398・宮本武蔵「二天の巻」「逃げ水の記(4)(5)」


朗読「398二天の巻54.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 41秒

よん

同時どうじにまた、おばばのにも、どうしても一度いちど郷里きょうりかえらなければならない事情じじょうおこっていた。
跡取あととりの又八またはち家出いえでし、大黒柱だいこくばしらともいうべき彼女かのじょは、ここ幾年いくねんかえったことはなく、親類中しんるいじゅうでもたよりとする河原かわはら権叔父ごんおじまでが、旅先たびさき落命らくめいしているので、郷里きょうりにある本位田ほんいでんにも、そのあいだ、いろいろな問題もんだいたまっているにはちがいないのである。
で、おばばは、なお武蔵むさしにもおつうにも依然いぜんとして他日たじつ報復ほうふくしているが、小次郎こじろう豊前小倉ぶぜんこくらまでくだるのをよい道連みちづれとたのんで、途中とちゅう大坂表おおさかおもてあずけてある権叔父ごんおじ遺骨いこつり、郷里きょうり宿題しゅくだいをひとかたづけつけて、かたがた、年久としひさしくおこたっていた祖先そせん年忌ねんきやら、権叔父忌ごんおじき一度いちどやって、ふたたび目的もくてきたび出直でなおそうとめたわけであった。
――だが、このばばのことであるから、武蔵むさしたいしては、一時いっときでもただ見遁みのがしてはらなかった。
小野家おのけから小次郎こじろうれ、小次郎こじろうから彼女かのじょみみへはいったうわさによると、武蔵むさしちかく、北条安房ほうじょうあわ沢庵たくあん推挙すいきょによって、柳生やぎゅう小野おの二家にけくわわって、将軍家師範しょうぐんけしはん一員いちいんとなるということだった。
それを小次郎こじろうからかされたときの、ばばの不快ふかいそうな顔色かおいろといったらなかった。そうなっては将来しょうらい手出てだしのしにくいものになるしまた、彼女かのじょ信念しんねんうったえても、これをはばむのは将軍家しょうぐんけのためであり、そういう人間にんげん出世しゅっせくつがえしてやるのは、世道せどうせしめであるとおもった。
で、彼女かのじょは、沢庵たくあんにだけはえなかったが、北条安房守ほうじょうあわのかみ玄関げんかんったり、柳生家やぎゅうかへわざわざ出向でむいたりして、極力きょくりょく武蔵むさし取立とりたてられることのらした。推薦者すいせんしゃ二家にけばかりでなく、手蔓てづるのあるかぎり、閣老かくろうたちの屋敷やしきへもった。そして武蔵むさし讒訴ざんそをあの調子ちょうしいてあるいたのである。
もちろん小次郎こじろうは、それをめもしないしまた、煽動せんどうもしなかった。――けれど、おばばがいったんそういう目的もくてき躍起やっきけると、つらぬかねばまなかった。町奉行まちぶぎょう評定所ひょうじょうしょへも、年来ねんらい武蔵むさし生立おいたちや行状ぎょうじょうなどしざまにいて、それをぶみにしてほうりこんだくらいである。小次郎こじろうすら、あまりいい気持きもちがしないほど、その妨害運動ぼうがいうんどう徹底てっていしていた。
(――わしが小倉こくらまいっても、いつか一度いちどは、武蔵むさしとまみえるがきっとる。また、いろいろな関係かんけいが、宿命的しゅくめいてきにもそうなっているがする。ここはしばらくほっておいてかれ出世しゅっせきざはしはずしたのち――どうちてるか、ていたがよいだろう)
小次郎こじろうからも、今度こんど小倉下向こくらげこうに、こうともにするようにすすめたわけであった。ばばのこころにはまだ又八またはちへの未練みれんもあったが、
(あれも、いまがさめて、あとうてるじゃろう)
と、武蔵野むさしのあきれるこのごろを――一先ひとまずすべての迷妄めいもうからはなれて、ここまで旅立たびだってたところだった。
だが。
そういう二人ふたり一身上いっしんじょう変化へんかなどは、もとより伊織いおりるところでもなし、いくらかんがえても、わかることではなかった。
げるにもげられないし、なみだなどせては、はじになるとおもってかれは、おそろしいなかにも、じっと我慢がまんして、小次郎こじろうおもてつめていた。
小次郎こじろう意識的いしきてきに、そのをにらみつけた。だが伊織いおりらさないのである。いつか、草庵そうあんひと留守るすしていたおりにらめくらをしたように、鼻腔びこうでかすかないきをしながら、くまで小次郎こじろうおもて正視せいししていた。

