんぷくでもいわうかのごと心入こころいれであった。
この温情おんじょうたいして、また、沢庵たくあん好意こういんでも、武蔵むさしは、自分じぶんのぞみばかり固持こじしていられなかった。
秩父ちちぶ獄中ごくちゅうでも、ふかくかんがえてみたことである。
法典ほうてんはら開墾かいこん従事じゅうじして、およそ年足ねんたらずのあいだ、つちしたしみ、農田のうでん人々ひとびと一緒いっしょはたらいてみて、自己じこ兵法へいほうを、おおきな治国ちこく経綸けいりん政治せいじかしてみたいという野心やしんはかつて本気ほんきいだいてみたことであるが――江戸えど実情じつじょうと、天下てんか風潮ふうちょう、まだまだけっして、かれ理想りそうするようなところまでには、実際じっさいにおいてていない。
豊臣とよとみ徳川とくがわと、これは宿命的しゅくめいてきにも、おおきな戦争せんそうをまだあえてやるだろう。思想しそう人心じんしんも、ために、なお混沌こんとんたる暴風期ぼうふうきけなければならない。そして関東かんとうか、上方かみがたか、いずれかに統一とういつるまでは、聖賢せいけんみちも、治国ちこく兵法へいほうも、いうべくしておこなわれるわけはない。
明日あしたにも、そうした大乱たいらんがあるとする――その場合ばあいに、自分じぶんはいずれのぐんへつくべきだろうか。
関東かんとう加担かたんするか。上方かみがたはしって味方みかたするべきか。
それとも、をよそに、やまって、天下てんかしずまるのを、くさってっているべきだろうか。
(いずれにせよ、いま将軍しょうぐん一師範いちしはんになって、それをもって、あまんじてしまったら、自分じぶん道業どうごうもまずはれたものといえよう)
あさのかがやくみちを、かれ式服しきふく見事みごとくらこまにまたがり、栄達えいたつもんへと、そうして一歩一歩近いっぽいっぽちかづいておりながら、なお、こころのどこかでは、満足まんぞくしきれないものがあるのだった。
下馬げば
と、高札こうさつえる。
伝奏屋敷てんそうやしきもんだった。
玉砂利たまじゃりをしきつめた門前もんぜんに、こまつなぎがある。武蔵むさしがそこでりていると、すぐ一名いちめい役人やくにんと、馬預うまあずかりの小者こものんでくる。
昨日きのう御老中ごろうじゅうよりの御飛札ごひさつにより、おしをうけたまわってまかりこした宮本武蔵みやもとむさしもうすものでござる。ひかじょづめ役人方やくにんかたまでおもうねがわしゅうございます」
この武蔵むさしはもとよりただ一名いちめいであった。しばらくあいだに、此方こなたへとべつな案内あんないさきつ。
「お沙汰さたあるまでこれにおひかえください」
らんとでもいうか、絵襖えぶすまいちめんに春蘭しゅんらん小禽ことりいてある。なが二十畳にじゅうじょうひろ部屋へやである。
茶菓さかる。
ひとかおたのはそれだけで、あとはおよそ小半日こはんにちたされた。
ふすま小禽ことりかず、えがいたらんにおいもせぬ。武蔵むさしは、欠伸あくびもよおしてた。