どんなわされるかとおもっているらしい伊織いおり戦慄せんりつは、どもごころうれいにぎなかった。
小次郎こじろうには、おばばのように、どもと対等たいとうになるなど毛頭もうとうない、まして今日きょうかれには地位ちいもできていた。
「ばば殿どの
と、ふとぶ。
「おいの。なんじゃ」
矢立やたてをおちか」
矢立やたてはあるが、すみつぼがかわいておる。なんぞふで要用いりようかの」
武蔵むさしへ、手紙てがみしたためようとおもって」
武蔵むさしへと」
「されば。辻々つじつじふだてても、いっかと姿すがたせぬし、また、住居すまいもとんとれぬ武蔵むさしへ――おりからこの伊織いおりは、ってつけな使つかいではあるまいか。江戸えどるにあたって、一書いっしょかれとどけておくのだ」
なんきなさる?」
文飾ぶんしょくなどはいらぬ。また、わしが豊前ぶぜんくだることも、人伝ひとづてにきおろう。ようは、うでをみがいてなんじ豊前ぶぜんくだれというまでのことだ。生涯しょうがいでもこちらはつ。自信じしんきたれ、というだけで意志いしとどこう」
「そのような……」
と、ばばはって、
「――ながいことはこまる。作州さくしゅういえかえっても、わしはまたすぐたびるつもりじゃ。そしてこのりょう三年さんねんがうちには、きっと武蔵むさしたねばならぬ」
「わしにまかせておけ。おばばののぞみも、わしと武蔵むさしとのことついで仕果しはたしてしんぜるからそれでよかろう」
「じゃが、なんせい、年齢としじゃ。きているうちに、わねば……」
養生ようじょうをなされ。長生ながいきをして、わしが畢生ひっせいけんって、武蔵むさしちゅうくわえるるように」
受取うけとった矢立やたてって、小次郎こじろうちかくのながれにひたし、ゆびのしずくをすみつぼにたらしていた。
ったまま、懐紙かいしにさらさらとふではしらせる。かれ文字もじ流達りゅうたつで、文辞ぶんじには才気さいきがあった。
「これに飯粒めしつぶが」
と、ばばは弁当べんとうがらのそれをうえけてした。小次郎こじろうふうをして、おもて宛名あてなうらに、

細川家家中佐々木巌流ほそかわけかちゅうささきがんりゅう

と、いた。
小僧こぞう
「…………」
こわがらないでもよい。これをってかえれ。そしてなかには大事だいじ用向ようむきがいてあるから、きっと、武蔵むさし手渡てわたすのだぞ」
「……?」
伊織いおりは、ってったものか、きっぱりことわったほうがいいものか、かんがえているふうだったが、
「……うん」
うなずいて、小次郎こじろうから、それをくった。
そして、きっと、がって、
「こんなかに、なんいてあるんだい、おじさん」
いま、おばばへはなしたような意味いみだ」
てもいいかい」
ふうってはならん」
「でも、もしか先生せんせい無礼ぶれいなことでもいてある手紙てがみなら、おいらは、ってかないぜ」
安心あんしんせい。無礼ぶれいなことばなどはいてない。かつての約束やくそくわすれておるまいなということと、たとえ豊前ぶぜんくだるとも、かなら再会さいかいしておるということがいてあるだけだ」
再会さいかいというのは、おじさんと先生せんせいと、うことかい」
「そうだ、生死せいしさかいに」
と、うなずく小次郎こじろうほおに、っすらとえた。